二 綾瀬と光と真希

 時間はどこにいても平等に流れるはずなのに、名古屋はもしかして時間の流れが異なるのでは、とくだらない想像をしてしまうほど真希は変わっていなかった。私や光はそれなりだけど年相応に化粧も変えているし、学生時代とは明らかに見た目は違っている。私たちがおかしいのかなと思うくらいに真希はあのころのままだった。

 外見だけの話ではない。光が部屋に入ってきたときのとろけるような目。隠そうとしても隠し切れない光への想い。私にすら嫉妬するところまで大学生の真希と同じだった。二人で話している間は、私のことを見てくれていたのに、ウェディングドレスに身を包んだ光が現れると、真希の世界から私は消える。別れてから五年が経っても、真希は光を忘れることができていない。

 私が真希のことを忘れられないのと同じように。

 いや、真希のそれは巡礼者のように光を求める永遠の愛であるのに対して、私の気持ちは単に成長していないだけだから、本質的にはまるで違う。一緒にしてはいけない。真希は真希のまま、私の大好きな真希。

「真希、全然変わってないね」

 肘まで隠す白く長い手袋に覆われた手のひらがゆらゆらと左右に揺れる。かけられた催眠を振り払うように真希は顔を振る。見るからに耳が赤くなっている。口ではそんなんじゃないと否定していても、真希の身体に起きている反応全てが、今でも光を好きなのだと声高に叫んでいる。

「綾瀬も。忙しいのにありがとう」

「推しの二人が久しぶりに揃うんだから、出席するに決まってるでしょ」

 大学時代、二人はお互いの関係を隠そうとしなかった。自分の正直な心情を表に出せない私にとって、二人はどうしようもなく憧憬の対象だった。特に真希の他を省みないある種の潔癖症のようなまっすぐさに惹かれた。真希は純粋さの塊だ。いつの間にか憧れは好意に変わっていた。

 大学卒業と同時に真希と光の関係は自然消滅したが、だからと言って真希に言い寄るようなことはしなかった。私が好きなのはいつも光を求めるような目をした真希なのだ。光と真希、二人で完結する関係が完璧なのだから、私が入り込む隙間なんてどこにもない。私の邪な気持ちは成就しようがない。

 私がそんな気持ちで二人のそばにいたことは、今でも絶対的に秘密だ。推しという便利な言葉に隠れて、目立たないように生きるほかない。

「こんな服、着てきちゃってごめんね。主役より目立たないようにって思ったんだけど、光のご家族とか気にされてない?」

「私がお願いしたんだから、全然大丈夫。着てきてくれてありがとう。だって、綾瀬のお父さんがわざわざ買ってくれたんでしょ? 親の気持ちはできるだけ聞いてあげなきゃだし、すっごく綺麗だよ」

「ありがとう。そう言ってくれると、お父さんも喜ぶと思う」

 準備運動のような私との会話を終え、光は真希に正対した。

「久しぶり、真希。今日は来てくれてありがとね。会えて嬉しい」

 どこか抑えたような笑顔で光が真希を見つめると、それまでは魂を抜かれたみたいに見とれていたくせに、真希は光の視線から逃れるように横を向いた。そんな態度を取れば、今でも気持ちがあることを告白しているようなものなのに、そうならざるを得ない彼女がひたすら愛おしい。

 光が真希を見やる目つきも、まるで一生の伴侶を気遣うそれのように柔らかく感じるのは、そうあってほしいと願う私の欲目だろうか。それともさっきの旦那さんに向ける視線は、これ以上の愛に満ちているのか。いずれにしろ、真希は自分に降りそそいでいる穏やかな目色に気づいていない。

「真希もまだ独身なんだよね? つきあってる人とかいないの?」

 天日干しした布団のような暖かな目線とは裏腹に、光が残酷な言葉を吐いた。結婚できる人には、そんなセリフが許されているのか。

「そんな人、いないよ」

 光に届くか届かないくらいのボリュームで「ずっと」と言い足した声が、私には聞こえた。

 その言葉が聞こえたのか分からないけど、光が学生時代と同じ顔で笑った。

「もしかして、今でも女の子の方が好きだったりする?」

「ちょっと、光」

「出来が悪いから」私の言葉を真希の叫びが追い越した。「私は出来が悪いから、光みたいにスパッと生きられないんだよ」

「出来が悪いのは真希じゃなくて、この」

「夢だって言ってたもんね」真希は光の言葉も最後まで言わせない。「大好きな人と結婚して、大好きな人の子どもを産んで、家族みんなで仲良く暮らすのが夢だって言ってたもんね。私は光と結婚できない。子どもだってできない。光の夢を叶えてあげることができない。だから」

 だから二人は離れた。もちろん理由はそれだけじゃないだろうし、どれだけの優先順位だったのか、そんなの二人にしか分からないことだけど、それって今の日本ではどうしようもないことじゃないか。そういう時代じゃないって言ったって、法制度と身体の作りがそうなっている以上、私たちは受け入れるしかない。受け入れた上で、その範囲内で泳ぐしかないのに。

「ごめん、光。やっぱり私、出席できない。おめでとうって思えない。本当にごめん」

 この人は否定する強さを持った人だ。なんて不器用で強くて美しい、最愛の人。部屋を出ていく真希の世界に、やっぱり私はいないのだろう。

 新郎新婦の控え室には、潔白のウェディングドレスを選んだ新婦と認知されないアオザイを着た友人代表が、食べ残しのように二人、佇むだけ。

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