26. 家族肉の柔らか煮込み

「魔神…………!?」


 聞き覚えのある言葉に反応するアヴェン。


「そのとおおおおおおり!!! 私は気高き、誇り高き、誉れ高き魔族の頂点、魔神なのでございますよおおおお!!!」


 アヴェンは、前にアードロンが語っていた内容を思い出す。


 1000年前に神々が遊びでつくった魔族、その中でも神に近しい力を持ったものを魔神と呼ぶ。

 500年前に神の力を与えられた初代勇者によって封印されたが、その封印がついに解かれてしまったのか。


「お前が人間の振りをして教会に潜り込んだ……それがラートン……。最初から、ラートン・クーアという人間は存在しなかった……」


「そうです!! ようやく正気を取り戻してきたようですねええええええ!! 対話ができない人間に生きている価値などありません!! 嬉しいですよ、その赤く濡れた心臓を動かすだけの価値があなたにあって!! そうでなければ、10年ともに過ごしたあなたを残酷に冷酷にぶち殺さなければならなかった!! それは私にとってあまりにも過酷な試練!!」


 魔神、ザリファ・リポロは、両腕で自身の体を抱きしめくねくねと体を揺らす。


「ふざけるな……! 俺は大切な家族だと思ってたんだぞ……! やっとできた、大事なつながりだから、絶対に手放さないようにって思ってた……なのに……」


 アヴェンは目を鋭くとがらせ歯を食いしばり、拳を硬く握って怒りを顕にした。


「全部嘘っぱちだったってのか!! 俺が宝物みたいに思ってたあの日常は偽物で、お前みたいな狂った化け物の手のひらの上で弄ばれてただけだったのかよ!!!」


 この世界でようやく手に入れた平穏。

 そこに隠れ潜んでいた真っ黒な嘘。


 結局前世と同じ、弄ばれるだけの人生。


 ザリファは仮面を一定のリズムで左右に揺らしながら、そのリズムに合わせて右手と左手の人差し指を指揮棒のように軽快に振る。


「それは、それは、それはそれはそれは、それはああああああああ!!!」


 そしてピタッと動くのをやめ、右手の人差し指を上に、左手の人差し指を下に向けた。


「半分正解で半分不正解です」


 ザリファの両手がゆっくりと仮面の方に移動し、口を模した三日月型の模様に指先が触れる。

 その様はまるで、信じられない光景を目にして驚き、嘆いているかのようだ。


「あなたは、あなたはあなたはあなたはあなたは、なんと悲しいことを口にするのですか!! 嘘? 偽物? 弄ばれただけ? あなたの過剰なマイナス思考に私は、涙腺を駆け上る清く美しい液体を止めることができないのです!! ああ、悲しい!! 辛い苦しい切ない、小鳥のように温かく傷つきやすい私の心が、じゅくじゅくと痛むのです!!!」


 ガタガタと激しく体を震わせるザリファ。


 その異常な反応に、アヴェンの中で湧き上がっていた怒りが徐々に恐怖に浸食されていく。


「私はあなたたちと過ごした儚い日々を、尊く光り輝く宝石のように貴重なものだと思っていたというのにいいいいいいいいいい!!! 人間という無価値な肉片の中で、あなたたちだけはこの世に二つとない希少な肉片だと考えていたんですよおおおおおおおお!! だからこそ、あの幸せな日々の半分は嘘偽りのない本物のきれいな日常だったのです!!!」


 ザリファは両手で仮面全体を覆い、うつむいて泣き始めた。


「およよよよよよ……およよよよよよよよ……およよよよよよよよよよ……。あのかけがえのない日々をそんなにも無慈悲に、そんなにも無神経に、無意味で無価値で無機質なものだと言うなんて……。今までの日々の半分は平和で有意義な大切な時間だったというのに……。そして――」


 泣き声が止み、仮面を覆っていたザリファの手が左右にパカッと開く。


「もう半分はただの肉料理です」


 冷たく嘲笑うような声音。


 アヴェンの背筋にゾクリと悪寒が走る。


「勝手に動いて適当に喋る大きめの肉が教会という器に盛り付けられ、幸福のスパイスと平穏のソースで味付けされただけの、無味無臭で味家のないお粗末な一皿です。フォークとナイフで狙われていることにも気付かず、皿の上を世界の全てだと思い込み、柔らかく煮込まれた肉塊同士が戯れるのを食卓の椅子に座って眺めるのは、非常に滑稽で心躍りましたよ」


 ザリファの右腕がフォークに、左腕がナイフの形に変化する。


「言ったでしょう。ピクニックをする家族を見たのがきっかけだと。彼らは仲睦まじくお弁当を食べていました。食べられる側がものを食べるなど、なんて馬鹿らしいことでしょう。それを見て私も試しに、食べられる側になってみたいと思ったのですよ」


 左腕のナイフを肉を切るように動かし、右腕のフォークで切られた肉を口へ運ぶ動作をする。


「ひじょおおおおおおおおおおに面白かった!!! 皿の上から見る景色はこんなにも醜く、こんなにも汚く、こんなにもみじめなのだと、深く深く深ああああああく理解できたのですよ!!! あなたたちはもはや肉塊ですらありません!! 口に入れることさえはばかられる、腐卵臭漂うゴミ同然のただの残飯なのですからああああああああああああああ!!!!」


 侮辱、軽蔑、嘲笑、罵倒。


 アヴェンの日常に向けられる、悪意のみの罵詈雑言。


「ザリファ・リポロ、てめえだけは絶対に許さねえ!!!!」


 冷え切った体に無理矢理力を込め、アヴェンは思い切り地を蹴り飛び上がった。


「【黒神こくしん御腕みうで】!!!」


 その悪辣な仮面に一撃入れなければ気が済まない。


 怒りで爆発する全開の魔法。

 アヴェンは漆黒の武装を纏った右腕を振りかぶり、そして――


「【乱伝体らんでんたい】」


 ザリファが静かにつぶやくと同時に、アヴェンは拳を振るうことなく地面に転げ落ちた。


「!!!?」


 黒神の魔法も解けてしまった。

 何が起こったのかわからない。


 唐突に体が言うことを聞かなくなった。


 まるで、電池が切れたおもちゃのように。

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