ポエムの墓
ふたりはそれを「しごと」とよんでいた。煤けたサッシ戸に鍵はかかっていないけれど、引こうとしても役割をわすれたかのようにたてつけがわるく、もう持ち主は帰ってこないのだから、なれた横蹴りでけとばして入る。きいろのホコリ玉が足早に逃げてゆき、雪の結晶のもようをしたガラスがこなごなに割れる音だけ、無人の荒野でおそわれた悲鳴のごとくひびきわたった。あおいアワダチソウの精子のようにうっとくる夏くささにまじる、すてられた家特有の、祖母のあばら屋の線香みたいなやさしい匂い。かつて生と死がしろい紙をくろく塗りつぶすかのようにいくつも交差したこの場所は、直線がまっとうな直線であるかぎり、二度とまじわることがない。まっとうでなかったとしたら? 「おじゃまします」ともみじのような手をあわせ、こぶりな頭をさげながら、舌足らずな口調で、つぶやくのはキレコのほうだった。三和土にはゴシックの革をまだひからせている靴が陸に打ち上げられたくじらのような体を横たえている。キレコは玄関のよごれていない場所をえらんでこしかけ、爪先の口がばかみたいにぱっくりひらいたピンク色のスポーツシューズを脱ぎ、踵がはきつぶされたそれを丁寧に並べるけれど、キレオはふたりにしてはサイズが大きすぎるほかの靴をすべて胸にかかえ、土足のまますばやく家中をかけぬけ、台所のシンクをとびまわる銀蠅なんて見なれてるけれどいまさら顔をしかめながら、くたくたのシャツの裾を垢だらけのヘソがあらわれるほどに捲り口元をおさえて、しみついた汗のにおいに憔悴した気をまぎらせながら、和室のすみで居眠りしているタンスの豪奢な取っ手に目をみひらいた。まだ荒らされた形跡がない。これだ!
「ええもんあったぞ!」
キレオは下の段からじゅんに引き出しをあけながら、階下に呼びかけて、キレコはつたない足取りで亀裂だらけのかたむいた階段をはいあがり、ちいさな背中には不似合いなナップサックをおろした。ノースウェストと刺繍されたそのナップサックも「しごと」で手に入れたものである。キレオは慎重なてつきでおもいのほか整理されたタンスの中身を検分しながら、時計や指輪やピアスといった金目のものを、次々とナップサックに放りこむ。いちばん上の段の引き出しの底にかくれていた預金通帳をさいごにひらけば、桁のかずにむずかしい顔でうなずいたのち、そっとタンスにもどした。
こういうときのキレオの所作がキレコには不満だった。どうしてそれを持っていくんだろう。もっと必要なものがあるんじゃないのかな。私ならもっとうまくやるのに。でも、なにが必要なのかわからないし、必要って言葉じたい、なにかちがうきがする。私は誰にも必要とされていないし、生きるいみもわからなくて、ここにどうして存在しているのか、ときどきおしっこを我慢しているように居たたまれなくなる、と、教育をうけていない彼女は、「ごめんなさい」とキレオには聞こえないぐらいの声でつぶやくだけで、くたびれた畳にあざだらけの足をくずして座りこみ、帰りたいな、と、胃液のすっぱさにまみれたあくびを噛みころす。キレコは「しごと」がいやだった。
そこらをゆうゆうと闊歩する牛ですらはいりそうなほどおおきなナップサックは埋まらなくて、ふたりはぐうと鳴りだしたおなかを満たすかのごとく、ほかの部屋もさがすことにした。すでにほとんどの家屋にはふたりよりずっと手際のいい盗賊が入っており、いいものを見つけるのは、かつてよりずっと星がふえた空に北極星を見いだすほどむずかしい。が、なかには息をひそめたかのように手つかずの物件もあり、かたくなな扉をむりやりあけたときのしめった匂いに、キレオは身ぶるいするぐらい興奮するのだけれど、その征服欲の充足が大人の男性のものであることを、まだ精通をむかえていないキレオはしらなくて、ただ怖いと毛がはえはじめた下半身でおもう。