二章 異世界生活もいろいろある(1)

 突然聞こえた怒鳴り声に、心臓が飛び出すほど驚いた。

 ……言葉がわかる……? あ、翻訳の紙を持っているからか!

「す、すみません……森で迷っていたら、獣に襲われそうになって……逃げ回ってやっと、ここに着いたんです」

 うそは言っていない。ちょっと、説明をしていないことがあるだけだ。

 さっき実験で出したものなんかを、片付けておいてよかった……

 絶対怪しいもんな、ポテチ山盛りの部屋にいるやつなんて。

「なんだ、迷い人か。この森は素人が入ると危険なんだぞ!」

「全然知らなくて、迷い込んじゃったんですよ……ここがどこかもわからなくて……」

「どっから来たんだ?」

「多分……知らないと思うんですけど……日本って所なんですけど……」

「うん、知らねぇな」

 ですよねー。

「帰り道、解らねぇのか?」

「はい……どうしたものかと、途方に暮れていました」

 しまった。帰るなんてこと、考えていなかった。コレクションが手元にあった時点で、あちらに未練がなくなってるとか薄情だなー、俺。

「うーん、家族が心配してんじゃねぇのか?」

「いえ、家族は……もういないんで……故郷には親戚も誰も……」

「……そっか、わりぃこと聞いちまったか……」

 いい人だな、この人。

「いいえ、大丈夫ですよ! あ、俺、タクトといいます。ここって、あなたの小屋なんですか?」

「タクトか。わしはガイハックだ。ここは町で管理していた、昔の狩猟小屋だ」

 ガイハックさんは、いかにも猟師って感じだけど猟に来たのかな?

「実はすぐそこでこいつを仕留めたんだが、ちょっとしくじっちまってよ」

 ……俺に飛びかかってきたあの獣だ。仕留めたのか。すごい……

 左腕とほおに、引っかかれたような傷があった。

 をしてしまって、ここで手当てしようとしていたようだ。

 怪我……か。勝手に小屋を使わせてもらっちゃったし……

「あの……どの程度か見てもいいですか? あんまりひどくなければ、治せるかも……」

「おまえ、【回復魔法】が使えるのか!」

 あ、やっぱあったよ、魔法。

「いえ【回復魔法】っていうのとは、ちょっと違うんですけど……やってみますね」

『この紙に触れた人の傷を完治』

 小さな紙にそう書いて、ガイハックさんの傷口に当ててみた。頬、そして左腕もなんとか治った。良かった、あんまり深くなかったみたいだ。

「どうですか? まだ痛みますか?」

「いや……凄い。こんなに早く、完璧に治る魔法なんて、初めて見たぞ?」

 げ。普通じゃないのか、これ……


   ○


「普通の【回復魔法】じゃねぇのは確かだが……なんだ? この欠片かけら……」

 そうか、こういう紙はこの世界にはないのか。

「これは俺の故郷のもので、こちらにはないですかね?」

「ねぇな……見たことねぇ」

「これに文字を書いて、治せるんですよ」

 ……取り敢えず、これで治すことができるってことだけにしておこう。

 物品が出せるとか、マズイ気がするし。

「そうか! 【付与魔法】か!」

 知らない言葉が出てきたぞ?

「付与……魔法?」

「物にじゅぶんを書いて、魔力を発動させる魔法のことだ。知らねぇのか?」

「そう、言うんですか、この魔法……」

「成人の時に神官に教わらなかったか? おまえ、成人……してないか」

「成人ですよ! でも、故郷では、そういう言い方していなかったので……」

 二十八歳は、充分成人だよな? この世界の成人が、三十歳とかってことはないよな?

