7. 400年越しの夢
数週間後、アヴェンの怪我は傷を残すことなく完治した。
焼死体と見間違うほどに黒く染まっていた皮膚は、血色の良い白みがかったオレンジに戻っている。
ガチガチに巻かれていた包帯から解放されたアヴェンは今、シスターの温かい腕に抱かれミルクを飲んでいた。
シスターの包容力、柔らかい日の光、平和で穏やかな日常。
地獄だった前世とは比較にならないほど幸せな暮らし。
そして、シスターの横に座る不気味な骨格標本。
――おい、お前だけ違和感ありすぎだろ!! シスターの優しい微笑みの隣に白骨がいたら雰囲気ぶち壊しじゃねえか!!!
その存在は明らかに異質。
漆黒のローブを羽織り、片手にはランプ。全身は真っ白な骨。
正体がわかったとはいえ、唐突にアードロンの姿が視界に入ると、アヴェンは一瞬ドキリとしてしまう。
『 そう言われましても、私はアヴェン様を見守る者。 その役目を果たすためにはこうする他ありません。 神の力の使い方を教えるにしてもアヴェン様はまだ幼すぎますし、もう少し成長なさるまでは、こうしておそばに控えさせていただきます。 心配せずとも、神の力を宿すアヴェン様以外には私の姿は見えませんので、ご安心を 』
――俺以外に見えないのはありがたいけどさ、そのせいで俺の視界は生と死で入り乱れてんだよ! ていうか、そもそもお前は生物なのか? 生きてるのか死んでるのか、どっちなんだ?
白骨が意志を持って動いていたら、これは生命として定義されるのか。
神々の世界に常識が通用するとは思えないが、アヴェンはできるだけ理解するように心掛けていた。
自分の力の根幹に関わるところであるため、無視はできない。
『 その質問にお答えするためには、神々の使者の作り方から説明する必要があります 』
――作り方?
『 はい、我々神々の使者は、地上世界にある動物の骨に、スプリテュスの成分を注入することによって生み出されます。 神々が地上世界に糸を垂らして骨を釣り上げ、天上世界にて力を与えてくださり、我々が誕生するのです 』
――動物の骨を拾って力を与える……。神はそうやって自分の従者を増やして、手駒にしてるってことか?
天上世界というのはきっと、神が住んでいる場所のことだろう。
アードロンの話から察するに、地上世界よりも上に位置すると考えられる。
『 そういうことになります。 ゆえに、私は意識を持った動く死骸。 生物では決してありませんが、生きているとも言えますし、死んでいるとも言えます。 この世で最も不確定な存在として、かれこれ400年間神々に仕えてきました。 もしかしたら、アヴェン様の骨もいつか神々の使者の一部になるかもしれませんね 』
死後は自分の骨を粉々にして海に巻いてもらおうと、アヴェンは心の中で思った。
自分の意識がそこにないとしても、神々の下僕として使われるのは嫌だ。
――それにしても、400年ってすごいな。 そんなに長い間こき使われて、嫌になったりしないのか?
アヴェンならとっくに神に殴りかかっているだろう。
そのくらい途方もない時間を、上から指示するだけの神々のために費やすなんて、アヴェンには考えられなかった。
『 それが私の存在理由ですから、何も不快には感じません。 私は神々の手足として、命令に従うのみ。 そこに自身の意志や感情が介在する余地はないのです 』
天上世界のことはアヴェンにはわからない。
しかし、例えそれが覆しようのないこの世の理なのだとしても、アードロンにだって意識はある。
意志を持って動き、感情を抱きながらアヴェンと会話する。
それを、使命だからと押し殺して、世界のルールになすすべもなく呑まれていくのは、アヴェンの前世と通ずるところがあった。
アヴェンも、貴族たちが勝手に決めたルールに従わされ、意志も感情もないおもちゃのように扱われた。
そして最後は、理不尽に命を奪われた。
――お前はそれでいいのか? お前には何かやりたいこととかないのか?
アヴェンはアードロンの目をじっと見つめた。
もしかしたらアヴェンとは違って、アードロンには自分の夢や目標が何もないのかもしれない。
神々に従うことを是として生きていくことが、一番幸せな未来なのかもしれない。
しかし、もしそうではないのなら――
『 私は神々に仕えるだけの存在。 命令を受け実行するだけの骨の人形。 そうやって400年間、何の迷いも持たずに生きてきました。 私自身がそのようにつくられたので、そう生きることに何の疑問も感じません。 ただ、一つだけ、自分の願望を述べてもよいのなら、私は……』
アードロンはそこで言葉を詰まらせた。
言いよどんでいるのだろう。
今まで自分の意志を口にしたことなどなかったから。
アヴェンはアードロンの言葉を待った。
その先の言葉がきっと、アードロンという不思議な存在を理解するための、重要な手がかりになると思ったからだ。
アードロンは迷いながらも、日差しが降り注ぐ窓の外を眺めてつぶやいた。
『 スプリテュスを食べてみたいです…… 』
その返答に、アヴェンは小さく笑った。
――あるじゃん、やりたいこと
神々に仕えるだけの意志のない人形。
命令に従うだけの感情を持たない骨格標本。
違う。
それは違う。
例え本人がそう思っていても、それだけは違う。
――それさ、いつかやろうよ。美味いかまずいか、自分の口で確かめたらいいじゃん。400年も頑張ってきたんだから、一つくらい自分の願いを叶えたって、罰は当たらねえよ
生きていても死んでいても関係ない。
そこには確かな、意志と感情がある。
『 そんなことを言っていただいたのは初めてです。 神々にとって私はただの道具でしかないですから…… 』
――俺だって最初はお前のことよくわからなくて怖かったけどさ、今は違うぜ。なんてこたあねえ、蓋を開ければお前は、スプリテュスの味が気になってるだけの、だたの食いしん坊じゃねえか
だから、アードロンは最初にスプリテュスの味をアヴェンに聞いてきたのだ。
アヴェンの視界に映るアードロン。
その姿に、不気味さはもう感じなかった。
『 アヴェン様、ありがとうございます。 私は天上世界において極めて下級な存在ですが、そんな私でも望みを持つことが許されるのなら、私はいつか、この夢を叶えてみようと思います 』
400年間、押し殺してきたアードロンの願い。
心を縛り付けていた神々の鎖が、少しずつ緩み始めた。
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