皮をむいたときのほうが小便がとおくまで飛んだ。大人になりたくない。たとえば母親に甘えるように、彼は「しごと」に没頭する。外観よりおおきな家屋で、こじんまりとした屋根裏部屋も見つかり、収納式のハシゴははんぶんしか下ろせなかったけれど、力づくでよじのぼれば、たおれた天体望遠鏡のよこ、学習机のうえにちびた鉛筆やまるまった消しゴムのカスとともにのこされた教科書の、表紙に黒マジックできざまれた平仮名の名前をみて、ああ女の子がいたんだ、と、キレオはかなしくなる。キレコはそれがほしいと親指をかみながら、そういうときにキレオは怒ると知っていたので、言い出せなかった。
「あっ、キライ!」
キレコのあかるい声でキレオがふりかえると、雨漏りが墨汁で「川」とへたくそに書いたような線をいくつもひいたふすまの影から、毛なみのつややかなハクビシンがきょとんとした顔をのぞかせていた。あたりではたくさんの小動物をみかけることがあったが、なにをみてもキレコは指をさして「キライ」とよぶ。死体をみつければ手を汚すこともいとわず墓をつくるぐらい、動物ずきのキレコは、ねずみを捕まえるねこのように体を伏せながらハクビシンに飛びかかり、もっと俊敏なハクビシンは体をひるがえして器用に腕をのがれ、階段をじぐさぐににげていく。
「まてー!」
振動で家屋がみしみしと唸り、あちこちに隙間がめだつ天井からかびくさいホコリが落ちてきた。ひかりを浴びてきらきらかがやくそれがどうにも受け入れがたく、キレオはぐすんと鼻をすすって眉をひそめ、「しごと」を終えたときかならず手のひらを見るように、窓のむこうへまつげのぴんと伸びた目をくばる。
いまさらおもうことではないけれど、ベランダに面したおおきな掃き出し窓のむこうには、なにもない。なにもない、というのは、草むらがひろがっているとか、空がひろいとか、そういうありふれた景色のことではなく、かつてあった町だとか暮らしをおもうとき、それが失われたたった一日の諦めにもよく似た慟哭を振り返るとき、胸に手をあててみて、「なにもない」すら「ない」。「あった」という過去形はやがて現在形に浸食され、いまとなっては緑や青の風景に上書きしようとしてもモノクロの水彩絵具がうきあがる。芸術は描いたひとが素晴らしいのではなく、それを美しいと受け止める感性こそが素晴らしいのだという。おなじようにこの景色をみて「なにもない」と感じることができる自分の感性だけ、キレオは手放したくないとおもった。両親をうしなった日、キレコとふたり、ここでいきていこうと決めた。簡素な納体袋のジッパーをゆっくりと下ろせば濃縮したような海のすっぱいにおいがあふれてきて、物心もろくについていなかったキレコは、「これはお父さんとお母さんじゃない」とちっちゃな鼻をつまみ、おもわぬクリスマスプレゼントに不平をもらすような口調で言い捨てたため、遺体は身よりのないものが優先的にまわされる仮土葬によって処理がされた。キレオはあのときのことをいまでも夢にみるほどに後悔している。もっとちゃんとした言葉をあのときキレコにあたえられていれば、いまごろべつの人生があったのではないか。けれども冬場は陸地よりも海のほうがあたたかいため、遺体は腐敗がすすみ、魚に食い散らかされていたあれを、キレオはなんと形容すればいいのかわからなかった。その日の夜、かわいそうにおもってくれたのだろう、きょうだいには貴重な刺身がふるまわれた。おいしそうに不器用な箸づかいでウニをついばむキレコのとなりで、キレオは吐き気をこらえ、なんどもトイレにいき、くやしくて、汚物があふれている和式便器をすねが腫れあがるほどに蹴りつけた。漁師の父をもち、釣りに付き合うこともあったキレオは、ウニが腐肉を食べることをよく知っていた。ぷりぷりに育ったきんいろのウニが、水すらろくに飲めず衰弱した体には、胃から涙がにじみでるぐらいおいしかったこと。ふるえる指で「ごちそうさまでした」と箸を置いたすぐあとに、キレオはキレコを背負って、断罪をまつ拘置所のごとく居心地のわるい避難所を飛び出したのではなかったか。
