8. 初めての握手

 少し時が経ち、アヴェンはようやく一人で歩けるようになった。

 頭からは黒い髪の毛が生え、目元はほんの少し尖ってきている。



『 上手に歩けるようになってきましたね。 おめでとうございます、アヴェン様 』



 教会の中でアヴェンが練習がてら歩いていると、いつの間にか隣にアードロンが立っていた。



 ――アードロンは本当に気付いたらいつもそこにいるよな。神々の使者ってのはみんな、そうやって瞬間移動するもんなのか?



 神々の使者が全員、瞬きしている間に移動するのなら、天上世界は無数の静止画が連続して映し出されているように見えるのだろうか。



『 地上世界ではそうですが、天上世界では普通に動いていますよ。 地上世界だと勝手が違うので、この闇渡やみわたりという方法で移動しているのです 』



 アヴェンは小さい足でぺたぺたと歩きながら首をかしげた。



 ――闇渡りってのはどういうものなんだ?



『 闇渡りとはその名の通り、闇の中を動く移動方法です。 地上世界において神々の使者は、光の中を移動することができません。 そのため、闇を利用する他ないのです 』



 闇の中ということは、影ができている場所でだけ動けるということだろうか。



 ――でも、お前が最初に俺に近づいてきたとき、教会の中は普通に明るかったぞ?



『 それは、光と闇の定義が私とアヴェン様で異なるからです。 神々の使者にとって光とは、お仕えしている主様の認識内のこと。 闇とは、逆に認識外のことを指します 』



 ――認識内と認識外?



『 はい、つまり、アヴェン様がその目で見ている視界の範囲が認識内となり、私にとってはそれが光の範囲です。 その中で私は動けません。 ゆえに、アヴェン様には私が止まって見えるのです 』



 簡単に言えば、アヴェンがアードロンを見ている限り、アードロンは動けないということだ。



『 そして、アヴェン様の視界の外側、見えていない範囲は認識外となり、それが私にとっての闇。 私は日々、その中を動いているので、アヴェン様には私が突然現れたり消えたり、近づいたりしているように見えるというわけです 』



 アヴェンが目を閉じれば視界が閉ざされ、認識外となった闇をアードロンが動けるようになる。

 目を開ければ、視界に移る範囲が認識内となり、その光の中をアードロンは動けない。


 アードロンが瞬きのうちに移動するのは、そういうルールに従って動いていたからだ。



 ――なるほど、お前もけっこう大変だな。いっつもそんな面倒臭いやり方で移動してたのか



『 私の苦労をご理解いただき、ありがとうございます。 しかし、最も厄介なのは認識外の闇が本当に真っ暗で何も見えないこと。 この了外灯りょうがいとうがなければ、私は闇の中で途方に暮れてしまいます 』



 そう言って、アードロンは瞬きのうちに、手に持っていたランプを少しだけ上に掲げた。



 ――そのランプってそのために持ってたのか! 周りが明るいときも持ってるから、すごい不思議だったんだよ!



『 アヴェン様が私を見てくださっているときはよいのですが、視界から外れた瞬間、私の世界は闇に包まれ何も見えなくなってしまいます。 ですから、これは私にとってなくてはならない必需品なのです 』



 了外灯の有無は、アードロンにとって死活問題ということだ。



『 興味がおありであれば、この了外灯の効果を体験なさいますか? 』



 ――そんなことができるのか!?



『 はい、お手数ですが、一度目を閉じてください 』



 アードロンの言葉に従い、アヴェンは目を閉じた。


 認識外となった闇の世界。

 その中をアードロンがゆっくりと動き、アヴェンの顔に了外灯を近づける。



 ――あれ? なんか見えるぞ!! 



 目を閉じているはずなのに、目の前にある了外灯やアードロンの姿がはっきりとわかる。


 見えているわけじゃない。

 しかし、そこにあるということが鮮明にわかるのだ。



『 アヴェン様にとっては不思議な現象でしょう。 それもそのはず、これは感覚ではなく情報ですから。 神経や器官を通して感じるのではなく、そこにある物の情報がアヴェン様の脳に直接書き込まれている状態。 本を読むのではなく、自分が本になり文章を書き記されているようなものです 』



 そんなアードロンの説明をよそに、アヴェンは全く別のことに驚いていた。



 ――ていうか、アードロンが動いてるところ初めて見た!!



 了外灯を通してならば、認識外の闇の中で動くアードロンを見ることができる。


 いつも全く動くことのなかったアードロンが、ゆっくりと穏やかに人間と同じように動いている。

 心なしか、アードロンの頭蓋骨が微笑んでいるように、アヴェンには見えた。



『 動いているところを見られるなど、お恥ずかしい限りです。 闇の中ではどうにも、気が抜けてしまう節があるようで……』



 ――別に問題ないだろ、もっと目一杯動いてくれていいんだぜ! ほら、試しに握手してみよう!



 認識内だと、アヴェンが手を差し出してもアードロンは動けない。

 しかし今の状態なら、アードロンが動くのを見ながら、握手を交わすことができる。



『 握手……ですか……!? 』



 アードロンの声には、驚きと困惑が混じっている。


 主に仕え、命令に従うのが神々の使者の使命。

 ゆえに、アードロンにとって主は、絶対的な主従関係を結んだ恐れ多いお方。


 そんな主の手に、握手などという軽薄な形で触れてしまっていいのか、アードロンは迷っていた。



 ――どうしたんだよ、ほら!



 躊躇するアードロンをよそに、アヴェンは手を前に突き出した。



『 アヴェン様がそうおっしゃるのであれば…… 』



 それが主の命令ならば、従う意外に選択肢は残されていない。


 アードロンは恐る恐るランプを持っていない方の手を、アヴェンの方に近づけた。


 その瞬間アヴェンは、アードロンの手を捕まえるようにガシッと握った。



『 !!? 』



 アードロンはビクッと体を震わせ、ないはずの心臓がドキリとはねた気がした。


 アヴェンの手から伝わる、生命の温もり。

 この世に誕生して以来、一度も直接触れたことのない温かさ。



 ――こうやって握手したら何だか親近感が湧いてくるな! これからもよろしく、アードロン!



 アヴェンという男は、今まで仕えてきた主とは何かが違う。

 アードロンの心に不思議な感覚が芽生え始めた。



『 はい、こちらこそ、よろしくお願いいたします 』



 その感覚は温かく心地よく、今のアードロンにはまだ理解ができないほどに、優しかった。

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