一章 天才か変態か(2)
◇◇◇
初めて立ってから半年が経過した。
ウィニングは、母メティに抱えられながら家の庭に出ていた。
「今日はいい天気ねぇ。ウィニングもそう思うでしょう?」
「だっ!」
肯定の意味を込めて、ウィニングは
「あなた。この前言ってた家庭菜園の話なんだけど、この辺りとかどうかしら?」
「ふむ、日当たりもよさそうだし……作ってみるか」
庭の一角を指さすメティに対し、隣に立つフィンドが
フィンドの掌が、茶色の粒子にふわりと包まれる。
「《
辺りの地面が揺れ、表面の土が柔らかく耕された。
「いい感じね!」
「まあ、私にはこのくらいしかできないがな」
両手を合わせて感激するメティに対し、フィンドは苦笑した。
──魔法。
この世界には魔法が存在する。ウィニングがそれを知ったのはつい最近だ。
初めて見た時は思わず絶叫してしまった。その後も魔法を見る度に感動していたからか、両親は時折こうしてウィニングに魔法を見せてくれるようになった。
「うー」
「あら、ウィニング? お外で遊びたいの?」
母の腕の中で軽く身体をひねり、地面に下りたいアピールをすると、その意思が無事に伝わったらしくウィニングは優しく地面に下ろされた。
半年前のことを思い出す。
(多分、あれは魔法だ)
ウィニングが初めて立ち上がった時、全身に妙な光が纏わり付いていた。
あれは恐らく魔法、または魔法の出来損ないだ。
両親が大声を出すレベルで驚くので内緒にしているが、ウィニングはあれ以来、何度か例の力を使って立ち上がっていた。その時に感じる不思議な感覚は、地球では決して得られなかったものだ。そして、あの力を使う度に身体に纏わり付いていた光の粒子は、先程フィンドの掌に集まった粒子と酷似していた。
よく考えたら、生後一ヶ月の赤ん坊が立ち上がるなんて異常である。
それこそ、魔法でも使わない限り──。
あの力は魔法だ。そう確信した時、ウィニングの頭には更なる希望が生まれた。
魔法を使えば、生後一ヶ月でも立ち上がることができたのだ。
ならば────。
(魔法を使えば、地球でも見られなかったような、
期待に胸が躍る。この世界はどこまで自分を喜ばせる気だ。
「むんっ!!」
気合を入れて、ウィニングは立ち上がろうとする。
あれ以来、ウィニングはあの不思議な力を使って何度も立ち上がっていたが、立ち上がることはできても走ることはできなかった。……どうしても脚が動かなかったのだ。
魔法の問題というよりは、根本的な筋力不足。原因をそう予想したウィニングは、血の涙を流すほど
そして今、生後七ヶ月。普通の赤ん坊でも立ち上がれる子が現れる時期になった。
今の自分なら、純粋な筋力のみで立ち上がることができる。
「ぬ、おぉ……っ!!」
ウィニングは魔法を使うことなく、自力で立ち上がってみせた。
身体は順調に、すくすくと成長を遂げている。
今の自分なら────きっと走れるはずだ!
「あなた! ウィニングが何かやる気よ!」
「おお、そうだな。何か踏ん張っているように見えるが……」
両親に見守られる中、ウィニングは一歩、一歩と進み出す。
少しずつ地面を強く蹴る。
まだ筋力が足りないのか、身体を
その時──また、あの光が全身を包んだ。
虹色の粒子。どこからともなく現れたこの力が、ウィニングの背中を後押しする。
「ん、あぁあぁああぁあーーッ!!」
脚の回転が速くなる。歩幅が広くなる。両手は激しく前後に、膝は激しく上下に。
風が両脇を通り抜ける感触がした。肉と骨の
走っている。
自分は今────走っている!!
(やった……)
すぐに膝が震え、ウィニングは地面に転がった。
母が心配して身体を支えてくれる。
間違いなく、今、走った。
じわじわと実感が湧く。
目頭が熱くなった。
(…………よかった)
あぁぁ、と震える声を漏らしながらウィニングは泣いた。
心のどこかで恐れていたのだろう。……この世界でも走れないんじゃないか、この世界は全部夢で、願いが叶う直前で目が覚めてしまうんじゃないか。
その心配は
願いは叶った。
この世界なら──走れる。
「あなた、今の見た!? ウィニングが走ったわ!」
「ああ、確かに見たぞ。やはりウィニングは天才か……」
親バカ二人の愛情に心から礼を述べたかった。
まだ生後七ヶ月。けれど、ここまで育ててくれて感謝しかない。
しかしこの様子から察するに、どうやら二人にはあの虹色の光は、薄すぎたのか見えていないらしい。
「怪我はしてないかしら。……ウィニング、念のため脚を確認させてちょうだい」
そう言って母はウィニングの脚に触れる。
「……え?」
不意に、母が
「魔力の痕跡……? ウィニング、あなた今魔法を使ったの!?」
「ま、待てメティ。
「でも今、確かに魔力の感触がしたわ……」
諭そうとする父。しかし母は驚いた様子でウィニングを見つめ続けた。
「フィンド。もしかしたら、ウィニングは本当に天才かもしれないわ」
「……生後一ヶ月で立ったんだ。その可能性は十分あるな」
この日を境に、両親や使用人たちのウィニングを見る目が変わる。
ウィニングは天才なんじゃないか……?
