第3話 バスの中の少女

それは、ある日のことだった。

同僚の正美さんが、僕に話しかけてきた。


「健作君、最近は顔色が悪いけど、大丈夫?」

「そうかな?でも、そういえば最近は眠れていないんだ」

「一度、この島の診療所に行ってみたらどうですか」

「そうだね、でも、仕事が残っているからね」


そこに佐藤チーフが入ってきた。


「健作君、気にすることはないよ。僕がフォローするから一度、診療所に行ってきなさい。」

「いいのですか、佐藤チーフ」

「ああ、大丈夫だよ。任せておけって」

「それでは、お言葉に甘えさせていただきます」

「それじゃ、明日にでも行ってきなさい。」

「はい」


確かに僕は夜は眠れないことが最近は多かった。

理由は自分にでもわからなかった。

そして、翌日が訪れたんだ。

僕は家政婦に診療所の場所を聞いた。


「家政婦さん、この島に診療所はありませんか?」


「はい、この家から10分くらい歩いた所にバス停がありますよ」

「でも、一日3便しか走っていないから、バスでいくのは面倒ですね」


「そうですね、でも、運転免許を持っていないから、バスで行くしか仕方ありません」

「そうですね。気を付けて行ってきてください。

「はい」


バス停までは少し距離があったけれども、途中で花が咲き乱れており、美しい海も一望することができた。

バス停に到着すると、診療所行きのバス停まで30分ほど待たないといけなかったのだ。

バスは古く座席も破れた個所があるなど、良くいえばレトロな雰囲気だ。

本当に小さい島は不便であるとつくづく思うのだった。

ようやく、バスが到着して、バスに乗り込んだ。

すると、運転手から声をかけられた。


「健作君じゃないか。近所に住む斎藤だよ」

「あ、斎藤さん、バスの運転手をされていたのですか?」

「ああ、そうだよ、この島は小さいからね。不便極まりないね」

「そうですね。バスには僕一人しか乗っていないのですね」

「そうだよ。このバスも赤字路線もいいところだよ」

「いつも、こんな感じなのですか?」

「ああ、そうだよ。そろそろ、出発するよ」

「はい」


そして、診療所近くのバス停へ到着した。


「気をつけてな。健作君。しかし、あの先生は年配もいいところだよ」

「そんなに、年配なのですか?」

「ああ、君と先生とどっちが患者なのかわからないくらいだよ」

「そうなんですね」

「ああ、まあ、ちゃんと診察をしてくれることを祈っているよ」

「はい」


そして、僕は診療所まで向かった。

診療所までは歩いて30分ほどかかったが、行き道と同様に花が咲き乱れていた。

この島からは、美しい海がどこからでも見渡せるのだった。

診療所の建物は古い木造建ての平屋だった。

玄関も重く開きにくかったけど、僕は不安を抱えて診療所の中へ入っていった。

しかし、受付にも待合室にも誰もいなかったのだ。

待つこと20分、ようやく、女性の看護師らしき人がやってきた。

その人は斎藤さんと同じく近所の人であった。


「あら、健作君じゃない」

「あ、山上さんじゃないですか?」

「そうよ、この島は本当に小さいわね」

「そうですね」

「ちょっと待っていてね。先生を呼んでくるから」


それから、山上さんは先生を呼びにいった。


「先生、先生、患者さんですよ」

「どれ、あいたたたた」

「大丈夫ですか?先生。先生も歳ですからね」

「ああ、歳だけはとりたくないものじゃな」

「それより、患者さんがまっていますよ。患者は私の近所の人です」

「そうか、そうか」


そして、診察は始まった。


「君は名前は?」

「加藤健作です」

「いくつかね」

「20歳です」

「そうか、そうか、今からの人生だな」

「趣味はなんだね?」

「読書です」

「そうか、最近は本は読まないな。読まないというより目が老眼で見えずらいんだよ」

「そうですか」


世間話ばかりで一向に診察が始まらないのに僕はいら立ちを覚えた。


「先生、最近は寝付けなくて、同僚からも顔色が悪いといわれています」


「ああ、それはうつ病というもんじゃな。薬を飲んでしばらく仕事を休みなさい」

「趣味の読書でもしておくんだな。そうしたら、時期によくなるよ」


「本当ですか?」

「ああ、長年のわしの感じゃよ」


僕は診察がいい加減だなと思った。

それは、看護師の山上さんも察してくれていたようだった。

診察が終わり、僕に話しかけてきた。


「ごめんね、健作君、先生はもう歳だから。この診療所もいつまで開いているのかわからないくらいよ」

「いえ、気になさらないでください」


僕は納得がいかないまま、帰るために、再びバス停へ向かった。

何やら、バス停で待つ僕は寂しかった。

生きている事への疑問を感じていた。

そして、バスは到着して、バスに乗り込んだ。


すると、運転手さんの斉藤さんが僕に小さな声で話しかけてきた。


「ほら、健作君、少しだけだぞ」

「どうしました?」

「このバスの最後尾をみてごらん」

「はい」


最後尾の席には、白いワンピースをきた長く黒髪の美しい少女が座っていた。

僕は一瞬のうちに心を奪われてしまった。

なんと、美しいのだろう。僕はそう思ったのだった。

しかし、僕は恥ずかしくて後を振り返ることができなかったのだ。

僕の内向的な性格なのだろう。自分自身が嫌になった。