「なじょだらっ!」
ひさしぶりにあの町で喧嘩したときよくつかった口ぎたない捨て台詞を吐きちらかして、レースカーテンがオレンジ色にそまった窓のむこう、山端へ沈んでいく夕陽のなごりに、ちょっと待てよと、いつかの別れみち、いまはもう会えない友だちを呼ぶように、語りかけてみる。のどが震えたとたん、首のよこがぴりりと痛み、手をあてれば、汗をかいてもいないのに焼けるような熱をもち、かたく腫れていた。放射性ヨウ素の半減期がごく短いことを、あのころ耳が痛くなるほど大人の怒声をあびたから、キレオはしっている。当時、政府の測定により問題のないことはわかったらしかったが、半減期からみれば時間がたちすぎていたため、プルームが頭上を流れていった直後、どのぐらい危険だったのかはわからない。見えないし、匂わないのをいいことに、重要なことをすべからく隠した政府の測定値より、はるかに体は正直だ。あるいは、正直でありつづけるため、守り神のごとくこの地に残ろうと決めたのかもしれない。命の半減期はどのぐらいのこっているのだろうか、などと、三桁のかけ算に頭をかかえるぐらい算数が苦手だったキレオは、手をひろげて指をかぞえ、なれない思索にふけてみた。
「キレオ」
階下からキレコの声がした。あのとき特有の、よわよわしい声だったから、つづく言葉は聞かなくてもわかった。いつでもその声を聞けば、背筋がぞわっと寒くなる。
「ポエム読んで」
隠れ家のような小部屋は、深遠な意思がそうさせたかのように、よこだおしになり陶器の破片をまきちらす食器棚で、そうひろくない間口がふさがれていたから、さいしょは気づかなかった。体のちいさなキレコは、あくまの口のようにとがる木片が牙をむいた鈍角三角形の、隙間からするりと入れたようだったが、キレオはいかった肩があたるため難渋し、けっきょくいったん外に出て、クランキーチョコレートのごとくセメントがくずれおちた塀によじのぼり、隣接した出窓からすべりこむことにした。網入りガラスはこなごなに割れていたし、ひしがたの形に窓はひろがっていたため、たおれたラッパ型の花瓶からはみだしている、老人の手のようなドライフラワーと化した、ちゃいろい水仙をつぶさないよう気をつけさえすれば、そうむずかしくなく部屋に入ることができた。
当時の暮らしむきがうかがえるような、物がすくない部屋であったらしい。ひとつL字の金具で固定されていたとおもわれる本棚が、皮膚をべりべりと剥ぐように壁板ごと崩れているだけで、こむずかしそうな文庫本がつかれきった表紙としっぽのようなスピンを散乱させているほか、床はちらかっていなかった。きせつはずれの粉雪がつもったようにうっすらホコリをかぶった、ふやけて乾いたのち英文のサンセリフ体が虫食いだらけの、一冊だけひらいたヘミングウェイを時計回りによけて歩み、キレオより背がたかいあたりの土壁にひかれたなにかを測るかのようにまっすぐな水の跡はみないようにして、なれない正座のため素足の赤茶けたゆびさきがちからなく震えているキレコのとなりに立った。こわばりがつたわらないよう、半ズボンのポケットに両手をつっこんで。
