第2話 弟子志望のアリシア

 私は、散らかった実験道具や本をほとんど地面に落とす勢いでどかして、その前の椅子に突然の来客……アリシアを座らせた。


 アリシアは剣を腰に差していて、座るときにベルトから外して、机に立てかけた。その時私は初めて、アリシアが武器を持っていた事に気づいた。


「ひぃ……やっぱり私を殺しに来たんだ。おしまいだぁ……」


 台所に身を隠しながら、私は小さな声で悲鳴を上げた。ぐつぐつ煮立ったシチューは、そろそろ食べごろになっている。


 命の危険を感じていようが、ひとたびこの匂いを嗅げば、胃が勝手にものが入る空間を用意し始めた。


 ……とりあえず、食べよう。


「ええっと、良ければどうぞ」


 せっかくなので、私はできたてのシチューをよそい、水と共に、来客のアリシアの前に差し出した。


「わぁ! ホワイトシチュー! おいしそう……いいんですか?」


「ど、どうぞ。お口に合うか分かりませんが」


 作る量が多い料理でよかった。お昼時だし、お腹も空いていることだろう。けれど、動いてきたばかりだから、もう少し熱くない食べ物のほうがよかっただろうか。


 いやいや、突然訪ねてくる方が悪いのだ。昼食が出てくるだけ、有難いと思って貰わないと。


 私自身も腰かけて、シチューを前にしているのだが、アリシアの反応が気になって、感想を聞くまで手を付けられない。


 アリシアはスプーンに白いシチューを掬い、少し冷ますと、小さな唇に運んで、音を立てずに口に入れた。


「んん~! おいひい~!」


 アリシアは頬っぺたに手を当てて、身体をくねらせて感想を全身で表した。


 可愛い……料理美味しいって言ってくれた……好き……


 いやいや、騙されるな。本当は命を狙いに来た可能性だってあるのだ。ちゃんとその目的をしっかり聞きださなくては。


「食べ物も白いんですね! もしかして、魔法がかかっているシチューで、これを食べたら私の髪の毛も白くなっちゃったり⁉ そうだと嬉しいなぁ~」


「い、いえ。それは普通のシチューです」


「えぇーっ……そうなんですね。残念」


 どうしてこんな髪の毛と同じになりたいんだろう。今の金髪だって十分綺麗なのに。

 おいしそうに表情をころころと変えながら、食事を頬張るアリシアを見ていると、ついぼーっとひたすら眺めたくなってしまうが、そろそろ本題を切り出さなくては。


「それで、どうしてこんなところまでやって来たんですか?」


「ふぇ? だから言ってるじゃないですか。私はお姉さまの、弟子になりに来たんですよ」


「弟子にって……魔法を使いたいってことですか?」


「もちろんです! 街で噂を聞いたんですよ。森の奥深くに、マリーという美しい白魔女が住んでいるって。最初は本当か疑ったんですけど、買い物に来るところを実際に見たって人が多くて……本当にいるんだって思って探しに来たんです」


「ま、まぁ……普通の魔法使いは、こんな暮らししていませんからね」


 森に一人で住んでいる魔女など、おとぎ話もいいところだ。この世界で魔法が使えるのなら、たいていは冒険者になっていたり、あるいは軍に入るか、魔法店を開くか、そういうまともな暮らしが約束されているのだ。


 魔女狩りなんてものがあるわけでもないので、わざわざ人目を避けて生きている魔法使いの方が珍しい。


「でも、どうして魔法を使いたいんです?」


「だって、魔法を使えれば、困っている人を救えるじゃないですか」


 救えるじゃないですかー、かー、かー……言葉が勝手に私の頭の中で、何度も反響した。


 思わず、スプーンを口に運ぶ手がピタッと止まった。私は呆然とアリシアの顔を見る。アリシアの満面の笑みには、後光が差しているようにすら見えた。


 聖人……か?


