一週間後に引っ越しをして●●になる彼女と想い出作りをする話

8/21（月）🌤☔

「ねぇ、がっ君」

「ん？」

「重くない？」

「大丈夫」

「本当？」

「うん」

　ちょっとだけ、体をよじって、がっ君の胸に耳をあてる。

　とくん、とくん。

　心臓の音が、心なしかいつもより早い。慣れてない――何回か……ウソ、そんな回数じゃ数えられないくらい、がっ君は応えてくれた。それなのに、当たり前になっていない。その都度、ドキドキしてくれているのを感じる。それが、嬉しくて、また笑顔が溢れすぎて破顔してしまう。　

　と、がっ君が、さらっと髪を撫でてくれた。

　やっぱり、嬉しい。

　思わず、ニヘラとだらしない笑みが零れてしまう。以前、勘違いした男子が髪を撫でてきた。

　生理的に受け付けなかったのに、がっ君だけは別で。もっと、撫でてほしい。もっと欲しいと思ってしまう。

「ねぇ、がっ君？」

「……き、希良。ダメだからね？」

「むー」

　頬を膨らましてみせる。いつもなら、このやりとり数回で、陥落するのに。今日のがっ君は、ちょっと手強い。でも、それでめげる希良々（ワタシ）じゃないんだからね！

「がっ君先生が厳しいー」

「いや、厳しいって言うか……希良のためだから」

「栄養不足ー」

「なんの？」

「ビタミンG――つまりビタミンＧAKKUN（がっ君）！」

「そんな栄養素ないよ？」

「がっ君……」

「だ、ダメだよ？」

「ダメなの？」

「ダ――」

　私は学習したんだ。待っているばかりじゃダメだって。自分が本当に望む人には、ちゃんと言葉で。行動で示さないとダメなんだって。そう学んだから。

　コンコン、ノックする音が聞こえた。

　ピクンと、がっ君の体が震える。

　でも、離してあげない。

　がっ君を全部、私で埋め尽くしたい。

　空白の時間を――白紙のキャンバスに色を塗るように。

（もう遠慮しないから）

　そう決意をこめた刹那、がっ君が私の唇を啄んで――。

「お姉ちゃん、宿題はどうしたの？」

　冷めた目で、妹に睨まれる私だった。

「がっ君先輩はお姉ちゃんに甘すぎます」

「そ、そうかな……」

　狼狽している、がっ君の前にアイスコーヒーとクッキーを置く星伶奈。本当は私が焼きたかったのに――ちょっと、頬を膨らませていると、星伶奈はさらに睨んでくる。

「宿題を終わらせてからね、お姉ちゃん。そうじゃないと、先輩のお部屋に出禁にするからね」

「そんな、横暴！」

「ちなみに、私は終わっているので、入り浸ります」

「だ、だめ！　ダメだよ、そんな！　男の子と女の子が、密室で二人きりなんて、そんな破廉恥な！」

「破廉恥なのは、お姉ちゃんだよ！　私は何度、姉のキスを目撃したら良いの？」

「こ……これでも、我慢しているんだけれど――」

「意志薄弱かっ！」

　そう怒られながらも、私はがっ君の膝から離れない。

「それにしても希良、宿題はそつなくこなすと思っていたのにね」

「だって、がっ君が勝手に転校するって、思い込んでいたから。そこに便乗する方が説得力、あるかなぁって」

「お姉ちゃんは得意な教科は、先に終わらせちゃうけれど。苦手な作文は最後に回して、夏休み最終日ひーひー言うのが、毎度のパターンだよね」

「うっさいし」

　ベーと、私は舌を出す。どうも、レポートは苦手だ。言葉で理路整然と表現するよりも、ストレートに伝えたいと思ってしまう。でも、刻一刻と夏休みが終了していくのは、事実で。

