一章 天才か変態か(7)


   ◇◇◇


「ロイドさん! 見てください! ジャンプしたら屋根まで届きました!」

 屋根の上から、ウィニングの楽しそうな声が降ってくる。

「…………は?」

 ロイドの顔がった。

 流石に動揺を隠しきれない。

 ──いくらなんでも成長が早すぎる。

 きょうがくのあまり、その場に座り込んでしまいたい衝動に駆られたが、大人のプライドでかろうじてこらえてみせた。

 屋根から飛び降りたウィニングは、昨日と同じように庭を走り回る。

 跳躍するのが楽しいのだろう。時折ウィニングは飛び跳ねていた。

「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待て! 坊ちゃん! ちょっと──」

「いやっふーーーーー!!」

「待て! 待てって言ってんだろ! この、クソガ────待てぇぇッ!!」

 全く声が届いていないので、ロイドは追いかけて物理的に止めることにした。

 ロイドも《身体強化》を使って走り出す。

 だが、おかしい。

 有り得ない現実が、目の前に広がっている。

はえぇ! こいつ、マジで速ぇ……ッ!!)

 距離が縮まらない。

 昨日ロイドが教えた、瞬間的な出力の調整──それを実用しているのだ。

 あと一歩で背中に手が届くと思えば、次の瞬間には遥か先にいる。

 子供の追いかけっことはまるで次元が違う。

 ロイドは、魔物相手に本気で狩りをしている時のような気分になった。

「──《身体強化・二重デュアル》ッ!!」

 ロイドの全身を、より強い魔力が覆う。

 刹那、ロイドはウィニングと距離を詰め、その腕を掴んだ。

「捕まえ──うおぉぉおぉおぉおいおいおいおいッ!?」

 ウィニングはそこで初めて追いかけるロイドの存在に気づいたのか、急ブレーキをかける。

 だがその勢いをすぐに殺すことはできず、ウィニングの腕を掴んでいたロイドは十セコル(十メートル)ほどられる形になった。

 屈強な馬に引き摺られたかのようだ。靴底と庭の地面が悲鳴を上げている。

 しかしこれで止まってくれた。

 ようやく話ができると思ったが──。

「なんですか今の!」

「あぁ!?」

「なんですか今の魔法! 一瞬で凄く速くなりましたよね!? 教えてください! 俺もそれ使いたいです!」

「分かった! 分かったから先に俺の質問に答えろ!」

 嵐のような子供だとロイドは思った。

 言葉も、振る舞いも。

「坊ちゃん。さっき、何の魔法を使って走った」

「え? 《身体強化》ですけど」

「本当にただの《身体強化》か?」

「正確には脚だけ強化しています。こうすることで普通の《身体強化》よりも出力が高くなるんです」

 それは一部の魔法使いにしか実現できない高等テクニックだ。

 聞けば今までフィンドたちは、ウィニングに初心者向けの魔法の本しか渡していなかったらしい。この年齢の子供に対する教育としては間違っていない。が、そのせいでウィニングは高等テクニックを駆使していることを自覚していない。

「ど、どうやって、それを覚えた?」

「自分で考えて身につけました。もっと速く走るためには、脚部の発現量を増やす必要があると思いまして。他の魔法を覚えてもよかったんですけど、できれば使い慣れた《身体強化》を工夫して実現したかったんです」

 ──独学。

 なんてことだ。

 王立魔法学園の生徒ですら、それを習得するには時間がかかるというのに。

 しかも、この子供は──そんな高等テクニックを駆使しながら、昨日教わったばかりである出力の調整も行っていたのか。

 イカれてる──という言葉をロイドは辛うじてみ込んだ。

 友人の子供に掛けていい言葉ではない。

 だが、天才という言葉よりはよほどしっくりくる。


   ◇◇◇


「ちょっとその場で、全力で跳んでみてくれ」

「分かりました」

 ウィニングは再び《身体強化》を発動する。

 本来なら全身を覆う魔力が、下半身──脚部に集中した。

 直後、ウィニングは跳んだ。

 コントレイル子爵家の館は、普通の民家とは比べ物にならないほど広くて大きい。だから屋根も高いのだが……それをやすやすと越えてみせる。

(わけ分からんくらい、出力が高ぇな)

 これで三級の紋章とは、信じられない。

 ウィニングが着地すると、大きな音が響いた。

「じゃあ、今度は脚じゃなくて腕を強化してみてくれ」

「えっ?」

 ロイドは平静を装って、ウィニングに告げた。

 しかし何故か、ウィニングはどこか困った様子で視線を左右する。

「えっと、やり方を教えてくれると助かります」

「……やり方? さっき脚でやってただろ」

「腕の強化はしたことなくて……」

 ん? とロイドは妙な違和感を覚えた。

 だが、まだ違和感の正体がはっきりしていないので、一旦頭の片隅に置いておく。

「脚でやる時と同じだ。とにかくやってみろ」

「む、むむむ……っ」

 ウィニングは唸りながら全身に力を入れていた。

 その腕に魔力が集まっていく。しかし──。

(どういうことだ? 脚の強化は上手いのに、腕の強化は普通だな)

