福島短編集
にゃんしー
チャンステーマ
一万八千人入るというオロナミンC球場は土盛の外野席まで埋まっていた。文化圏としては関西に近いからか、縦縞のチームに由来する野球狂も多く、入道雲を浮かべたようなぬるったいビール片手に、阿波牛のはみだしたハンバーガーに噛りつく。試合開始は午後二時。東日本では節電要請が出されたという、例年より暑い夏、瀬戸内らしくからっとした砂塵に眉を顰める。軽いウォームアップしかしていないにも関わらず、早くも滲みはじめた額の汗を群青のアンダーシャツで拭いながら、澄人は、もしも甲子園に出られれば、と考えた。週刊朝日の増刊号には、自分の名前と、出身県が一文字違いで掲載される筈だ。
澄人の初球、長閑にも聞こえるサイレンの中、分かりやすく気合いが入ったクラウチングスタイルで睨んでくる点線眉毛に向かい合い、マネージャのノートによれば1を越えたOPSの数字を頭に入れつつ、あざわらうようなカーブをド真ん中に投げる。実績こそ澄人の高校のほうが目立っていたけれど、近年の勢いでいえば昨夏の県大会を制した相手校に分があろう。かつて甲子園のチーム打率を塗り替えた切れ目ない「うずしお打線」は今年も健在で、練習試合ではかの大谷翔平をノックアウトしたらしい。「あんなもん」と澄人は復興を取り上げた新聞の一面を脳内でくしゃくしゃにする。打線には、右サイドスロー対策なのか、左打者を並べていた。しかし澄人が得意とするバックドアのカッターは、左のコンタクトヒッターにもっとも威力を発揮する。膝元に投げ込むクロスファイアで仰け反らせつつ、外角高めぎりぎりのカッターを上から叩かせれば、計算どおりのショートゴロみっつで初回の守りを終えた。
相手チームのエースも澄人同様、球夏をひとりで投げ抜いてきたサイドスローで、利き腕以外はよく似ている。ボールひとつ分の出し入れができるコントロールは「淡路のマダックス」の異名のとおり佳所だったが、ガンの数字でいえば澄人より十の桁ひとつ遅い。が、先頭打者はまるでスイングになっていない無様な三球三振ののち、ベンチに戻ってくるなり顔を青くして「ボールが消えた」と証言した。
澄人の高校に変化球「カッター」が伝わっているように、相手校には直伝の「うずしおシンカー」があった。一度浮き上がったように見えてから、利き腕とおなじ方向に沈むこの変化球を得意とした同校出身の投手はかつて、プロ野球で八者連続奪三振を成し遂げたという。右打者にとっては逃げる方向の変化となるため、右ばかり連なる打線は、掠ることもできないままKをみっつ記録した。
2回表。澄人はその「うずしおシンカー」を投げてみた。鏡映しの投球フォームをそのまま真似れば、自分のものでないように体が動き、ゆるい球はベースの手前で落ちた。相手打者はつんのめるように変化を追いながら、ハーフスイングを三塁塁審に宣告され、澄人はつばの裏に「富岡は負けん」とちいさな文字で書いた帽子をふかく被り直す。転校後すぐだったか、社会科見学で、鳴門のうずしおを観たことはあった。写真にあるような立派なものはそうそう拝めないのだと知った。それよりは、と、澄人は考える。地元の、潮目の海だ。黒潮と親潮が雄大にぶつかりあう、あの海に比べれば、「うずしお」なんて。
三者凡退に仕留めてベンチへ戻ったところ、大事な話があるとマネージャに切り出されたので、ベンチ裏にスパイクを引きずれば、監督が投手出身らしい大きな背中を向けていた。野球部のマネージャとエースは恋仲になることも多いらしいと澄人は知っており、実際、彼女はチアリーダー以上の阿波美人だったけれど、気取ったような標準語が苦手だった。地元の野球部のマネージャだった子は、太っていたうえに力士を思わせるひっつめで、ぜんぜん美人じゃなかったが、ビハインドでは必ず「でれすけ」とちからづよく尻を叩いてくれて、その度に全力の真っ直ぐで応えてきた。どこかでこの試合を観ているだろうか、と、彼女のような空を睨んでも、あいにくの曇天で、監督に向き直った途端、煙草が切れているときの関西なまりで「バックネット裏に楽天のスカウトが来てんぞ」と教えた。キャッチボールで、胸元にボールを投げ込むような物言いに、澄人は「失礼します」とだけ返し、ベンチに戻ろうとしたとき、後ろから聞こえた「お前はいつもひとりで野球しとるな」という声は奇妙に優しかったが、振り返らなかった。
