生きなおし

 無断で興信所を雇った姉の言い分を全て呑み込めた訳ではなかったが、戸籍謄本を含めた分厚い資料によれば「水上曜という人物は2011年3月11日に行方不明になった」が動かしようのない事実らしく、ろくな苦労もなく大企業に入った頭にも「結婚詐欺」という四文字はすぐに過ぎった。次に「曜は何者なのか確認したい」と思い付き、「別れるのはいつでもできる」とサインが片方ない婚姻届を置き去りに、新大阪駅ののぞみを捕まえた。姉の言葉を借りないまでも「結論は変わらない」だろう。曜と過ごした十年間を見限るだけの理由が欲しかったのだ。

 夜ノ森駅で降り、しばらく呆然とした。恋人が戸籍を奪った「水上曜」の故郷は、あの震災から十年以上経つ。駅周辺は避難指示が解除されていた筈で、復興の報せはこれといった意識もなく遠く離れた関西で暮らす耳にすら入っている。目の前には何もなかった。

 大きなリュックサックを背中から下ろし、ゼムクリップ留めの資料を検め直す。水でふやけた「水上曜」のスナップ写真は、隣でピースを揃える恋人とは似ても似つかない美人だった。すぐ近くにかつてあった高校の制服だという。「水上曜」のルーツが分かれば、恋人とも紐付くのではないかと、ふたりの地元で聞き込みをするつもりだったが、ようやく朽ちた石に腰かけた老婆だけ見つかる。

「ヨウちゃんとセイちゃんか」

 耄碌しているようにも見える老婆の言葉を半分は疑いつつ、写真を睨む濁った瞳が表した光と、いつか恋人が「セイコ」と呼ばれて振り返ったことを思い出し、恋人が売れていないもののアイドルをしていることを伝えたところ、「ヨウちゃんはアイドルになるのが夢だった」と老婆は頷いた。そしてセイちゃんはヨウちゃんに憧れていた。津波に呑まれた彼女の人生を、生きなおしたかったのだろうと。

『生きなおしてまであなたと結婚したかったのでしょう』

 常磐線に揺られながら、老婆に言われた言葉を噛み締めていた。「復興」とは何だろう。騙されたままでもいいのではないか、と、答え染みたそれと違う結論を出すであろう自分を持て余しながら、しかし本当の「セイちゃん」の人生はどこにあるのか、何もない窓の外を見つめれば、海を見下ろせる一軒家の縁側で、尾の丸い柴犬と水浴びをする我が子の未来に色がついていた。

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