一章 異世界ってやつですか?(3)


   ○


 小屋の扉には、外から日本では見たこともない鍵で施錠されていた。

 外から鍵がかかっているってことは、中には誰もいないな……と、安心した。

 昔の錠前って感じの物々しい鍵だったが、扉を少し引いたらぼろっと落ちた。

 どうやら、古くて腐食していたみたいだ。

 扉自体もギシギシいってるし、随分放置されていたのだろう。


 中に入るとテーブルと椅子があり、観音扉の付いた棚があった。

 テーブルの上と座る場所だけ拭いて、綺麗にする。

 汚れた服を着替え、リュックを取り出す。

「リュックとかトートバッグとかあって助かった……」

 そしてなんと、かばんのカテゴリーの中に非常用袋をみつけた。

「そっか、リュックの中に全部入っているから、鞄に分類されていたのか」

 助かったー。薬や、ライターなんかも入ってる。

 じゃあ、鞄の中に入れれば、この汚れた服とかもしまえるのでは……?

 しまえたー! 鞄カテゴリー便利だー!


 擦り傷の消毒をして薬を塗っておけば取り敢えず安心。

 少し落ち着いたところで、今持っている物を全て確認する。

 鞄の中も全部だ。いつも持ち歩いていた鞄の中には、仕事道具の書道のテキストやら見本。

 あ、のどあめ発見……財布やスマホは……ない。

「あー……机の上に置いたんだった」

 まぁ、あったところでここが異世界なら、なんの役にもたたないけどね。


 そしてコレクションの中に『本』があり、全ての本と辞書が入っていた。

 これは、ものすごく嬉しかった。

 世の中の電子化が進み、電子書籍が当たり前。

 それでも、紙の本にこだわっていた俺の勝利と言えよう。

 手書きが減り、何でもかんでも電子の筆で事足りる。

 誰でも綺麗に書けて、大きさも色も自在に変化させられる電子文字は確かに便利だ。

 でも、だからこそ、手で書くということに拘りたかった。

 横に辞書を置き、紙にペンで単語をひとつずつ書いていくのはとても楽しかった。

 自分でもうっとりする字が書ける時も、丸めて捨てたくなるような時もある。

 その全部が、自分のその時々の記録だった。


 ノートを取り出し、お気に入りの万年筆で文字を書いてみよう。

 今の俺の字は、どんなだろう。

「……何を……書くか」

 今、一番書きたい文字はなんだろう……


『K軒 しゅーまい弁当』


 なんて未練がましいんだ、俺。

 でも大好物なんだ。週に一度のお楽しみだったんだ。

 しゅうまいうまいが、たけのこの煮たやつなんて最高なんだ……!

 味と形を心に思い描きながら、その愛する弁当の名前を書く。

「好きな物の名前って、綺麗な字で書けるよな……」

 自分の書いた字に満足して眺めていたら……目の前に弁当が現れた。

 なんで……? 何が起きた?

 間違いなく、俺の愛するK軒の弁当だ。

 掛け紙もひもも、おしぼりと割り箸も入ってる。

 勿論、中身もちゃんと入っているし……旨い。あ、食べちゃった……思わず。

 全部、間違いなく俺の知っている弁当そのものだった。

 なんで出てきたんだ? さっき書いた文字と関係があるのか?

 紙の文字を見ると、色が抜けて薄いグレーに変わっていた。


 それから俺は書きまくった。勿論、弁当を完食してからだ。

 沢山出してもストックしておけて、すぐに確認できるもの……ポテチだ。

 名前だけ、メーカー名と名前、カテゴリーのみなど、いろいろ書いて試す。

 色を変えたり、万年筆以外で書いてみたりもした。

 そして、だいたいの出現条件を把握した。


〝ポテトチップス〟のみ → 想像したものと同じ味のものが出る。

〝正しい商品名〟 → 別の味を想像していても書いた味のものが出る。

〝メーカー名と正しい商品名〟 → 確実にその商品が出る。


 色やペンの種類は関係なかったが、ローマ字にしたら何も出なかった。

 日本の製品で、日本語の商品名だからだろう。

 英語で『Potato Chips』と書くと、袋にも入っていないものが出た。

 おそらく『商品』ではなく、料理としてのポテトチップスが出たのだろう。

 そして、字を丁寧に綺麗に書いた方が、そうでない時より品質が高いものが出た。

 殴り書きでも、正確な商品名であれば出るには出る。

 だが、味や食感があまり良くなかったのだ。

「これは……もっといろいろな検証が必要だな……!」

 しかし、これで食糧不足問題は、解決したのでは?


   ○


 名前を書くと、それが実際に現れる……なんて、魔法みたいだ。

「……魔法なのかもな、本当に」

 よく解らないが、そういうことにしとこう。異世界だし。

 勿論、食べ物以外も出すことができた。だけど、知らない物は出なかった。

 正確な商品名が書ければ、知らなくても出るには出る。

 だが、形は正しくても凄く小さいとか、固くて食べられないものだったりした。

「俺自身が、一度も触れたことのないものや、食べたことのないものはダメなのか」

 コレクションの中にあった食品図鑑や、通販の商品カタログで試した結果だ。

 形だけでなく大きさや手触り、味とかが解っていないとダメということらしい。

 生き物は……出るのか? 試すにしても変なモノは出せないな……

 この世界にいないものだったら、生態系がおかしくなってしまうかもしれない。

 川で泳いでいる姿を想像しながら『あゆ』と書いた。

 ……出なかった。

 いや、正確には『生きたまま』は出なかった。

「そういえば、魚屋とかでしか見たことなかった……」

 でも、ほ乳類は試すには危険過ぎるし、虫も……まずいな。

 生物はやめておこう。取り敢えず、鮎は焼いて食おう。もったいない。

 この、文字が現実になるというのは物品だけか?