　星伶奈のクッキーをポリッと囓って。

　甘さが口いっぱいに広がる。

「……だから、がっ君先輩、お姉ちゃんを甘やかし過ぎ。一人で食べさせて！　そのうち、本当に先輩無しで、生きられなくなるよ？」

　失敬な。がっ君を離すつもりはありません、よーだっ！

　流石に、アイスコーヒーを飲ませてもらったら、溺れそうになったので、自分で飲むけれど。

　と――。

　スマートフォンの設定していた、アラームが鳴った。

（時間、だね）

　ぐっと拳を固めて、それから私は立ち上がる。

「希良？」

　がっ君が不安そうに、表情が翳らせる。

（もぅ、心配性なんだから）

　私も大概だと思うけど、がっ君もなかなかだって思う。つん、と指先で鼻を弾いて。軽く、触れて。

　うん。

　がっ君がしっかり私を見てくれている。愛されているって、実感する。

　それは、私にしかスケッチしないことからも、明らかで

「すぐに帰るからね」

　にっこり笑って、言う。

　これは、夏の決別だ。

　弱い私の。

　許されるなんて、微塵も思わないけれど。

　弱かった、私のせいで。

　傷つけなくて良い人まで、傷つけた。

　エントランスを出て。

　しばらくしたら。

　雨がポツンポツンと降ってきた。

　まるで、耐えて。

　泣くのを、必死にこらえて。

　それでも、涙が目尻からこぼれ落ちるように。

　小さく雨が私を打つ。

■■■

　藤の棚。その下のベンチで、私は高碕純奈さんと向き合っていた。私は、この先の展開を考えると、バクバク心臓が張り裂けそうで。一方の高碕さんは、感情が窺えない。ただただ、真っ直ぐに私をみている。

「……笹倉さん、話って？」

　切り出してきたのは高碕さんからだった。覚悟を決めたと思ったのに、いざ目の前にすると、意気地なしな私が、また邪魔をする。

（決めたじゃんか）

　ぐっと、拳を固める。

　雨が打つ。

　濡れるのもお構いなしに、私たちはベンチに座って。

　彼女の、陶磁器のような白い肌が透けて見える。

　その刹那――。

　雷が鳴った。

　思わず、耳を塞ぎたくなるのを、ぐっとこらえた。

（がっ君……）

　泣き言を言いたくなるのを、ぐっと堪えて。

　なんとか、前を見る。

「あのね、高碕さん！」

「……はい」

「ごめん」

　私は頭を下げた。

「え？」

「私、がっ君と付き合うことになったの」

　言った。

　言ってしまった。

　また、光が煌めいて。

　雷鳴が轟く。

　ぐっと、高碕さんが、私の腕を掴む。

　世の中、理不尽だ。

　想った人と、必ずしも結ばれるとは限らなくて。私とがっ君は、たまたまタイミングが重なった。それも、彼女の真摯な想いを盗み聞きするようなタイミングで。

　髙碕さんは、彼女を私を怒鳴り散らす資格がある。

　どんな言葉も甘んじて、受けよう。

　でも――。

　がっ君だけは、譲れないんだ。

　歯を食いしばって。

　目を閉じる。

　彼女の、目一杯の罵倒を覚悟して――。

「本当に？！」

　目を開ければ、髙碕さんが破顔をしていた。これでもかというくらい、満面の笑顔で。

「え……？」

　私は目をパチクリさせる。

「これほど、おめでたいことはないよ！　推しカップルのゴール！　あ、違うね、ココからがスタートだね。笹倉さん、結婚式は呼んでよ？　ちなみに子どもは何人の予定？」

「ちょ、ちょっと？　ちょっと、髙碕さん？」

「あ、ごめん。これは失礼。つい興奮しちゃって。そうよね、笹倉さんって、意外に純情だもんね。それじゃ、エッチはまだか……」

「エッチ？！」

　キスだけで、幸せいっぱいなのに。その先――想像しないワケじゃないけれど、思考が追いつかない。でも、待って。希良々、ストップ。落ち着くの。今は、ソレは置いておいて。

「髙碕さんは、怒らないの？」

　真っ直ぐに彼女を見る。コテンンと、髙碕さんは首を傾げた。

「なんで？」

「だ、だって。髙碕さん、がっ君に想いを伝えるって！」

「あぁ……もしかして、聞かれてた？　だから、ココなんだ？」

　藤棚を見上げて、髙碕さんは私に微笑む。私は、コクリと頷く。

「……そうだね。アレを聞かれたら、誤魔化せないか。でも、待って……それって……笹倉さんに聞いてもらえたら……うん……そうだよね、そうだ……それが良い……」

　ブツブツ、髙碕さんは呟く。

「あのね！」

　さらにぐっと手を握られる。

「鷹橋君が、あのがっ君先生か、確かめたいんだけれど！」

「え……は。はい？」

　私を目を丸くして。髙碕さんの手を優しく握り返すしかなかった。

「スミー船長、なの？！」

「きらりんさん？！」

　お互いのカミングアウトに、目を白黒させる。

　がっ君の古参ファン。

　今の　｜twetter（ツエッター）でやりとりをする、スミー船長がメモ前にいるのだ。唖然とするしかない。

「いや、でも、髙碕さん――スミー船長、後悔はしたくないって！」

「それも、聞かれていたのか。お恥ずかしい限りで」

　ペロッと、スミー船長は舌を出す。その動作の一つ一つ、本当にかわいらしいと思ってしまう。

「私ね、昔COLORS（カラーズ）のファンだったの。知ってる？」

　知ってるも何も、私も大好きな男女混合、ボーカルダンスユニット。一昨年、一人が脱退したことは記憶に新しい。

「私ね、脱退した真冬が推しだったの。真冬のラストライブが、部活と重なって。結局、部活を取っちゃったんだよね。また、次があるよって思っていたら、ライブでの脱退宣言でしょ？　次なんか、なかったワケで。だから、次の推しは、とことん推し活しようって思ったんだよね」