 あくまで。下手というわけではない。むしろ同世代と比べれば優れているだろう。

 それでも、脚の時ほど規格外ではない。

 手を抜いているというわけではないだろう。

 ウィニングの必死な顔を見れば、そのくらい分かる。

「坊ちゃん、普通の《身体強化》を発動してくれ」

 ウィニングの全身を魔力が覆う。

 しかし、まだ偏りがあった。やはり脚の方に魔力が集中している。

「いや、だから普通にやってくれ。脚だけの強化じゃなくて、全身の強化だ」

「え、普通にやってるつもりですけど」

 ウィニングは不思議そうに言った。

 そういえば、一昨日《身体強化》を使わせた時も似たような状態だったと思い出す。

「……そういうことか」

 魔力回路という言葉が存在する。

 これは魔法使いたちの中でも研究肌な者たちだけが使っている、専門用語のようなものだ。

 魔力回路とは、肉体に対する魔力のの指標である。語感から勘違いされやすいが、物理的に存在するものではなく、あくまで概念だ。

 この言葉を知っている者は、魔力を肉体に浸透できることを「回路が開いている」と表現する。より魔力を通せるようになることを「回路を開く」または「回路が発達する」と表現する。

 たとえば足の小指まで魔力を通すことができたら、足の小指まで魔力回路が開いていると表現する。

 一般的に《身体強化》の発動条件は、全身に魔力を通すことだ。だが実際、本当に全身くまなく魔力を通すことができる者は限られている。大抵は手首と足首までが限界で、指先まで魔力を通すのは難しい。

 だがウィニングは、下半身のみ驚くべき精度で魔力を通していた。

 すなわち──。

 ──脚の魔力回路だけ、異様に発達している。

 そのせいでウィニングは、普通に《身体強化》を発動していても、脚の方に魔力が片寄ってしまうのだ。

(うわぁ……こいつは、マジで分かんねぇな)

 本来なら正すべきことだ。このままではアンバランスなまま成長してしまう。

 だが、この発達具合は……見たことがないくらい素晴らしかった。

 もはや芸術品である。魔法使いなら誰もが目をいてれてしまうだろう。

(このまま伸ばすべきか、それとも矯正するべきか……駄目だ。俺には判断できねぇ)

 できないというより──

 多分、この判断はウィニングの未来を左右する。

 ウィニングのことを規格外と感じている時点で、自分にその判断を下す権利はないとロイドは考えた。

 自分には荷が重い。

 どちらを選ぶか……選択によっては歴史を揺るがすほどの劇的な何かが未来で起きるかもしれない。それだけのものがウィニングにはあると、ロイドは感じていた。

「……もうちょい自主練してろ。俺は坊ちゃんの父さんと話がある」

「分かりました!」

 ウィニングは背筋を正して返事をした。

 ロイドは家に入り、執務室の扉をノックする。「入れ」と声が掛かったので、扉を開いた。

「フィンド。坊ちゃんについて報告だ」

 その言葉に、フィンドは仕事の手を止めた。

 どう説明するべきか……ロイドは考えながら口を開く。

「結論から言うと、分からん」

「……分からん?」

「ウィニングの坊ちゃんは、ちぐはぐだ。とんでもない才能があるかと思いきや、まあちょっと器用だなと感じる程度のものもある。こいつは俺には判別できねぇ」

 魔法使いとしての才能があるのか、それとも異なる何かなのか……。

 ウィニングは、速く動くことに関しては既に大人を超えている。

 だが、それ以外の分野は多少優れている程度だ。

 大物になりそうな予感はある。けれど、具体的なビジョンがどうしても見えない。あまりにも前例がない子供だった。

 未来のウィニングは、どうなっているのだろうか。

 聡明な領主になるか。

 それとも魔法で名をせるか。

 ロイドは力不足を痛感した。自分はウィニングを導くことはできそうにない。

「フィンド。コントレイル家の伝統行事……今回もやるのか?」

「ああ。私の時と同じように、ウィニングが七歳になったら始めるつもりだ」

「教師は誰を雇うつもりだ。お前の時は、今の俺みたいな魔法学園の卒業生だったろ」

「そうだな。……正直、私はお前に頼めればと思ったんだが」

 ロイドは首を横に振った。

「無理だ。ウィニングの坊ちゃんは、俺の手には負えねぇ」

「……そんなにか」

「ああ。雇う教師のレベルを引き上げろ。下手な奴に指導させたら潰れるぞ」

 ウィニングに宿る謎の素質か、或いはその教師か……どちらかが潰れてしまうだろうとロイドは踏んでいた。

「紹介してやるよ。こう見えて顔は広いんでな」

「……助かる」

 ロイドはフィンドの机に置いてある紙とペンを手に取った。

 紹介する相手の名前と住所を書く。

「ちょっとプライドが高ぇかもしれねぇが……この女なら間違いないだろ。なにせ、一時期はと肩を並べていた奴だからな」

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