出来不出来
阿下潮
一 真希と綾瀬
「僕、会場の人と話してくるので少し外しますね。光もすぐ戻ってきますから、自分の部屋だと思ってくつろいでてください。お二人は家族以上の存在だからと、光から言われてますから」
そう言って今日の主役の片割れは、新郎新婦控え室から出ていった。あれが光の選んだ選択肢か。スマートな笑顔でフェイドアウトしていったけど、きっと面倒くさかっただけだろう。まあ、結婚式の控え室で嫁の元カノと談笑するなんて、普通の人なら逃げて当たり前のシチュエーションか。私だって逃げたい。光がそういう過去を伝えているのかは知らないけど。
「うまく出てったね」
濃緑のアオザイに身を包んだ綾瀬が、楽しそうに片目をつぶって笑いかけてくる。ただ細いだけじゃなくてしゃんとした芯のある彼女の体型に、異国の正装がよく似合っていた。ベトナムの血が半分流れている彼女は、自らのルーツを誇るように美麗なドレスを着こなしている。
「どう? 現実を目の当たりにして諦めが着いた?」
「別に、今さら諦めるも何も」
綾瀬が本気でそんな風に思って言っているわけではないことは百も承知だ。もちろん私だって光のことを連れ去ろうとかそんな無謀なことを考えているはずもなく。私たちはただの友人代表としてここにいるだけ。お祝いの言葉を伝え、懐かしい昔話でもして、友人の門出に少しだけ涙すれば、それでおしまい。
「家族以上の存在ってどういう意味なんだろね。真希、全然連絡取ってないって言ってなかったっけ?」
「言った。多分五年ぶりくらい。で、いきなり招待状」
大学を卒業して私たち三人はそれぞれの道に別れた。光は大学に残って研究者を目指し、綾瀬はそのまま東京で通訳の道に進んだ。私は一人地元に戻って就職したものの企業体質のあまりの古臭さに我慢できず、すぐに退職して今もバイト生活だ。
光の結婚式のために上京すると伝えたときの母親の顔が浮かぶ。
(やっぱり出来のいい子は違うわねぇ)
小さいころから積み重ねられた言葉。比較対象は近所の子だったり、歳の近いいとこだったりその時々で違ったけど、そのたびに私はばれないように頬の内側を噛んだ。あの子は出来がいいのに、それに比べてお前は出来が悪い子だねぇ、とはっきり言われるわけではなかったけど、自尊心の粘膜を少しずつ内側から剥がされているような気がしていた。感情の痛覚が麻痺したのか、いつごろからか気にならないようになっていたけど、久しぶりに投げられたその言葉に奥歯が無意識に反応した。何も言い返すことができないまま玄関のきしむドアを閉めて家を出てきた。私は今も出来が悪い。そんなこと、言われなくても知っている。
「綾瀬はちょこちょこ会ってたんでしょ?」
嫉妬の欠片も介在しないような声色になっているはず。今さら嫉妬なんて。しかも綾瀬にとか、我ながら節操がなくて笑える。笑えない。
「年に二、三回だけどね。旦那さんと会うのは初めて。大学教員にしてはまともそうでよかったけど、光から教員と結婚するって言われた時は、なんか弱みでも握られてるの? って聞いちゃった。法学部の先生なんて接点あるんだね」少し間を空けて「あと、なんで真希じゃないんだろうって思ったよ」
「だから私たちはもうそんなんじゃないって」
綾瀬は大学時代から私たちを応援してくれていた。当時、私と光の関係を知った男友達が揶揄するようなことを言ったとき、光はふわふわと笑って受け流し、わたしは何もできず泣いた。横で聞いていた綾瀬はそいつをばっさりと斬り捨てた。
(きみ、いつの時代の人間? 頭、大丈夫?)
そういう時代じゃないでしょ、が綾瀬の口ぐせだった。当事者である私たちが引くくらい、将棋のプロみたいに男友達の反論や逃げ口上をこんこんとつぶしていき詰め切った。ぐったりとした男友達を見て、かわいそうにと思ったのと同時に、爽快な気持ちになったことは確かだ。自分の信じる正義と時代性で、彼女は自分の道を歩いている。
アオザイだってたぶんそのノリだろう。日本人の結婚式で友人代表が着ている景色はあまり見たことがないけど、きっとそういう時代じゃない。まっとうにそういうことを正面突破できる、私の愛すべき親友。
出来の悪い私に不釣り合いな、出来のいい元彼女と親友。久しぶりに三人で再会できるかと思うと、改めて思い知らされる。二人には見せられなかった心根は腐ったまま、今もまだここにある。
「私は二人がよりを戻して一緒になるって今でも信じてるんだけどな。だいたい光だって結婚するような相手がいるなんて話してなかったし、そんな素振りも全然なかったんだよ? まさか子ども作っちゃうとはね」
この部屋には私たち以外に誰もいないから気にしていないのかもしれないが、さすがに結婚式のその場で言うようなことじゃない。親族や他の出席者の前で変なことを言わないようお願いした方がいいかな、と思っていると、勢いよく控え室のドアが開いた。
「真希、綾瀬、久しぶり」
純白のドレスを身につけた光は、逃げたくなるくらい綺麗だった。光、本当に結婚するんだな。心から祝福するのだと、全身全霊で自分に号令をかける。
「おめでとう、光」
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