第一部 白魔女と弟子

第一部 第一章 ぐいぐい来る弟子

第1話 森の白魔女


 こぽこぽと、美味しそうなシチューが煮立つ音がする。


 鍋の中の白いとろりとした液体をぼーっと観察しながら、甘ったるい湯気の香りを嗅いでいると、顔面から力が抜けて、口の端からよだれが垂れ落ちそうになってくる。


 私が鍋を、恍惚とした顔でかき回している姿を遠くから見た者が、もしいたとしたら……その者は言うだろう。


 この女は魔女だ! と。


 まさにその通り。私は人目を避け、深い森の奥に住む魔女である。


 名を、マリー・マナフィリアと言う。


 人目を避けるのには理由がいくつかある。まず、私が単に人付き合いが苦手だからだ。そして次に、私が転生者だから。


 転生者は強大な力を持ち、見つかり次第ほとんど強制的に、王国に雇い入れられる。お給料はいいらしいが、命令には背けず、戦争にも駆り出されるらしい。


 そういうことが好きな輩もこの世の中にはいる。自分の能力を最大限発揮したいと思うのは、とても素敵なことだ。


 しかし、私は静かに暮らしたい。


 せっかく手に入れた、二度目の人生だ。

 現代日本に暮らす人々の一部はこう思って生きている。今忙しく将来のために働いて、そしていつか、全ての責任から解放される頃、貯めたお金で静かに老後を暮らしたい。


 私もそう思っていた人の一人であり、そして悲しいかな、終ぞ老後を味わうことなく、急逝してしまったというわけだ。

 それなりの魔法の力を持って転生したと分かった時、私は思った。


 ああ、よかった。老後を手に入れたぞ、と。


 転生した時、身体はすでにある程度成長しており、その姿は美少女だった。


 以前の人生では男だった為、性別に違和感があったが、男らしく振舞っていてはまともと思われず、転生者とバレやすくなってしまう。だから時折人里に買い物に出るときも、女らしく振舞うことは忘れてはならない。そんな生活を続けていたら、私自身を"私"と呼ぶことも、気にならなくなっていた。


 ごくたまに、街に姿を現し、必要なものだけを買いそろえて、そそくさと去っていく私のことを、人々は”森の白魔女”と呼んでいるらしい。


 確かに目立つ白く美しい髪は、それでもこまめに手入れをしないせいで、前髪が長く伸びてしまっている。鬱陶しいが切るのも面倒で、困ったときにいじいじと触るのが癖になってしまった。


 大きなつばのついた白いとんがり帽子と、白いロングドレスが普段着になってしまっているのは、身の潔白を示したい深層心理の表れだったかもしれないが、無駄に目立つ要因になってしまっていたことは、そろそろ認めようと思う。


 全く森から出ずに過ごせばいい、と思われるかもしれないが、転生者といえど魔法ですべてが叶うわけではないのだ。


 例えばシチューで使う牛乳も……


 突然、無から生み出せたらいいのに!


 ……本当に。そうしたら、緊張しながら街へ出なくて済む。


 とにかく、私はそんなこんなで、ギリギリ人間との接点を保ちつつも、なんとか自分なりの静かな人生を、送り始めることが出来ている。


 あと少しだけ、何か一つ物足りないとすれば、それは……野菜をやわらかくして美味しく食べるために、もう少しだけシチューをおあずけされて、煮込み続けなければならないということくらいだ。


 そんな物思いに耽っていた時、突然、私が住んでいる森の小屋の玄関扉が、軽くノックされる音が響いた。


「えぇっ⁉ ひ、ヒト……? ヒトだ……!」


 人の住む家の扉をノックできる生物、それは、ヒト科、ヒト属、ヒト種の、ヒトである可能性が高い。


 ありえない。


 こんな深い森の仲間で、わざわざ訪ねてきて、それも怪しい小屋の扉を丁寧にノックする者など、今まで全くいなかった。


 こういう時、どうすべきかはわかっている。そう、居留守だ。ただ身体を硬直させたまま、嵐が過ぎ去るのを待てばいいのだ。


 すると、再びノックの音が響き、その音は先ほどより大きな、ドンドンドン、という怒ったようなものになっている。まるで、お前がいるのはわかっているんだぞ、とでも言いたげな勢いだ。


「ひいぃ~! 怖すぎる! 人間怖い!」


 しかし、ドアを蹴破られたりでもしたら大事おおごとだ。私は恐る恐る、そして嫌々玄関に近づいた。それからゆっくり、ゆっくりと、ほんの少しだけ扉から隙間を開けて、外をのぞく。


「は、はーい……どどど、どちら様?」


 全力でどもりながら、そう問いかける。


 屈強な斧を持った男性を想像していたにもかかわらず、何とそこに立っていたのは、私よりもほんの少しだけ背の低い、金髪の少女だった。


 高級そうな、それでいて動きやすいドレスに身を包んで、金の長い髪はハーフアップで綺麗なウェーブがかかっている。何かを期待するような、わくわくしたようなその青い瞳は、この人生を老後などと言っている私にとってはあまりに眩しく輝いていた。


 顔立ちも整っており、はっきり言うなら、その姿はこんな場所には似つかわしくない、絶世の美少女だった。


「わぁーっ……本当に居た! 森の白魔女!」


 そりゃいるよ。なんたって私の家だからね。


 すぐ襲われるような心配はなさそうなので、ゆっくりと扉を開いて、私はちゃんとその子の前に姿を現すことにした。


「憂いを帯びた白い瞳……透き通るような髪も素敵! まさにおとぎ話で夢見た、優しい森の魔女だわ……」


「あ、あのあの……誰ですか?」


 どもるのは仕方がない。なぜなら、しばらくまともに人と話していないから。喋るだけで冷や汗が止まらないのだ。勝手に自分の世界に入った少女を、何とか現実に引き戻そうと、私は無理をして言葉を発した。


「私、アリシアって言います。私を弟子にしてください、お姉さま!」


「お姉さま⁉」


「はい、マリーお姉さま!」


「あぁぁ……」


 怖い、人間怖い。


 初対面の人をお姉さま呼ばわりが、今時のトレンドなのだろうか。人の間に生きていないので、流行がまるで分からない。


 とはいえ、最寄りの街からこの小屋に来るまで、何時間とかけてやってきたのだろう。その証拠にブーツは泥にまみれ、高そうな服も所々汚れている。このまま追い返すのは、さすがに忍びない。


「とりあえずた、立ち話もなんですし……どうぞ……」


 かくして私はこの小屋を魔法で建てて以来、初めて、他人を中に入れることにしたのだった。






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