徳島になんて来たくなかった。叔父さんも床屋のお姉さんもクラスメイトも声を揃えたとおり、何もない町に見えた。名物といえば「阿波踊り」と「うずしお」だけ。それより「なぁーんもあれへんとこやけん」しか言わない卑屈さが気に障って仕方なかった。「お前らは本当の『何もない』を知ってるのか」とよっぽど言い返したかった。
「なんでさあ、澄人くんが背番号1をもらえたのか、わかる?」
フェンスに身を乗り出させて声を嗄らしているチームメイトから離れ、ハンカチを輪ゴムで縛った氷漬けのポカリスエットを啜っていると、マネージャが澄人の隣に腰かけた。剥き出しの真白い腕から立ちのぼる、すだちの香りに、うっと胸が詰まりそうになった。
(チームの誰よりも球が速かったからだろ)
そう言いかけて、止めた。地方大会では毎年優勝候補に上がる古豪で、澄人は転校してくるなり、エースナンバーを任された。本来、高校野球では、度を外した越境入学による争いの過熱を防ぐため、転校後一年間は公式戦に出られない決まりがある。澄人が夏の甲子園への出場を賭けた決勝戦のマウンドに立てているのは、このルールの例外に当たるからだった。すなわち、澄人がもともといた高校は、三月に政府の指示による休校状態となったため、野球部を含めた生徒たちは全国に離散したのである。
(俺が可哀相だったからだろ)
マネージャの驚いたような栗色の瞳から目を逸らす。「相双のダルビッシュ」と地元紙を飾れば誇らしかった異名も、もはや息苦しく、しかし双葉をモチーフにしたユニフォームは捨ててない。その代わり、澄人は投げ方をサイドに変えた。球速は落ちたけれど、「ストライクかボールか」のふたつしかサインがなかった制球はゾーンを四分割できるぐらい良くなり、かつてのメジャーリーガーが伝授してくれたという「カッター」を覚えれば、打線の援護もあって、あの頃が悲しくなるぐらい勝てるようになった。
「澄人くんには、勝つよりも大事なことがあるんだよね」
分かったような口を利くな。かつての自分の夢が「モテたい」だったことなんて、知らない癖に。今は違う。「プロになりたい」ほど純粋にもなれなかった。かといって拾いたいのは甲子園の土じゃない。土を詰めたたくさんの真っ黒いフレコンバッグに、白いペンキで走り書きされたシーベルトの数字。
目のまえでは相手チームが不気味な円陣を組んでいた。澄人がグラブを手に取り、立ち上がると、マネージャの柔らかい手が澄人の尻を思い切ったように触れ、
「あほ」
と、かぼそい声が蝉の声に混じれば、蝉の声はあの町と違うのだから、指の形は自然にカッターの握りを確かめている。
5回表の先頭打者。すきっ歯のクラッチヒッターが、ずんぐりの体躯をおもいきり屈め、内角球に当たりそうなほどベース間際の投手寄りに立っていることが気になった。澄人はいつもより長い間を取り、外角低めに投げた「うずしおシンカー」は悪い球ではなかったが、教科書どおりのバレルで捉えられた山なりの打球は右中間を真っ二つに割った。スタンディングダブル。この試合、初めて得点圏にランナーが出て、鬱憤を晴らすかのように「チキチキバンバン」が奏でられる。澄人はうろ覚えの歌詞を口ずさんでみた。いつだったか、北海道の高校と戦ったときもこのチャンステーマだったっけ。沖縄は「ハイサイおじさん」だったな。和歌山の強豪は「ジョックロック」で、あの魔曲が流れ出すと三者連続のバックスクリーンを食らったんだ。それから「サウスポー」は定番曲。うちの高校は……。
勝つことよりも大切なのは、負けることだったのかもしれないと、澄人は思う。