バスの運転手の前にある大き目のミラーから少女が映し出されており、僕はすっかり見とれてしまったのだ。

少女は窓から海を眺めていたが、どことなく寂しげな印象を受けたのだった。

そして、僕が先にバスから降りた。

バスから降りて、僕は一瞬だけ少女の方を見た。

僕は初めて本当の恋をしたような気分になった。


僕は数日仕事を休んで、再び仕事に復帰したが、気分は相変わらずだった。

どうして、特に理由がないのに、こんなにも空しく感じるのだろうか。

僕は高校の頃から生きている意味がわからなかった。

それが理由だったのかもしれない。


「健作君、相変わらず、顔色が悪いわよ」

「正美さん、やっぱりそうかな?夜になると眠れないんだ」

「それは辛いわね」

「そうだね。診察をしたんだけど、うつ病って言われてさ、そう見えるかな」

「そこまでは無いと思うけど、先生がそう言うのなら、そうかもしれないわね」

「そうかな?」

「でも、疲れもあるのかもしれないわよ」

「それだけだといいのだけど」

「きっとそうよ」


生きている意味って何だろう。

毎朝、夕食も家政婦が豪華な料理を作って普通の人より恵まれている。

生活においてはなんら不自由なく過ごしている。

確かに、友達も少ないし、交際相手もいない。

そのためそう思うのだろうか?

だから、眠れないような気がしてきた。

仕事が大変だったせいもあるかもしれなかったが、その理由ではないように思えた。

沈む夕日が僕を寂しくさせてくれた。

どうして、どうして、僕は生きているんだ。

その答えさえわかれば、夜も眠れるのかもしれない。

そう思うのだった。

思えば、僕は幼い頃から母親の愛情を受けていなかった。

どうやら、家政婦の話によると、母親は父親と若い頃に別れたようであった。

詳しい事は話してはくれなかったが。母親の愛情不足なのだろうか?


僕はその夜は近くの浜辺を歩いていた。

眠れないのもあったが、バスの中での少女の余韻がそうさせたのかもしれない。

波の音が静かに囁き、月は悲しく輝いていた。僕の気持ちを代弁するかのように。

また、少女と再び会うことができるのだろうか?

そう思いながら、ひたすら、浜辺を歩いていた。

なぜか、少女の寂しげな表情が気にはなっていた。

しかし、美しかった。僕は生まれてきてから、あれほど、美しい女性をみたことがなかった。

僕は少女に片思いなのだろうが、それでもいいような気分であった。

ただ、また会いたい、せめて、一瞬でも見る事が出来たならと思うのだった。

そして、家路へと向かった。


僕が家に到着すると、父親はまだ、酒を飲んでいた。

思わず、僕は父に話しかけた。


「父さん、酒は美味しいか?」

「どうした、健作も一緒に飲むか?」

「いいよ、僕は父さんみたいになりたくないから」

「そうだな、その通りだよ」

「父さんは、若い頃はどのような仕事をしていたの?」

「ああ、俺はどうしようもない奴で、会社を転々としていたよ」

「僕もそうなるのかな?」

「駄目だ。父さんみたいになったら駄目だぞ」

「どうして、父さんは朝から酒ばかり飲んでいるんだ」

「いいじゃないか、ほっといてくれ……」


父さんは寂しげだった。僕はそれがとても気になった。

僕は軽蔑もしていたが、なぜか哀れみも感じたところだった。

若い時に何があったのだろうか?

何が父さんを酒に溺れるほどさせたのだろうか?

父さんは生きていて、その意味を感じているのだろうか?


すると、父さんがまた、僕に話しかけてきた。


「健作、俺みたいになるなよ」

「もちろんだよ。父さんは最低だよ。仕事もせずに」

「ああ、そうだな。どうせ俺は……」

「どうしたんだ、父さん」

「いや、いい。ところで、お前は好きな人の一人でもいるのか?」

「どうして、そういうことを聞くんだよ」

「いや……」


父さんは寂しげだった。


冷たい現実が待っていた。

僕は仕事をしていても何もうまくできなかった。


ある日、佐藤チーフが僕の事を心配してくれたのか、飲みに誘ってくれた。


「健作、今日は俺と一緒に付き合え」

「はい」

「健作、何か悩んでいることがあるのか?」

「言いにくいですけど、僕はなぜ生きているのかよくわからないのです」

「そうか、仕事は楽しいか?」

「楽しいという訳ではありませんが、佐藤さんみたいないい人ばかりで恵まれていると思います。」

「そうか、生きている意味がわからないか……」

「そうだな、健作は誰か気になる女性はいるのか?」

「いえ、今のところいません」

「そうか、そういう人が現れたら、また解決するかもしれないな」

「そうでしょうか」

「ああ、そうだと思うよ」


僕も確かにそのような気がしてきた。

あのバスの少女を見てから、僕の気持ちが少しだけれども変わってきたような気がするからだ。


「健作、お前も早く愛する人を見つけられたらいいな」

「そうですね。佐藤さんは奥様の事を愛していますか?」

「そうだな、今はもう愛情はない。ただ、生活を維持するためだけに一緒にいるよ」

「そうなのですね」

「ああ、また、君の年齢くらいに戻りたいよ。そして、また人生をやり直したい。健作も今からだぞ。今が一番幸せなはずだ。なぜ生きているのか考えている事自体が幸せなような気がするぞ」


僕は佐藤チーフの言葉が心に響いた。


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