二章 主従訓練(1)

 七歳になったウィニングは、今までと変わらず走り回っていた。

「本当に楽しいなぁ、走るのは」

 ウィニングが今走っているのは、コントレイル家の庭──ではなく、外の森だった。

 一年前、三日間だけ自分の魔法を見てくれたロイドという男が、父フィンドに「ウィニングに庭は狭すぎるから外を走らせた方がいい」と進言してくれたらしい。おかげでウィニングは領内をある程度自由に駆け回ってもいいことになった。

 ロイドから教えてもらった技術は、今でもきている。

(前方、問題なし。……やるぞッ!!)

 安全確認をして、ウィニングは体内の魔力に意識を向ける。

「──《発火イグニッション》ッ!!」

 瞬間、ウィニングの身体からだがブレた。

 パァン!! という大きな音と共に、ウィニングは超加速する。

 別に《発火イグニッション》なんて魔法は存在しない。

 これはウィニングが勝手に作った魔法というか……自分の中にあるスイッチを切り替えるための、合図のようなものだった。

 ロイドから教えてもらった《身体強化》の瞬間的な出力の向上。

 これをひたすら磨いた結果、一瞬だけ恐ろしい速度で動けるようになったのだ。

 通常の速度とは明らかに一線を画している。

 だから、ちょっと中二病っぽいかなと自覚しつつも、わざわざ名前をつけて区別していた。

 目にも留まらぬ速さでウィニングが走る、その時──。

 不意に、脚に衝撃が走った。

「えっ」

 大きな音を立てて、何かが吹っ飛んでいく。

「あれ? 俺、何かいちゃった?」

 ウィニングは恐る恐る、自分が轢いたものを見にいった。


   ◇◇◇


「魔物を倒した?」

 フィンドがかすかにいぶかしむ。

 ウィニングは先程轢いてしまった魔物の死体を両手に抱え、うなずいた。

 魔物は基本的に、人にとって害悪だ。

 本能的に人へ襲い掛かるため、遭遇すれば逃げるか倒すか、どちらかを選ぶしかない。そのため魔物を倒すという行為自体には何も問題はない。

(人は立ち入り禁止になっているって聞いてたから、安心して走ってたんだけど……魔物がいるとは思ってなかったなぁ)

 なんて、のんなことを考えていると──。

「この魔物を、どうやって倒したんだ?」

「え? えーっと、その……」

 ウィニングは悩んだ。

 ここで正直に答えると、前方不注意を指摘されるかもしれない。ただでさえ両親は……特に母メティは、ウィニングが一人で森を走ることに不安を覚えている。

 しかしウィニングには、もう家の庭は狭すぎた。

 一年前にロイドが予言した通りだ。今、家の庭で全速力を出せば、一瞬で塀にぶつかってしまう。

 森で走ることを禁止されては困る。

 その一心で、ウィニングはうそをつくことにした。

「ごめんなさい。倒したんじゃなくて、落ちてました」

「……そうか」

 フィンドは納得した素振りを見せる。だが内心では不思議に思った。

 魔物を倒したと言って、を張りたかったのだろうか……? しかし、ウィニングがそんなこうかつな考えをするとはどうしても思えなかった。

 だから責める気にもなれない。

「あの森には人だけでなく魔物も入れないよう、衛兵に監視してもらっていたが……どこからか入り込んできたようだな。すまない、はなかったか?」

 領主の顔から一瞬で親の顔に変わるフィンドに、ウィニングはやや驚きつつも頷いた。

「大丈夫です。……というか、すみません。そこまで考えてくれていたんですね」

「このくらいは当然だ。しかし……」

 フィンドは難しい顔で、言葉を選びながら言った。

「ウィニング。お前はもう少し、次期当主としての自覚を持った方がいい」

「……次期当主、ですか」

 ウィニングは視線を下げた。

 長男として生まれたウィニングは、フィンドから家を継ぐこと──すなわち次期当主になることを望まれていた。

 盤石のレールが目の前に敷かれていると言ってもいいだろう。

 だがそれはウィニングが望むものではない。

 口をつぐむウィニングに、フィンドは言う。

「自信がないのか? 安心しろ、この一年でお前には領主の仕事についてもしっかり勉強させたはずだ」

 自信の有無ではない。モチベーションの有無だった。

 だが、それは──フィンドも薄々気づいている事実だった。

 フィンドは、ウィニングを領主にする気満々であるかのように

 本当はウィニングを魔法の道に進めるべきかどうか、まだ迷っていた。だがそれを態度に出せないのが現当主のしがらみである。フィンドも数多くの領民を抱える貴族。次期当主を育てるという義務を背負った状態で、明らかに領主として大成しそうな長男に向かって「将来は何をやってもいいぞ」「何でも応援するぞ」とは言えなかった。

