一章 天才か変態か(5)


   ◇◇◇


 静かに──子供とは思えないほど深く集中するウィニングを見て、メティは足音を立てずにそっと家に戻った。

 家に入ると同時に、必死に抑えていた興奮を解き放つ。

「あなた!」

 メティは夫の姿を探した。

 執務室に向かうと、資料を探しに部屋を出たばかりのフィンドを見つける。

 メティはフィンドに足早に近づいて抱きついた。

「あなたあなたあなた!!」

「ん……おぉ? わっはっはっは! どうしたんだメティ。今日は随分と情熱的ではないか!」

 久々に妻に抱き締められ、フィンドは大いに喜んだ。

 ここ最近、仕事で忙しかったのだ。

 しかしメティは、別にフィンドとの愛を確かめ合うために抱きついたわけではない。

「ウィニングは天才よ!」

「……またその話か」

 フィンドの笑顔が消える。

 フィンドは興奮しているメティに、諭すように語った。

「メティ。子供は個人差が出やすいんだ。たとえ今は優れていても、大きくなるにつれて少しずつ普通になっていく」

「《身体強化》をすぐに発動できたのよ!」

「……なに?」

 流石にその言葉には、フィンドも反応せざるを得なかった。

 無属性の魔法《身体強化》は、初心者向けの魔法として有名だ。しかし初めて魔法を習得する子供の場合、通常なら一週間から二週間を費やして習得する。

 それをウィニングは、たった一日で習得してみせたらしい。

 いくらなんでも規格外だ。

「……私の知り合いに、魔法学園の卒業生がいる」

 フィンドは顎に指を添えながら言った。

 王立魔法学園。そこは魔法を極めるためのまなと言っても過言ではない。入学試験はもちろん、卒業試験も難しく、才気溢れる若者ですら心が折れて中退することも珍しくなかった。そのため王立魔法学園は、卒業すれば輝かしい実績になるが、入学するだけでも十分誇れる教育機関である。

 その学園の卒業生ともなれば、間違いなく優秀な魔法使いである。

「折角だ。一度、息子のことを見てもらうか」


   ◇◇◇


 数日後。

 ウィニングの前に、一人の男が現れた。

「ロイドだ。今日から三日間、ウィニング坊ちゃんの教師となる」

「ウィニングです。よろしくお願いします」

 礼儀正しく頭を下げるウィニングを、ロイドはじっと見つめた。

 フィンドの息子らしい、そうめいそうな子供だ。

 ロイドは先週、フィンドから手紙で「息子の魔法を見てやってほしい」と頼まれた。

 ロイドにとってフィンドは、このコントレイル子爵領で共に育った古くからの友人である。自分は平民で、向こうは領主。立場こそ違うが、若い頃から気が合って、大人になってからも助け合うことが多かった。

 これでも王立魔法学園を卒業した身。働き口に困ることはないし、金は十分ある。

 だが、旧友は金では買えない。としを取るにつれてその大切さに気づくことがある。

 それに──今まで忙しかったせいで、ロイドはまだフィンドの子供と会ったことがなかった。

 だから、頼み事を引き受けることにしたのだ。

「質問です!」

「おう、なんだ」

 ウィニングは元気よく挙手した。

 ちゃんと母メティの快活さも受け継いでいるようだ。

「父上は正直、俺が魔法を学ぶことに反対してると思うんですが、何故ロイドさんを呼んでくれたのでしょうか?」

「……中々鋭いじゃねぇか」

 感心した。

 周りをよく見ている子供だ。

 フィンドから「ウィニングと話しているとたまに子供であることを忘れそうになる」という話は聞いていたが、早速そのへんりんを目の当たりにする。

「まあざっくり言うと、坊ちゃんをどう育てるか悩んでるんだと思うぜ」

「どう育てるか……?」

「坊ちゃん、中々頭が回るみたいだが、貴族の長男ってのがどんなもんか理解してるか? 家督を継ぐために、幼い頃から色んな準備をしなくちゃいけないんだ」

 たとえば人脈を築くことだ。ウィニングがもう少し大きくなれば、色んな社交界に顔を出すことになるだろう。

 勉強も平民の子供と比べれば沢山しなければならない。領地を経営するためのすべを学ぶ……というのもあるが、社交界で他の貴族たちに実力をアピールするためというのもある。

 王族や公爵ならともかく、子爵であるコントレイル家は、そこまで権謀術数に巻き込まれることはない。しかしそれでも貴族は体裁が大事である。自分が見下されるということは、領地が……領民が見下されるということ。当主の失敗は下手したら領民を危険にさらす。

「しかし坊ちゃんはどうも魔法が得意みたいだ」

「そうなんですか?」

「自覚ねぇのかよ」

 やりにくいな、とロイドは内心で愚痴った。

 この年齢の子供は良くも悪くも純粋だ。下手に褒めて高慢な性格になられるとフィンドに怒られる。

「正確には、得意かもしれないってところだな。……場合によっては、魔法も本格的に伸ばした方がいいかもしれねぇ。それを確かめるために俺は呼ばれたんだ」

 まだお前に才能があるのかどうかは分からないぞ、と暗に伝える。

 ウィニングは「ふむふむ」と頷いた。

 言外の意味は、果たして伝わっているのだろうか。

「もう一つ質問があります!」

「なんだ?」

「左腕はどうしたんですか?」

「……魔物に噛み千切られたんだ。義手をつけるか迷ったが、重たいし鬱陶しいからこのままにしている」

 ロイドには左腕が存在しなかった。

 いわゆる隻腕である。

「そういうデリケートな質問は、あまり安易にするもんじゃねぇぞ」

「あ……すみません」

 前世では似たような立場だったので、つい気軽にいてしまった。

 ウィニングは反省する。

「坊ちゃん。好きな魔法はなんだ?」

「《身体強化》です!」

「子供っぽくねぇな。もっと派手な魔法もあるだろ? 火属性なら《炎獄インフェルノ》とか、風属性だと《魔嵐テンペスト》とか」

「俺の紋章だと、そんな大魔法は覚えられませんよ」

「まあな」

 自分の才能には無頓着でも、自分の欠点には詳しいらしい。

 それなら少なくとも高慢な性格には育たないだろう。

「じゃあ、《身体強化》を発動しろ」

「はい!」

 ウィニングは一瞬で《身体強化》を発動した。

 ──速い。

 普通、これぐらいの子供はもう少し時間をかけなければ発動できない。

 勿論、ロイドなら同じかそれ以上の速度で発動できるが、王立魔法学園の卒業生と六歳の子供を比較すること自体、有り得ないのである。

「そのまま維持していろ」

 集中の邪魔にはなりたくないので、少し離れた位置へ移動する。

 しばらくすると、背後から足音が聞こえた。

「調子はどうだ?」

「フィンドか」

 仕事が一区切りついたのだろうか。

 休憩がてら息子の様子を見にきたフィンドに、ロイドは説明する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る