 あ、俺が童顔なせいか? 東洋人は童顔に見えるっていうしなー。

 ガイハックさんは欧米人っぽい顔だし、見慣れていないのかも。

「おまえの故郷では……皆が、こんな魔法使えるのか?」

「いえ、そういうわけではなかったと思いますが……俺はずっとひとりだったから、知らないだけかもしれませんけど」

「あ、ああ、そうか……うん、そうだったな」

 しまった、また空気を重くしてしまった。

 こちらでは家族っていうのは、俺が考えている以上に重要なことなのかもしれん。

「俺、本当にものを知らなくて……世間にうといっていうか、全然解らないことだらけで」

 愛想笑いをしてみるが、ガイハックさんのしんみりした顔はあまり変わらない。

「……帰る所は、あるのか?」

 あ……『帰る所』……ひとりだったし、確かにもう誰も家族はいない。

 でも、俺はあの世界が嫌いじゃなかった。

 書道教室の子供たちのことも、カルチャースクールに来るおばさん達も。

「帰る……所は……ない、です。もう……」

 本当にもう、帰れないのかもしれない。やばい、なんか今更、涙が出て……

「そっか、うん……頑張ったな、もう、大丈夫だぞ」

 頭をポンポンと優しくたたかれ、なでられた。

 ガイハックさん、絶対に俺のこと子供だと思ってるよ。

 でも、なんかキモチイイから子供のふりしとこう。


「タクト、今日はうちに来い。泊めてやる」

「でも……」

「断っても連れていくからな。うちは食堂もやってるし、空いてる部屋もある」

「……いいんですか?」

「ああ! ここにいられて、明日死体を運び出すよりよっぽどいい」

 え……?

 ここってそんなにヤバイの?

「今の時期くらいから夜になるとこいつや、もっとデカイやつがこの辺をウロウロするんだぞ。人がいたら、確実に襲ってくる」

「ありがとうございます。お世話になります」

 ソッコーで甘えることに決定。ガイハックさんがいい人で良かった……!


   ○


 ガイハックさんと一緒に、小屋を出て町に向かった。

 小屋の近くも、道らしい道はない。周辺から白っぽい木々がなくなった。

 開けた場所に、腰ぐらいの高さのあしのようなものが生えてる所を抜ける。

 こんな足下が見えない所なんて、俺ひとりなら絶対に通らなかっただろうな。

 地面のぬかるみがなくなって、土が硬くなってきた頃、ようやく細い道に出た。

「この道を左に行くと、シュリィイーレの町だ」

 シュリィイーレ……難しい発音だな。

 こっそり持って来てしまった、さっきの羊皮紙を見てみる。

 空白だった単語の一部が埋まった。やっぱり、地名だったんだ。

 俺が聞いて音を確認したから、日本語の一番近い音に変換したのか。


 しばらく歩くと、町の外壁が見えてきた。

 外壁は石造りでけんろうそうだ……不審者を入れないためかな。

 俺、結構不審だけど、大丈夫なんだろうか……?

「魔獣が時々この近くまで来るから警戒しているだけだ、心配はいらねぇよ」

 ガイハックさん、結構鋭いよな……俺、表情に出ていたのか。

「町とか初めてなんで……緊張しますね」

「いい町だぜ。工芸や鍛冶が盛んで、職人が多い。さっきの森や反対側の森でも、いい素材が取れるからな」

 へぇ……どんな物を作っているんだろう。職人の町なら、いろいろあって面白そうだ。

 門番に名前を言い、少し話をして身分証など持っていないことを告げる。

「ガイハックと一緒なら問題ねーよ。ようこそ、シュリィイーレへ!」

 この人もいい人だ……!

 そして、ガイハックさん、マジでありがとう!


 予想していたよりずっと、大きくて活気のある町だった。

 石造りの家々はだいたい二階建てで、町中の道は石畳だ。

 露店も出ていて、手軽な食べ物か生活雑貨らしきものを売っている。

「あの……俺、全然金とか持っていないんですけど……大丈夫ですかね?」

「だから、心配すんなっつったろ? 俺がいるんだから!」

 なにからなにまで、本当にすみません……このご恩はいつか必ず!

「おまえは命の恩人だからよ」

 そんなたいそうな傷を治した訳じゃないのに……義理堅過ぎるぜ、ガイハックさん。


 食堂に着くと、お客さんがかなり入っていた。

 いいのかな、ガイハックさんは仕留めた獣を持ったままだけど……衛生的に……

「おい! みんな、つのおおかみが出始めた! しろもりに行く時は必ず対策していけよ!」

 ガイハックさんはその獣を高々と掲げ、客に見せる。


 おおー!


 応答……と拍手。仕留めたガイハックさんへの賛辞だろう。

 そうか、危険な獣が出たから注意喚起か……対策がいるほど……危険なやつだったとは。

 逃げられて本当に良かった……!