誰もが同じことを思った。
──紋章が現れるまでは。
◇◇◇
ウィニングは五歳になった。
この五年間、とにかく色んなことがあった。
前世では、五歳の頃の自分が何をして何を考えていたのかなんて全く覚えていない。しかし今回の──二度目の人生は赤ん坊の頃から意識がはっきりしていた。
だから分かったが、誰もが覚えていないだけで、赤ん坊はハードスケジュールをこなしているのだ。
特に面倒だったのは挨拶回り。
一歳になった頃、父がウィニングのことを色んな人に自慢したがり、頻繁に外出した。ウィニングは親に抱かれて移動するため体力的な負担はなかったが、精神的に疲れた。貴族だからきっと挨拶も大事なのだろうが、ウィニングはこの五年間で恐らく百人以上の大人と顔を合わせている。流石にげんなりした。
それから、両親に文字を教えてもらった。
「ウィニング! そろそろお昼ご飯よーー!」
「はーーーい!」
母が庭に出てウィニングを呼ぶ。
「いやっほーーーーーーっ!!」
ウィニングは、芝生が一面に敷かれた庭を走り抜けながら家に向かった。
あれから、ウィニングは毎日のように庭を走っていた。
何度走っても飽きない。朝、目を覚ましてから夜眠るまで、体力が尽きるまで常に走り続けたい。そんな気持ちが止めどなく
だが、魔法はもう使っていなかった。
ウィニングは生後七ヶ月の時、魔法(と
それは生死を
ウィニングは、生まれて初めて死を意識した。
あの苦しみはトラウマとなって、記憶に強く刻まれている。
無理をしてはいけない。
下手すると、今度は脚どころか心臓が動かなくなってしまう。
魔法は思ったよりもデリケートで、リスクがある。
だからウィニングは、無理して魔法を使うことをやめ、時が来るまでは自分の筋力だけで走ることにした。それでも十分楽しいので全く問題はない。
精神年齢は
両親から許可を
(次の目標は、魔法を使って走ることだ。……でも焦らない。時が来るまでは、今の自分にできることを精一杯頑張ろう)
大丈夫、待つのは慣れている。
初めて立ち上がった時から走れるようになるまでの間も、ひたすら待った。
前世では分からなかったが、大事な目標を達成したいと思うなら、待つことはとても大事なのかもしれない。
「ウィニングはわんぱくねぇ」
走る息子を見て、メティは癒やされていた。
「母上! もう一回走ってきていいですか!」
「お昼ご飯を食べてからにしましょう」
まだ走り足りないウィニングは「ちぇっ」と唇を
母はいつもおっとりしていて穏やかな性格だが……怒るととても怖いのだ。
母と共に、長い廊下を歩いて食堂へ向かう。
そこには小さな先客が二人いた。
「にーちゃ!」
「にーちゃ!」
二人の男女が目を輝かせてウィニングに近づいた。
「はいはい、兄ちゃんだぞー」
ウィニングは弟と妹の頭を撫でる。
レイン=コントレイルと、ホルン=コントレイル。二人は二年前に生まれた双子だった。
レインは父、兄と同じように灰色の髪で、ホルンは母と同じく明るい橙色の髪をしている。
前世できょうだいがいなかったウィニングは、この二人を心底可愛がっていた。
走ることの次に愛している。
「メティ、飲み物を持ってきてくれるか」
その時、食堂に入ってきたフィンドが言った。
するとメティはコップの前に手を
「水くらいなら出すわよ」
メティの掌が水色に輝く。
コップの上に水球が現れ、ぽちゃりと落ちた。
コップの中には、透明な水が揺らめいている。
魔法だ。相変わらず心躍る光景である。
「いただきます」
その後、五人で食事を楽しんだ。
食事が終わった後、ウィニングはすぐに立ち上がる。
「にーちゃ!」
「ごめんよ。そろそろお兄ちゃんはお勉強の時間だ」
弟と妹はウィニングと遊びたがったが、ウィニングは葛藤の末、これを断った。
昼食後──ウィニングはいつも魔法の勉強をしていた。
食べ物の消化中に走ると腹痛がするため、他のことに集中するしかなかったのだ。
「母上。魔法の教科書が読みたいです」
「分かったわ。……はい、これね」
魔法は扱い方を誤れば、極めて危険な事故に
だからウィニングが魔法を学ぶには毎回親の許可が必要だった。魔法に関連する本は、親が手渡した物以外は読んではならないルールだ。
「ウィニング、読み聞かせてあげましょうか?」
「いえ、大丈夫です」
そう言ってウィニングは、黙々と読書を始めた。
しかしすぐに顔を上げ、
「母上。いつになったら魔法を教えてもらえますか?」
「そうねぇ、魔法は危険な技術だし……六歳までは座学だけで我慢してちょうだい? 他の家庭でも同じなのよ」
「………………分かりました」
魔法は許可を貰うまでは試さないと決めている。が、それはそうと許可を貰うための努力はしていた。しかし母は心配性らしく、なかなか頷いてくれない。
ウィニングは「ぐぬぬ」と悔しそうな顔で頷き、読書を再開した。
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