 現象や状態の変化もできるのか?

 試しに『火』と書く。


 ぼっ


 小さい、字の大きさほどの火が出て、消えた。

 文字が燃えて、なくなったからだろう。

 油性ペンで『水』と書く。

 水にれても、字が消えないので水も消えない。

 その水に、『消えろ』と書いた紙を浮かべる。

 ……消えない。消えたのは紙だ。文章にしてみる。

『この紙に触れた水は消えろ』

 その紙を入れると、水が消えた。消えた水が、どこに行ったのかは解らない。

 ゴミを消せればと思ったけど、別の場所に移動するだけかもしれない。

 だとしたら、ポイ捨てと変わらない。

「無害なものに分解して消す……ってのは、できるのかな?」

 ポテチの空き袋に『生物に無害なものに分解してから消えろ』と書いてみた。

 さっきと消え方が違う。

 水は文字を書いた紙に触れた途端に、さっと全てなくなった。

 ゴミは霧のように分解されて……消えた。

 これなら他の場所に行っただけとしても、無害だから……許してもらえるかな。

「でも、これ……使い方を間違えると、とんでもないことになるな」

 文字を書けば、それがなんでも現実になる。

 俺の持っている色々な種類の筆記具を使えば、大抵のものに書ける。

「もしかして……生きているものに『死』って書いて殺したりも、できちゃうのか?」

 生きているものの状態を変えられるかどうかは解らない。

 試すことも……あ、いや、試せるんじゃないのか?

 壊したり、消したり、殺したりしなくても……治すことができるのでは?

 俺は擦り傷に『この紙に触れた傷は治れ』と書いて傷口に触れてみる。

 そっと紙を離すと……擦り傷は完全に治っていた。


   ○


 それにしても……文字で全てが解決するなんて、思ってもみなかった。

 文字が、こんなに無敵だったとは。

 とんでもない万能感。

 ……使い方さえ間違えなければ、だ。

 もしかしたら飛んだりできるのでは? と思ったが、見たこともやったこともないことはできないようだ。

 多分『理屈を知っていること』が前提なのかも。

 確かに、人が飛んでるところなんて見たことはないし、そうできる理屈も解んないよね。

 きっと『経験則に基づく』なのかもしれない。でも、今はそんなこと、できなくてもいい。

「俺、ここで生きていけるかもしれない……」

 食べ物も水もある。出せる。医療品も、雑貨も、ありとあらゆる生活用品も。

 そして、ゴミも始末できる。火もおこせて、あかりも確保できる。


 ……問題は住む場所と、この世界の人間達との共存ができるか、だ。

「この小屋があるってことは、これが作れる人間がいるってことだ」

 テーブルも椅子も身長百七十四センチの俺が座って、ちょうどいいサイズだ。

 この世界の人間の大きさも、こんなものなんだろう。


 この棚には、何が入っているんだろう?

 上の扉から開けていく。いくつかの瓶と、食器……だろうか。

 瓶の硝子がらすは不透明で、日本のものよりは不純物が多そうだ。気泡も入っている。

 コルクみたいなもので栓がしてあるものが多い。

 いくつかは、なめし革のようなものを紐でまいて蓋にしているものもある。

 ラベルは付いていないので、何かは解らない。

流石さすがに開けるのは怖いな……」

 中に虫とか湧いていたら、泣いちゃうかもしれない……

 それに、棚の上もほこりやカビまみれだし、触りたくないよな。

「そうだ、ちょっと試してみよう」

 紙に『室内浄化消毒』と書き、床に落とした。

「おおおー! きれいになったぞ!」

 埃や汚れがさっぱりとなくなり、戸棚の中まで綺麗になった。

 でも、瓶には触らなかったけどね。だって、虫がいたら嫌だし!


 下の方の扉を開けると、殆どの棚は空っぽだったが何か落ちている。

「これ……羊皮紙かな? 文字らしきものがびっしり書いてある……!」

 カリグラフィーは当時貴重だった羊皮紙に、なるべく多くの情報を書き込むために生まれた。

 文字が小さくても、密集させてもちゃんと読めるように美しく書く技術。

 それが、カリグラフィーの真骨頂だ。羊皮紙を見て、テンションが上がらないわけがない!

「全然、見たことのない文字だな……」

 俺の知っている地球上にある、どの文字とも似ていない。

 ……強いて言えば、フェニキア文字にルーン文字を合わせたみたいな字だ。

 読みたいなぁ……なんて書いてあるんだろう。

「……読めるんじゃないか?」

 ひとつ、思いついた。

『この紙を持つ者は全ての言語の翻訳ができる』

 そう書いて、その紙を握り締めながら羊皮紙を見てみる。

「読める! 単語が、日本語に訳されてる!」


   ○


 読める……のはいいんだが、所々空白のままになっている。

 日本語にない単語が、含まれているのだろうか?

「この世界独自のものなんだろうな……地名とか?」

 日本語にない発音で、表記できないのかも。

 この羊皮紙の原文を写し、その下の行に訳文を書いていく。

 どうやら、道案内が書かれている。それと、薬を欲しがっているようだ。

「手紙みたいだな」

 単語の並びが、日本語の文章に似ている。そのせいか随分解りやすい。

 一文字ずつ書き出していって、文字数を調べると三十二種類の文字があった。

 アルファベットより多いが、五十音よりは少ない。

 単語は、日本語の訳より多い文字数のものもあれば、少ないものもある。

「そっか、ふたつの文字をくっつけて書くことで別の音の文字になっているのか」

 日本語の濁音とか、半濁音みたいなものかもしれない。

 とすると、表音文字なのかな?

 あああー文字って楽しいなぁ!


「おいっ! ここで何をしている!」

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