ハクビシンの親子が待っていてくれたかのようにかわいらしい顔をまえにつんと揃えた。りっぱな祭壇はおもったより崩れておらず、がくぶちのカラー写真も傾いていなかった。とうめいなクリスタルグラスに注がれていただろう水はしろいカルシウムの円環をのこしたままかわき、きもちぶんの木の茶碗にまんまるく盛られたご飯は、ちからいっぱいのにぎりこぶしみたいにくろく固まっていた。その正面だった。むらさきいろのしなびた座布団のうえに、おもったとおり、白骨化した遺体を見つけた。あたりにまるく広がった沁みが焦げついたかのように蒸発している。正座したまま朽ちた遺体はいくつか見たことがあるが、まるで覚悟がそのまま具現化したかのごとく、ここまできれいにかたちが遺っているものははじめて見た。手をあわせ、顔をうつむかせているのもわかる。祭壇にかざられた写真のおじいさんはやさしく微笑んでいるのに、その向かいにいる彼女は骨と化しているのが、鏡うつしはすべてそうであるように、残酷なひかりのように対照的だった。女性だとしったのは、わずかにはえのこった灰色の髪がながいことと、首からまだひかりを絶やしていない琥珀色のネックレスがぶらさがっていたからだ。おそらく夫婦だったのだろう。
「はじめるぞ」
キレオがかすれた声をむりやりはきだすと、キレコはナップサックの底からパンダが笹をたべる表紙の学習帳と紺色のボールペンを取り出し、ぞんざいに片手でキレオにわたした。キレオはいつのまにか汗まみれになっていた顔を両手でばしばし叩き黄土でよごし、すっかりのびきったフケだらけの前髪をふたつにかきわけ、ふかいしわが寄った眉間をあらわしてから、正座をととのえ、ペンをにぎり、いちど手を胸のまえであわせ、開いたノートをおがむようにかじりつく。ペンの先からあふれた海のいろが紙をしめらせていった。
いつから遺体をいたむことをはじめたのだろう。すくなくとも、両親が亡くなったころは、そんなことをおもいもしなかったはずだが。あのころは怒ってばかりいた、と、キレオはふりかえる。理不尽にたちむかうには、怒りよりも祈りなのだと、そこまであの町並みのようにぐちゃぐちゃだった思考を整理できていたわけではない。さいしょはほんの気まぐれ、あるいは、ほんの皮肉だったとおもう。学校の授業でならった「生ましめんかな」というポエムを遺体の装飾品をはがしながらそらんじたのだ。「己が命捨つとも」という一節を切り捨てるように読み終えた瞬間、貝のボタンをはずした刹那、21グラムぐらい、なにかが減るような感覚があった。減ったものがなんなのか、水をつかむように定かではなかったが、それはいまの自分にとって、余計なものなのだという気がキレオはした。知っているポエムは教科書にのっていたわずかしかなく、やがて自分がしたためたポエムの朗読をはじめる。ふだんポエムを書くことはなかったが、それぞれのかたちで朽ち果てた遺体に耳をすませば、ノスタルジーはいくらでもポエジーにかわった。そうすることによってのみ、遺体に近づけるとおもったのだ。ほんとうは、両親の遺体に近づきたかった。見たのか見てないのか覚えていない、ただ匂いだけがいまも鼻をつく。それはいつのまにか、洗濯したてのエプロンのような匂いにすりかわっていた。「お父さんとお母さんじゃない」とキレコはわかりきったような口調でつきはなした。もしも向こうの世界とつながっているのなら、この遺体をつうじて語りかけ、両親にあやまることはできるだろうか。「絆」というあのころつかわれすぎて意味がわからなくなった言葉をおもいだす。キレオにとってそれは、こちらとあちらをつなぐほそい、しかしたしかな維管束にほかならなかった。へそに手をあててみる。いつかここで、つながっていた気がする……。
ポエムを読み終えると、またすこし、落ち着いた。ふう、とあぶらくさい息でかわいたくちびるを濡らせば、西むきの窓からななめにさしこんだ夕陽が、蜘蛛の巣もようのヒビで拡散した七色のひかりを部屋中にまきちらして、祝福みたいだとおもった。ハクビシンの親子はいつのまにか足跡ものこさずに消えている。これぐらいはもらってもいいだろう、と、遺体の首元にひっかかったネックレスをくすねる。骨が、くしゅん、と鳴って、首がこわれそうなほどうつむき、泣きそうになったのは、こわいからじゃない。すべてが海にさらわれたいま、こわいものはなにもなかった。