 世界を救えるほどの魔法を持ちながら、自らの生活のためだけにそれを使いつづけているこの私には、深く突き刺さる言葉だった。


「ん? 大丈夫? お姉さま。おーい?」


「はっ……こほんっ……なんでもありません。大丈夫です」


 あまりに高尚な考え方を浴びた衝撃に意識を失いかけたが、アリシアに現実に呼び戻された。

 ごめんなさい。そんな考え方の純粋な子を、私を殺しに来た刺客じゃないかなどと疑ってしまって。


 とはいえ、転生してきた時にはすでに使いこなしていた魔法を、果たしてこんなコミュニケーション力皆無な私が、人に教えることなどできるのだろうか?


 だいたい、弟子ということは住み込みで教わるつもりだろうか?


 無理無理! 他人と一緒に暮らすだなんて!


 この世界に来てからほとんどずっと一人だったっていうのに、今さら誰かに気を使いながらなんて、暮らせるわけがない。


「お願い! 私、弟子になれるのなら、何でもしますから!」


「何でもってぇ……何でも?」


「もちろんです! 家事、雑用、買い物は当然。それ以外だってお望み通りに」


 アリシアはそう言って、目を軽く閉じてお辞儀をしてみせた。


「えぇぇ! 本当に? 買い物に行ってくれるの?」


 ぱぁっと、自分でも表情が今までで一番明るくなっているのがわかる。どうしても人と接触しなければならない、私の日常とっての最大かつ不可避の試練……買い物。


 日用品、実験道具や食材、本など、自分の魔法の力ではどうしようもないものは、やはり人里に買いに行かなければならない。正直、全部やってくれなくても、一緒について来てくれるだけで心強いレベルだ。


「……肩もみや、背中も流しますし、膝枕だって! 何なら今すぐ、マッサージしましょうか?」


「えっ? だだ大丈夫……」


 突然、サービスの毛色が変わったので、私は戸惑った。

 断っているのにもかかわらず、アリシアは後ろに素早く移動すると、私の肩に手を置き、ぎゅーっと掌全体で圧迫してきた。


「んっ……ふおぉ……」


 凝り固まった筋肉が圧迫されてほぐされていく感覚に、思わず変な声が出てしまう。


 人に触られること自体、何年ぶりかもわからない。謎の背徳感と、それを押しつぶして伝わってくる気持ちよさに私は混乱して、抵抗もできなかった。


「あらぁ~、凝ってますねぇ~。ここですか? ここがいいんですかぁ?」


「あひぃっ……あっそこっ……! ぬうぅ……ぅぐぅ……!」


 指で的確にまさに押して欲しいところを潰され、私はさらに身体を溶かされて、新種の生物みたいな鳴き声を上げた。


 魔法の研究を、一日中部屋でしていると、どうしても肩が凝る。それに、この身体になってからというものの、どうにも重心が前の方へと来がちだ。主に二つの大きな脂肪のかたまりのせいで。


 当然いくら肩が凝ったところで、今まで誰も揉んでくれる人などいなかったから、その未曽有の快感に私は打ち震えていた。これを味わうだけでも、この子をこの家に置いておく価値があるかもしれない……


 突然肩を揉まれて驚いたが、もしかしてそう思わせることこそが、アリシアの作戦なのだろうか。


「凝ってますね~。この辺とか特に……でっか」


「ひゃっ⁉」


 アリシアの手が肩から滑り降り、脇の下に潜り込むと、そのまま優しい手つきで私の胸にそっと触れた。そしておもむろにマッサージをするようにゆっくり揉み始める。


 突然のことに身体が硬直し、抵抗すべきなのに全く動けない。


「うおぉ……なんという迫力。もしかしてここに強大な魔力が詰まっているんでしょうか?」


「……っひいぃ……やめてくださいぃ……揺らさないで」


 ゆさゆさと大きな二つの丘を弄ばれ、私は悲鳴を上げた。持ち上げられるように胸を揺らされると、その重さの変化で身体が軽く前後する。


 遊ぶようにたぷたぷと胸を揺らすのにようやく飽きたのか、しばらくするとアリシアの手から胸が解放され、その元の重さを思い出させた。


「どうですか? リラックス出来ましたか?」


「逆に強張りましたよ……うう……」


 これは、女同士であれば、いたって普通のコミュニケーションなのだろうか?