「うずしお打線」は当然「うずしおシンカー」の組し方も、リリースのときに手首が開く癖含め、知り尽くしているのだった。あるいは澄人がカッターを混ぜれば、ストライクゾーンを立体的に使えるぶん、攻略に労を割いただろう。分かっていたのに、澄人は「うずしおシンカー」を投げ続けた。四死球こそなかったものの、二桁被安打を考えれば、むしろ3失点は傷が少ないほうだといってよかった。一方、打線は相手校のエースをまるで打ち崩せないどころか、二塁を踏むことすら叶わない。澄人が嫌ったチャンステーマ「阿波踊り」が球場に流れることは一度もなかった。
澄人の最終打席。最終回の、ラストバッターだった。走者は塁におらず、たとえ一発が出ても、という場面である。それなのに澄人は、ホームランが狙いたくなった。かつて父親は砂浜でノックをしながら教えてくれた。「悲しくなったら海の向こうを見ろ」と。彼の言う海とは、彼が子ども時代を過ごした、おだやかな紀伊水道なのではないか。そうではない海に呑まれた彼よりも、ちいさな優勝トロフィーだけ惜しくなり、「待てよ」と塩辛いくちびるが震えた。
瞬間、スーザフォンのしろい花弁が内野席一面に開き、、チャンステーマが流れた。それはいつもの「阿波踊り」ではなく、耳に馴染んだ「よさこい」だった。澄人は思い出した。今はもう入れなくなったバリケードの向こうの桜並木、澄人も笑いながら、野球部のみんなと一緒に「よさこい」を踊ったこと。オロナミンC球場に「鉄腕アトム」が合唱される。アトミック打線という、今となっては聞きたくもない異名で呼ばれた打線。みんな狙うのは一発ばかりで、負けてばかりだったけど、すごく楽しかったこと。
けれどそんなことも全部、徳島の仲間たちは、知っていて、知らない振りをしてくれていたのではないか。本当は分かってた。外角に入れにいくカッターが有効なのは、キャッチャーがそう見えるように捕ってくれているからだって。これだけ打たれても3失点で済んでいるのは、野手たちが泥だらけになりながら打球を体で止めてくれているからだって。ここで打てば、上位から始まる日本最強の「阿波踊り打線」は必ず4点取ってくれるって。部室に飾られた不器用な千羽鶴。マネージャが自分のために泣いてくれたって。監督が澄人の地元にあるプロ野球球団のスカウトを熱心に口説いてくれたって。
(「なぁーんもあれへんとこ」ちゃうがな)
初球と二球目、外角低めに沈む「うずしおシンカー」をマン振りした。これは撒き餌だった。三球目、この日一番の、最高の真っ直ぐが来ると思った。必ず来ると思った。
それは澄人の夏、そして徳島の夏、さいごの一球だった。投手が帽子を取って汗を拭ったときの表情は、笑っているように見えた。澄人も徳島に来て、初めて笑った。
おおきく振りかぶる。みんなが踊っている。全力の真っ直ぐが飛んでくる。
(アーラ)
澄人は腰を深く落とし膝をくの字に曲げ――。
(エライヤッチャエライヤッチャ)
左足を斜め前に突き出しバットを持った腕を高く掲げフルスイングで――。
(ヨイヨイヨイ)
この日一番の、最高の「カッター」を捉えることはなかった。「こんなもん簡単に投げられるぜ」という具合の決め球は、澄人のなまくらとは違い、直球のように見えるピッチトンネルを備え、垂直成分の変化はない代わり水平方向に電動のこぎりのごとく十数センチ動いた。本物だ。「徳島へようこそ」と話しかけられたような球だった。負けたかった筈なのに、最高に悔しくて、うそぶいた。
「我が生涯に一片の悔いなし!」
ああ、徳島の土だ。同じ台詞を徳島の先輩が、違う被災地の空に轟かせたことがあっただろう。「ゲームセット」のコールを聞きながら、仰向けの澄人はいつのまにか晴れていた空に胸を弾ませ、二万を越える観客に届いているといいな、と、泣きじゃくる。
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