かえりみち、キレコがぶきような口調ながら、めずらしくポエムを褒めた。月が三月中旬の午後二時四十六分のようにあかるい夜で、かえる宛のない龍の背のようなけものみちが水のながれた跡のようにはっきり見えた。
「キレオのポエムは、どこから出てくるの?」
無音をしつらえるタクトのごとく、キレコがもぎとったススキをもてあますように、ふりまわしながら尋ねた。神のけものの尾のようなおうごんの穂があたりを舞い、月光の影がいつかの雪みたいに、花みたいに、モノクロの荒野をしくしくと染めていく。奇跡みたいな夜だ、そうおもいながら、キレオは「しごと」をはらんでずっしり重くなったナップサックを背負いなおす。手をつないだふたつの影がいきもののようにゆれた。
「ポエムの墓、っていうのがあるんだ」
星がまばゆい、いつかの空だから、ふいに嘘をついてみたくなった。
「北ってわかるか。そっちに、でっかいコンクリートの建物がある。それがポエムの墓なんだ。その墓は昔はポエムの工場で、昼も夜もポエムを作り、いろんなひとを幸せにしてきた。でもある日、その工場はわるいひとが爆発させちまってな。たくさんのポエムがとびちって、世界中を汚染した。俺が読んでるのは、そのときに広がったポエムを、拾ってるだけなんだよ」
言ってみて、なんだか居住まいがわるくなり、
「ポエムっていうのは、嘘のことなんだ」
とつけたすと、やっとしっくりきた。そうか、あの工場は、嘘をつくってたんだ、とおもえば、あのころの怒りもすこしは消えていくきがした。
「じゃあキレオは、世界一のおお嘘つきなんだね!」
キレコの返事がむじゃきすぎて、ひいひい、のどがなる。そうおもえば、自分が死者にしていることはなんであろう。でも、かれらにほんとうのことを伝えるのは、ちがうきがする……。やすらかに眠ってもらうため、なにもなかったころの世界のはなしを、いや、なにもなかった未来のはなしを、たくさんしたかった。
夜、ながされた家がのこしたコンクリートの土台に体をおしこめて、赤子のように丸くなりねむっていると、不安になる。自分ははたして大人になるのだろうか。大人になるためのやりかたを、体はおぼえはじめていて、ねぼけたキレコに抱きつかれたとき、しめりけのある胸のわずかなふくらみに、はちきれそうな風船が針でさされたかのように全身から快感がほとばしり、マラソンのあとのようなけだるさとともに下着をぬぐと、ぐっしょり濡れていて、はだかのまま飛びだした。いたいほどに血が煮えたって、いままでのいつよりも怒っているような心持ちだった。いまさらになって、こわかったのは、自分だ。
どこまで行っても世界はおわらなかった。かなしいぐらい世界は嘘をついていなかった。あやまりたかったんじゃない。ほんとうは、あやまってほしかった。四つ葉のクローバーみたいにプロペラをはためかせるドローンが音もたてずに飛び、キレオのすがたを見つけると、はさみで紙を切り落としたようなシャッター音がさりさりと鳴る。幸せってなんだろう。あわてて足元の石を投げつけたが、できあいのサイドスローからわずかにカーブした自意識は、ぎんいろのドローンにかすることもなく、きんいろの月があははとわらっていた。
キレコがいつものようにあちこちの廃墟で集めたものを地面にひろげお店をひらいていたところ、キレオのすがたがない。たくさんのキライがお店にきてくれたけれど、冗談っぽく値切りながら買いものをしてくれるのは、やさしいキレオしかいなかった。あんまり好きではなかった、キレオのうすぐらい笑顔が、胸からあふれるぐらいこいしくなって、品物をかたづけることもなく、キレオをさがすため出かけることにした。みえないものがながれついている、まっしろい砂浜に、はだしのちいさな足跡をつけていく。海岸線をずっと北にあるけば世界のまんなかにあるという、「ポエムの墓」だ。