 経験がないのでさっぱりわからない。やはり人間とは恐ろしい。突然何をされるか、わかったものではない。


「……とまぁ、冗談は置いといて」


 冗談で胸をいじくりまわされてはたまったものではない。私は涙に滲んだ目で、想像以上のスキンシップをしてきたアリシアを睨んだ。


「こんな風に、望まれたら何でもさせていただきます。だって、お姉さまは私の憧れの存在……森の魔女ですから! 何も嫌なことなんてありません。だから、私をここに……置いていただけないでしょうか?」


 アリシアは先ほどとは態度を一変させて、断られるのを恐れるように、上目遣いで私に尋ねた。


 うっ……なんて目をするんだ。単純に可愛いし、謎の罪悪感で物凄く断りづらい。


 けれど、もう一つだけ、私は気になっていることがあった。


「その、もう一つだけ。アリシアさんは、どこか、いいところのお生まれなのでは? 一体どこから来たのですか?」


 しかし、今までは何にでも素直に応じていたアリシアが、その質問にだけは突然俯いて押し黙った。唇を噛み締めるようにして何も言わず、適当な嘘すらつかないあたり、なにか言いたくない理由があるのだろう。


「あの……私……」


 アリシアは、それでも何とかして、言葉を絞り出そうとする。


「いえ……何も言わないでください。大丈夫ですから」


 私は思わず、その先を喋らせてはいけない気がして、言葉を遮った。


「え? でも……そうしたらここには置いてくれない……ですよね」


 元々貴族か、稼ぎのいい商人の娘か何かで、紆余曲折あって逃げ出してきたのかもしれない。誰にだって、人に言いたくない過去の一つや二つくらい、あるものだ。

 そういう意味では、私だってこの子に言えない秘密がある。それは元男の、転生者ということだ。言えないことがあるのは、ある意味お互い様だ。


「私にも、言いたくない、言えない過去くらいありますから。こんなことを言うのは卑怯かもしれませんが……」


 少し迷う。けど、お互いのために、それが一番いいのではないかと思い、私は言葉をつづけた。


「……私もアリシアさんの過去を掘り返しませんから、アリシアさんも……そうしてくれますか?」


「ええ。ええ……もちろんです。絶対に詮索なんてしません!」


 アリシアは、とにかく私の弟子にさえなれれば、他のことは多少なりとも我慢する覚悟で来たようだ。


 話をまとめれば、まずアリシアは人の役に立つために魔法を学びたい。

 そして住み込みで雑務をこなし、胸……じゃなくて肩を揉んでくれたりも嫌ではないらしい。


 何より私にとって雑務をしてくれる人、特に買い物に代わりに行ってくれる人というのは、願ってもない存在だった。

 動機も聖人だし、その過去は少し気にかかるけど、話す気になったらいつかは話してくれるだろうし、言いたくなければそれでもいい。

 それに、見た目も……かわいいし。元気で見ていて飽きないし。


「私、あまり人付き合いとか、教えるのとか、上手じゃないかもしれませんが……それでもいいですか?」


「え? い、いいんですか⁉ 私、本当に弟子にしてもらえるんですか?」


 アリシアは心から驚いていた。自信満々そうに振舞っていた割には、内心では断られてもおかしくないと思っていたのだろうか。少し意外だ。

 私が少し照れながら頷くと、アリシアは満面の笑みで喜んだ。


「ありがとうございます、これからよろしくお願いします、お姉さま!」


「よろしくお願いしますね、アリシアさん」


 アリシアに可愛く、お姉さま、とか呼ばれて悪い気はしなかったのだが……一体どうして魔女にそこまで入れ込んで、憧れるのだろう。色々聞きたいことや、知りたいことは山積みだったが、おいおい話していくとしよう。


 なんたって、数年ぶりにこんなに人と話したのだから、それだけで少し疲れてしまった。少し、酸素が足りないような、くらくらとする感じがする。


 アリシアにもくつろいで長旅の疲れを癒してもらって、私も少し休憩するとしよう。

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