 しかしランニング中毒のウィニングは、正直、領主の仕事をあまりやりたくない。

(レインの方が向いてると思うんだけどなぁ……)

 ある日、ウィニングがいつも通りつまらなそうに領主の仕事について勉強している時、レインが近づいてきたことがあった。

 レインは、ウィニングが使っている教材を見て……キラキラと目を輝かせていた。外の景色よりも、魔法の参考書よりも、豪華な食事よりも、興奮していた。

 しかし、どうやらこの国では一般的に、長男が家督を継ぐらしい。

 フィンドにも体裁があるのだろう。できれば長男を当主にしたいという気持ちは分からなくもなかった。

「丁度いい。話がある」

 フィンドは他の用件を切り出した。

「お前にはそろそろ、コントレイル家の伝統行事……主従訓練に参加してもらう」

「主従訓練?」

 き返すウィニングに、フィンドは頷いた。

「我がコントレイル家には、頼りになる二大家臣が存在する。ファレノプシス家とシーザリオン家だ。彼らは古くからコントレイル家へ忠誠を誓っており、どの時代でも力になってくれた。主従訓練とは、コントレイル家の次期当主と、二大家臣の次期当主たちが、互いの顔合わせも兼ねて一緒に訓練する行事のことだ」

 コントレイル家の二大家臣については聞いたことがある。

 しかし会ったことはなかった。

 ウィニングは自分の脚で動くことができるようになってから、とにかく走ってばかりだった。ひょっとしたら向こうはウィニングのことを見たことがあるかもしれないが、ウィニングの方は特に記憶していない。

「ファレノプシス家は代々優秀な魔法使いを輩出し、シーザリオン家は優秀な剣士を輩出している。今回は両家から一人ずつ参加するそうだ。お前はその二人と一緒に訓練を受けなさい」

「魔法使いと剣士が一緒に訓練を受けるんですか?」

「肩書きが違っても共有できる訓練は多いはずだ」

 フィンドの端的な答えにウィニングは納得した。

 前世の知識があるウィニングは、ついゲームや漫画みたいに、魔法使いや剣士といったポジションには分かりやすい差があると考えがちだった。

 現実はそう単純ではない。この世界の魔法使いや剣士といった肩書きの定義はふんわりしていた。たとえば魔法使いは言葉通りだと魔法を使える者になるが、それでは全人類が該当してしまうので少しニュアンスが異なるのだ。

 端的に言って魔法使いとは、魔法を扱う者のことを指す。

 剣を主に扱う者は剣士と呼ばれるし、弓使いややり使いも同様だ。彼らも魔法は使える。使えるが、彼らの場合はあくまで補助的な範囲でしか使わないことが多い。

 魔法は専門的で奥が深い分野である。だから魔法が誰にでも使えるからといって、魔法使いという肩書きが意味を成さないこともない。魔法使いという肩書きには「自分は魔法という奥深い学問に本気で打ち込んでいるぞ」という、学者らしい響きが伴っていた。

 まあ、こういうのは自己紹介みたいなものだろうとウィニングは思った。剣士としての働きに期待してほしければ剣士を自称するし、剣や槍が使えたとしても魔法の分野で働きを期待してほしければ魔法使いを自称するのだ。

 ウィニングは剣や槍など他の技術を学ぶ気がないので、一応、魔法使いに該当する。

 もっとも、だいぶ破天荒な魔法の使い方をしているが……。

「それに、前衛と後衛の連携を磨くことも目的の一つだ」

「なるほど」

 フィンドの補足に、ウィニングはまた頷いた。

 それなら一緒に訓練するのも納得である。

「それと、訓練の教師には高名な魔法使いを呼んでいる。紋章は一級、しかも聖王流剣術を奥伝まで修めた人物だ」

 聖王流剣術とは何だったか……うろ覚えだが、多分、由緒正しき剣術の流派なのだろう。

 ウィニングの脳内は八割くらい走ることで埋まっていた。

「明日、まずは二大家臣と顔合わせする。そのつもりでいてくれ」

「分かりました」

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