キレオはおお嘘つきだから、ほんとうは、ポエムの墓なんてないものだとおもっていた。あった。そらたかく伸びるつめたい卒塔婆をたずさえて、灰色のしかくいコンクリートがよっつ。建屋の上部はむざんにも鉄骨があらわになっており、キレオのいうとおり、かつて爆発したのだとわかった。まわりにはたくさんの円筒形をしたタンクが広がっている。このすべてにポエムがつまっているのだろうか。水がにじんでいて、指でさわり、鼻にあててみたが、匂いはまったくない。なめてみる。味もしない。ああ、わからないから、ポエムって嘘なんだ。
「……キレオ?」
ポエムの墓に、おそるおそる呼びかけたが、しずまりかえっている。
「キレオ!!」
もういちど、はりさけんばかりの声を全身からしぼりだしたけれど、どっしり鎮座する墓にはねかえされた音が不気味にこだまするだけだった。
道のむこうから、しろい服につつまれたけものが近づいてきた。キライじゃない! あわててポエムの墓のすきまに体をかくす。けものは、とうめいなビニル袋につつまれた靴で、タダチニ、タダチニ、と、暴力的なあしおとをならしながら、目のまえをかけぬけていった。かれらはきっとポエムの墓のはかもりだ。爆発したこの場所からいまもあふれている嘘をかくすため、まもっている。
「……キレオ」
キレオも、おなじだったのかもしれないな。すごくかなしくなってしまって、体操ずわりした膝に顔をうずめ、さめざめ泣いていると、なにかに足をたたかれた。
キレコが顔をあげると、そこには二匹のキライがいた。見たことがないのに、どこか懐かしい面持ちをしたキライで、キレコはかれらのことを信じてもいいとおもった。
キライはなんどもふりかえって、血がめぐるような管におおわれた細いみちを駆けていく。キレコはひっしに這いつくばりながら、すぐにそのあとを追いかけた。
かんぜんな子宮のかたちをした、てつの物体があり、そのまわりをドーナツ状の足場がぎょうぎょうしく囲っていた。おくまですすむと、生理のきていない女の子ならとおれるぐらいのささやかな扉のそばに、はだかのキレオが鼻血をくろく顔にこびりつかせて倒れていた。
これまでおおくの遺体を見送ってきたから、やすらかな顔でねむっているように見えるキレオも、すでにおなじであることはわかった。それなのに、ふしぎとかなしくはない。ポエムをよまなくちゃ。ここはかつてポエムがあった場所だから、たくさんのポエムがあふれているから、いくらでも拾えるはずなのに、「あ」からはじめていいのか「い」からはじめていいのかわからない。
これまでに読まれてきた、たくさんのポエムをおもいかえす。それでようやく、そのなかにはひとつも、嘘はないのだとわかった。そりゃそうだ。おお嘘つきのキレオがつくおお嘘なのだから、ほんとうのことに決まってるじゃないか!
「ごめんね」
ぜんぶ、嘘にしてしまいたかったのだろう。いまさらキレオのかなしみにふれる。いや、キレオだけじゃない。これまでにポエムにされたすべての。
気がつくと、まわりをしろい服のけものに囲まれていた。なんとみにくいのだろう。いつかキレオが言ってたっけ。かれらのことを詩人っていうんだよって。世界のそとはいま、たくさんの詩人であふれてるんだよって。
ポエムになりたいとおもった。扉の開け方は「しごと」が教えてくれた。キレコは子宮のなかのたいようにとびこんで、三十年にわたる、朗読をはじめた。
「生ましめんかな。生ましめんかな。己が命捨つとも」
■引用
栗原貞子「生ましめんかな」
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