9. 黒いもやは暴れん坊

 アヴェン・ロード、5歳。


 少し前までは歩くことすらおぼつかなかったが、今では元気に野原を駆け回ることができる。

 顔にあどけなさは残っているものの、目つきはより鋭くなった。



『 アヴェン様もだいぶ大きくなりましたね。 のびのびと成長していく姿をおそばで見ることができて、私は嬉しく思いますよ 』



 教会の正面に広がる原っぱ。

 そこに堂々と立つアヴェンの姿を見て、アードロンは感慨にふけった。


「5年も経てばそれなりに成長はするだろ。子供だし、なおさら大きくなる速度が速いんだよ。それにしても、アードロンは見た目が何も変わらないな。骨が成長したりはしないのか?」


 5歳ともなれば、当然自分の口で話すことができる。


 もっと小さい頃のアヴェンは、頭で言葉を思い浮かべて、テレパシーのようにアードロンと会話していたが、今は直接声を発して喋ることができるのだ。



『 元々、私の体を構成する骨は地上世界の死骸を拾った物ですから、成長することはありません。 スプリテュスの成分を注がれているので逆に朽ちることもありませんが、一定のダメージを負えば、私の意識は消滅し、ただの死骸に戻ることでしょう 』



 生と死の概念がないアードロンは、死ぬことがない。

 しかし、その体が意識を保持できないほどにボロボロに壊されてしまえば、意識が外側に漏れ出し、消えてなくなってしまう。


「アードロンは馬鹿みたいに強いから、そんなことにはならないと思うけどな。もしお前でも対処しきれないような状況に陥ったら、俺なんて一瞬で死んじまうよ」



『 そうならないために、今日から魔力操作を覚えていきましょう。 アヴェン様が待ちに待った、強くなるための特訓ですよ 』



 ついにここから、魔法の習得が始まる。


 アヴェンの体は、黒いもやを操れるほどに成長した。

 もう簡単には、最初の爆発のような力の暴走は起こらない。


 アードロンの見立てでは、アヴェンはすでにあのときの爆発以上の力を体内に有している。

 それを涼しい顔で保持し続けるアヴェンを見て、アードロンは将来が楽しみになった。



『 まず、アヴェン様が保有するその黒いもやは、可視化された魔力の粒です。 それを自在に操りコントロールすることで、黒神の魔法を行使することが可能になります。 最初はその黒いもやの操作を練習してみましょう。 右腕を前に出してください 』



「こうか?」


 アヴェンは指示通り、腕を前に突き出す。



『 アヴェン様の黒いもやは、他の人間の魔力とは違う特別なものです。 その操作は困難であり、闇雲に制御しようとしても決して上手くいきません。 なので、腕を媒体として、魔力の放出速度やその量を調節していきましょう 』



「具体的にはどうするんだ?」



『 魔力は血液と同じように絶えずアヴェン様の体を流れております。 腕の中心の方に意識を集中すれば、その流れをとらえることができるはずです 』



「腕の中心の方だな。わかった、やってみる」


 アヴェンは自身の腕を見つめ、皮膚の下、筋肉の中、骨の周りに意識を集めた。


 すると、だんだんむずがゆいような感覚が腕の内部から溢れ出てきて、それが手のひらの方に駆け上っていく。


「うわ!! これ、このままで大丈夫なのか!? 抑えた方がいいのか!?」



『 そのまま、集中を切らないでください 』



 溢れ出す魔力の奔流に恐怖を覚えながらも、アヴェンは魔力を放出し続けた。


 そのとき、アヴェンの手のひらの中心から、黒いもやが噴水のように吹き出した。

 空中を舞い、広がっていく黒い魔力の粒子。



『 手のひらの30センチメートル上の辺りに意識を向けてください。 そこに黒いもやを押し固めるように集めるのです 』



 アヴェンが手元の空をじっと見つめ集中していると、少しずつ周囲を漂っていた黒いもやが集まりだした。

 渦巻きながら魔力の粒が結集し、小さな黒い球体がつくられ始める。


 アヴェンの額に汗がにじむ。

 思った以上に魔力操作は体力を消耗するらしい。


「もう少し……もう少しだ……!」


 あと少しで、空中の全てのもやがアヴェンの手元に集合する。


「あ、やばい!!」


 そのとき、アヴェンの腕を通る魔力の流れが乱れ、集まっていたもやがうねりだした。


 アヴェンの脳裏に蘇る、黒いもやの爆発。

 あれが再び起きてしまうのか。


 その恐怖に、さらに魔力のコントロールが乱れる。


「ダメだ、やばい!! もう……!!」



『 目をつぶってください 』



 焦燥に駆られる意識の中で、アードロンの穏やかな声が響いた。

 その声に従い、アヴェンはとっさにギュッと目をつぶる。


 瞬間、荒れ狂い暴れ出していた魔力が一瞬で消滅した。


「……え!?」


 あまりにも突然だったため、アヴェンは驚き、声を上げる。


 まるで魔力が眠りについたかのように、ぱったりといなくなった。



『 もう目を開けて大丈夫ですよ 』



 アヴェンが恐る恐る目を開くと、アードロンの人差し指の先が、魔力の放出口であるアヴェンの手のひらの中心に触れていた。

 認識外の闇の中で、アードロンが制御不能になったアヴェンの魔力を消し去ったのだ。



『 アヴェン様が生まれたばかりの頃に発生したあの爆発であれば小指一本で止められましたが、今回は人差し指でなければ止めることができませんでした。 アヴェン様が成長した証です 』



「成長したっつっても、まだ指一本で対応できることに変わりはないんだな……。 でも確かに、昔よりは魔力を制御できてた気がする」



 転生したての頃に比べれば、遥かに魔力に対する理解が進んでいる。

 しかし、その成長がとんでもなく小さなものに思えてしまうほど、アードロンは強い。


 いつかその強さに追いつける日が来るだろうかと、アヴェンは少し心配になった。



『 最初にしては上出来です。 5歳でここまで魔力をコントロールできる人間は、そういないでしょう。 アヴェン様は間違いなく、将来世界中の人間から尊敬のまなざしを向けられるほど大きな強さを手に入れることでしょう。 それだけは断言できます 』



 後ろからアヴェンの頭をなでながら、アードロンは誇らしげに言った。


 アヴェンが欲しいのは強さだけで、他者からの尊敬など、どうでもよかった。

 しかし、アードロンが自分のことを褒めてくれたという事実は、とても嬉しく感じられた。


 アヴェンは顔をほころばせ、照れくさそうに笑う。


「俺はいつか、アードロンを越えるくらい強くなってみせるから、楽しみにしててくれ!」



『 はい、そのときは全力でお手合わせしたいと思います。 アヴェン様がこの世界に認められる日が、待ち遠しいですね 』



 この日から毎日、アヴェンは魔力操作の練習に励んだ。


 雨の日も風の日も、暑い日も寒い日も、熱が出ている日はアードロンに止められながら、アヴェンは鍛錬を続けていった。


 体も鍛え、身長も順調に伸びていく。


 月日が経ち、普通の子供ではあり得ないほどの成長を、アヴェンは遂げていった。

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