「それが、がっ君？」

　私がなんとか、絞り出した声に、髙碕さんは、コクコク頷く。

「鷹橋君が、がっ君先生だって私は狙っていたんだけれど。上手く、躱されてね。フレンチのお店で二人きりだったら、追求もしやすいかなぁって思っていたのに。ひどいんだよ、鷹橋君ったら」

「へ？」

「鷹橋君ね……」

　――そんなに、美味しいんだ。いつか、笹倉さんと行ってみたいかも。

「だって。こっちも女子だって言うのに、ひどくない？」

　プンスカ怒る髙碕さんを尻目に、私は動悸が早くなりすぎて、息が止まりそうだった。

（うれしい……）

　そんな言葉しか出てこない。

　がっ君にどう思われているのか。

　ただただ、それが心配だったのに。

　無自覚だった時から、がっ君は私を見てくれていたんだ。

　どうりで、付き合った今も髙碕さんの名前が、その口から出てこなかったワケだ。

（ワルい子だよ、がっ君は）

　鈍いくせに。

　メープルさんが、私だってずっと気付かなかったくせに。

　いつも、私を捉えて離さない。

「タイムリミットかぁ」

　髙碕さんは、息を漏らした。

「え？」

「ほらっ」

　クスッと笑む。公園の入り口で、心配そうに傘を差しているがっ君が見えた。

「愛されているねぇ。こりゃ、幸せになってくれないと困るゾ」

　今度はニヤニヤ笑う。

「きらりんさん」

　もう一度、手を握られた。

「今度また、がっ君先生について語ろうね」

　ひらひら、手を振って去って行く。

　雨に濡れて。

　雨に打たれて。

　背中が、寂しそうで。

　でも――私はずっと、見ていた。

　雨でも流せない感情。その滴を。

■■■

「これ、着て」

　がっ君が私にかけてくれたのは、七分袖の――夏用パーカーだった。

「あ……でも、濡れちゃうよ」

「別に良いよ。希良のそんな姿、他の人に見せたくない」

　見ればワンピースが、まるでネグリジェかと思うくらいに透けていた。慌てて、胸をおさえる。

「見た、よね？」

　かぁっと自分の顔どころか、全身が赤くなるのが分かる。

「み、見てないよ……？」

　挙動不審だ。アヤシすぎる。

「髙碕さんの色は……」

「だから見てないって！」

　がっ君が傘をさしてくれることを良いことに、私はグリグリ、手の甲を抓る。

　あの時は相合い傘をして欲しくて、折りたたみ傘をあえて出さなかった。

　今日は、私が本当に失念していた。まさか、ここまで降られるなんて思いもしなかった。

　がっ君の傘を手に取って。

　それから、ちゃんと誰もいないことを見計らって――ぐるんぐるん、振り回した。

「ちょ、ちょっと！　冷たいって！」

「他の子に見惚れていたバツだよ」

「見惚れてないから」

「本当？」

「本当だって」

　雨の中で、傘が無意味になるくらい、抱きついて。

　はしゃぎまわって。

　雨が、私達の躰を打つ。

　体が冷えて。

　何しているんだろう、って思うけれど。

　がっ君の体温を求めて。

　――がっ君の掌が、頬に触れる。

（どうして分かったの？）

　感情の雫。

　流れたら、止まらない。

　みんなが、ハッピーエンドを迎えられたら。

　きっと、幸せだよって笑えるのに。

　雨が体を打つ。

　がっ君が私だけを見ている。

　私も、がっ君だけを見ている。

　雨の中で、ワルツを踊るように。

　しっかり抱きしめる。

　君を抱きしめる。

（絶対に離してあげない）

　がっ君の目が私だけ見ている。

　安堵するのに。

　足りなくて、まだまだ足りなくて。

　まだまだ、足りなくて。

　だから、近づく。

　口吻で交わって。

　これは決意だ。

　真夏に決別するように。

　弱い私にサヨナラを告げるように。

　絶対に、がっ君を幸せにするから、って。

　中途半端な誓いじゃないから。

　まるで、私たち。

　雨の中でワルツを踊るように。