第5話 メイドは名前で呼びたい


 食器洗いを済ませた神崎は何故かそわそわしていた。あっちに行ったりこっちに行ったり。ソファーに座る祐介に近づこうとしては後ずさるを何度も繰り返す。


 異変に気づいた彼は神崎に声を掛けた。


「どうかしたか?」


「あ、あの。ご主人様のことを親しみを込めて名前で呼んでもよろしいでしょうか」


「別にいいよ」


 サラッとした返事に神崎は驚く。

 自分で言い出した事なのに、ここにきて恥ずかしさが込み上げる。


「承知致しました」

「で、では祐介様、祐介様、ゆ、祐介、さまぁ……ぶしゅっ」


 メイド・神崎は鼻血を出して倒れる。


「ごめんなさい」


「大丈夫か?」


「はい……祐介って素敵なお名前ですね!」


 名前を褒められるのは嬉しい。けど……。


「ありがとう。両親に感謝……ってもういないんだ――ごめん、暗い話になって」


「……」


 数秒、固まった後、神崎は――


「いえ。祐介様にはわたくしがいます。ずっとずっとそばにいます。だから、安心してもいいのですよ?」


 心が軽くなった気がした。

 その一言で癒やされて、このメイドを雇って本当に良かった、と心から思えた。


「そういや、神崎の下の名前って何ていうんだ? 俺も出来れば下の名前で呼びたいなって」


「内緒です♡」


 これほどまでに、もどかしい事ってあっただろうか。本当は名前を教えてあげたかった。けど、彼女には名前を明かしてはいけない、相応の理由があった。


 彼は彼女の苗字が本当に『神崎』なのかも分からない。名前も年齢もどこから来たのかも分からない。メイドというのは謎多き存在なのだ。


「そうか」


 これ以上深追いはしなかった。


「それよりー祐介様のこと、これからはお名前で呼んでもよろしいんですよね?」


「ああ」


 そう告げると彼女はぴょんぴょんと飛び跳ねる。そんなに嬉しかったのだろうか。


 その後、神崎は奥の方へと消えていった。

 だが、すぐに奥の方からモジョモジョと何かの呪文みたいな声が聞こえてきた。


「祐介様、好き」

「祐介様、愛してる」

「祐介様、永遠に一緒にいてね」

「祐介様、私を犯しt――ぶしゅっ」


 バタン。


 奥の方で何かが倒れた音がして、急いで祐介は駆けつける。


 そこには鼻血を出して、倒れている神崎がいた。


 何か言葉を掛けようとして、そこでふと彼女が倒れる原因に気づいた。


「あのな、倒れるくらいなら俺のことはご主人様呼びでいいんだぞ」


「い、いえ。せっかく名前で呼べるようになったんですから、名前で呼びたいです」


 祐介は心配だったものの、彼女の気持ちを汲んだ。


「手、貸そうか?」


 未だに動けそうもない神崎に祐介は手を差し伸べた。


「ありがとう、ございます……」


 彼の手を握り、何だか抱きつくような体勢になってしまいつつも、神崎は立ち上がる事が出来た。


 至近距離になった所で彼女は祐介の耳元で囁く。


「いつか祐介様のを抜いて呼べるようになるといいですね」


「へ?」

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