4話 ~消える服~
「……グルッ」
獲物をターゲットした、捕食者の目。
ギラン、とキバが太陽に反射して、獣の赤い舌がユラユラと揺れる。
(こ……殺され、る……!?)
こんな、こんなところで。
すっぱだかで、異世界に放り込まれた、こんなわけのわからない状況で――!?
恐怖で、足がすくんで動かない。
足の裏が地面を踏みしめるのすら、どこか夢の中のように感じる。
巨大オオカミが、グッ、と前足に力をこめた。たてがみが波打って、グンッ、とその場で大きくとびあがって――大きな口が、間近に迫る。
「ッ、ぐ……っ!?」
く、食われる!?
キバが肌を突き破り、赤い血が噴きあがる――その痛みを想像し、思わずうずくまった瞬間だった。
「ガゥ、ガウ……キャインッ」
キバが皮膚に食い込む――直前、緑のオオカミは、ビクンッ、とその場で突然後ずさった。
「えっ……?」
悲鳴のような獣の鳴き声に、パッと閉じていた目を見開いてオオカミを見る。
怪物は、そのままシナシナと耳としっぽを下へ垂らすと、ズズズッ、と後ろ足で後ずさり始めた。
「え……え? い、いったい、なに……?」
もしや、誰か助けが!? と周囲を見回した。
しかし、目に映るのは、誰もいない静かな村の光景だけだ。
「ウウウ……」
巨大オオカミは、恐怖のまなざしで私をしばらく見つめた後、なにか恐ろしいものの気配でも感じたかのように、またたく間に逃げ去っていった。
(え、え? いったいなに? どういうこと?)
もしや、私の内なる力が発現した!? と期待して手を太陽にかざしてみたものの、なんの変哲もない普通の手が光に透けているだけだった。悲しい。
「ま、まぁともかく……助かった、かな?」
ひとり言には、当然誰からの返事もなかった。
キョロキョロと入念に周囲を見回しつつ、その場で待ってみたものの、オオカミが戻ってくることも、他に人や獣が現れることもなかった。
「よし」
ゆっくりと腰を上げて、あらためて廃村らしき集落をグルッと見回した。
家のとなりに畑もあったが、土は荒れて雑草が生え放題。
建物はあちこちが壊れたり崩れたりしていて、剥がれた屋根の上では、小鳥がピチピチとさえずっている。
「なにか……あったのかなぁ」
昨日今日で人がいなくなった、という感じではなかった。
はやり病でみんな亡くなってしまったのか、危険が迫ってどこかへ一律で避難でもしたのか。
ただ、幸いといえるのは、死体らしきものはないということだ。
建物も、壊れてはいるものの、雨風をしのげる程度に形は残っている。
とりあえず、この先の進路が決まるまでは、ここで野宿かなぁ、なんて考えているとき、ハッとひらめいた。
「そうだ……どこかに、服があるかも!」
廃村のようだし、どこかの家のクローゼット、いや、この世界観だとタンス? に、古い服の一つでも入っているかもしれない。
この際、デザインだ色だの言っていられない。
とにかく、着られるものでさえあれば――!!
「盗むのは気が引けるけど……緊急事態だし、許してもらおう」
火事場泥棒になってしまうのは、非常にいたたまれない。
ただ、いつまでもハダカでウロウロしているのは、もっとツラい。
罪悪感にジリジリとさいなまれつつ、カギのかかっていない扉を押し開けつつ、家屋の中を確かめていく。
「あれ……意外となんにもない……」
家具はそのまま残っているモノも多いものの、食料や衣服などはまったくと言っていいほど見当たらない。
この世界の時代背景、というか世界観すらまだわかっていないものの、布の服のひとつやふたつ、あってもいいんじゃないだろうか。
そんなことを考えながら、カギのない家をひとつひとつチェックしていくと、
「あ……あった!!」
白Tシャツを五十回くらい洗濯機につっこみ、紫外線に当たらせまくったらこうなるだろうなぁ、というようなシャツと、
寝間着としては使えるけど、外には着ていけないよね、と評価が下るようなヘタれたズボン。
その二つが、捨てるのを忘れてました、という感じで、タンスの隅っこに放り込まれていたのだ。
「……すみません、失礼して」
幸い、洗ったあとのものだったのか、臭いはない。
他人のもの、という罪悪感をヒシヒシ感じつつも、ようやくの服だ。
(ようやく、ようやく、すっぽんぽんから解放される――!!)
まずは上からと、シャツを頭からすっぽりかぶった、その瞬間だった。
ボフンッ
「っ、うえっ!?」
たったひとつの服が破けた。
いや、この表現は適切じゃない。
爆発四散したのだった。
(これ……あの、リンゴもどきと魚のときと、まったく一緒じゃん!)
と、手のひらに残った布の破片を見下ろす。
「ひ、ひとつきりの、シャツが……」
いや、まだだ。まだ、ズボンが残っている!
今度は慎重に、右足からそっと足を通す。しかし、
ボフンッ
「あああ……なんで……」
ズボンも同様、粉みじんに吹き飛んでしまったのだった。
「ふ、古かったから? それとも、服を着るって行為自体が……爆発のキッカケに……?」
間違いない。なにか、特殊な力の存在を感じる。
ただ不思議なのは、さわった瞬間は平気なのに、なにかアクションを起こそうとしたタイミングで爆発する、ということだ。
しかも、粉々に。跡形もなく。
「…………。干渉するな、ってこと……?」
もしかして、異世界から来た人間は、この世界のモノと相いれない、ということだろうか?
『異界のモノを食べると、元の世界に戻れなくなる』とはよく聞く話だ。
昨日、食べようと思った魚が爆発してしまったのは、もしかしたらそのせいなのかもしれない。
「……ていうか、どうしよう、コレ」
服は着られない、お金もない。
魔物やら兵士やらがいたから、剣と魔法とファンタジー! な世界観であるのは、たぶん間違いないはず。
でも、なんかこう、勇者として魔王を倒すとか、聖女として特別な魔法を習得するとか、そういう以前の段階でつまづいてしまっている気がする。
「……あー、来週火曜日までの締め切りの仕事、大丈夫かなぁ……」
元の世界へ現実逃避しつつ、服を見つけた家のベッドにゴロンと横たわった。
幸い、屋根は壊れていないし、ベッドも軽くホコリをはたけばキレイだ。
あのほら穴の中では、いくら横になっていても眠れなかったし、今も眠気はないけれど、ちょっとは体を休めておきたい。
それに、この先、どうすればいいのか、まったく思い浮かばないし。
あまりにも現実離れした環境に、いまだにコレは夢では? という思いもある。でも、こんなに長い夢というのも変だ。
「寝よう……うん」
眠れば、ちょっとは良い考えが思いつくかもしれない。
グッと両手を伸ばしてベッドに寝転んだまま、パチリと目を閉じたのだった。
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