 その後、裏に回って自宅の方に案内された。

 店の裏に居住用の住宅があって、裏庭があるみたいだ。

 何軒かの家の裏口もその庭と接している。

「俺はこれを猟師組合に届けて自警団に寄ってくる。おまえは店でなんか食ってろ」

「で……」

「おっと! 遠慮はナシだ! いいな、ちゃんと食えよ!」

 でも……と言いかけて、遮られてしまった。

 はい、お言葉に甘えてごそうになります。


 ガイハックさんが奥に声をかけると、ひょこっと顔を出したのはこの食堂の女将おかみさんでガイハックさんの奥さんだというミアレッラさんだ。なんか、ふわっとした感じで優しげな人だな。

 食堂の中、全然暗くないんだな……あんまり窓も大きくないのに。

 石造りの家って、勝手に天井が低いイメージがあったけど相当高いぞ。圧迫感が全然ないな、と見上げていたらミアレッラさんが食事を運んできてくれた。

「ゆっくり、お食べ」

 にっこりと笑顔でそう言われほっとして、ありがとうございます、とスプーンを持つ。おお、木製だ。フォークも木でできている二股タイプ。ナイフは……ないのか。

 あ……クリームスープだぁ……おいしー……お肉うまー。


   ガイハックとミアレッラ 


「ミアレッラ、さっきのやつ、タクト、ちゃんと食ってるか?」

「ああ、食べてるわよ。どうしたのよ、あの子?」

「白森近くの昔の小屋があったろ? あそこにいたんだ」

「ええ? あの近くに角狼の巣ができたからって、何年か前に使わなくなっていたじゃないか!」

「さっきの角狼も、あの近くで仕留めたんだがよ」

「なんだって、そんな危ない所に……」

「一ヶ月くらい前に、白森の奥の山が崩れただろう?」

「そんなこともあったねぇ……小さな村が巻き込まれて全滅……あ……!」

「うん、あいつは、そこの生き残りじゃねーかと思うんだ」

「じゃあ、生き延びてあの小屋で暮らしていたって?」

「何年も行ってなかったのに、部屋の中がれいだったんだ……」

「でも……どうやって一ヶ月も暮らしていたんだろう……」

「川魚を焼いたような匂いがしていた。今の季節なら、まだ森にも食えるものはある」

「そうかい……ひとりで、よく病気も怪我もせずに生きていられたねぇ……」

「あいつは【付与魔法】が使える。しかも回復系だ」

「そ、そんな希少な魔法師なのかい? あの子が!」

「ああ、絶対に言うなよ!」

「解ってるよ! 冒険者なんかに狙われたら大変だ」

「かなり凄腕だぜ。ほら、この腕、見て見ろよ」

「ちょっと、あんた! 服が裂けて血が……!」

「よく見ろって! 傷なんかないだろ」

「本当だわ……でも角狼にやられたんなら、早く解毒しないと!」

「大丈夫だよ」

「弱毒でも放っておいたら、左腕が動かなくなっちまうよ!」

「毒も消えているんだ」

「……え? 【回復魔法】で毒は消えないじゃない?」

「消えてたんだよ。さっきガンゼールのおやさんに診てもらったら毒はなかった」

「そんな【回復魔法】の付与があるのかい……」

「初めてだよ、こんなのは。俺は聞いたこともない」

「とんでもない魔力を持っているんじゃないのかい?」

「だろうな……顔にも怪我したんだが、全部治してくれたんだよ」

「顔に毒なんて……少し遅かったら、死んでいたかもしれないじゃない!」

「きっと、あいつの故郷の魔法なんだろう」

「……もうなくなっちまった村の……あの子、家族も全部亡くしたんだよねぇ?」

「ああ、あいつ自分では成人してるって言い張りやがったけど、絶対にまだ子供だぜ」

「あたしもそう思うよ。どう見たって二十五歳以上になんて、見えないからね」

「だよなぁ……」

「きっと、虚勢を張っていたんだろうねぇ……ひとりでも生きていけるって」

「しばらく置いてやりたいんだが……いいよな?」

「当たり前じゃないか! あんたの命の恩人を、放り出したりするもんかね!」

「やっぱり、おまえは最高だぜ、ミアレッラ」

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