8/13(日)⛅️
「がっ君はこういう場所、苦手だったんじゃないの?」
ちりん。
また、誰か来店を告げるベルがなった。
凜と響く鈴は、決して店内の空気を壊さない。
流れるジャズの音楽に、あっさりと溶け込んでいく。
大人が愛用者するカフェって、きっとこういう場所なのだろうな、としみじみ思った。まんまと空気に当てられた感がある。
決して、高校生がマァックやモッスのようなファーストフードの感覚で利用して良いお店ではないということは、理解した。そうは言っても、町内会の会合で使われているんだけどね、とは父さんの弁。
――そんなに心配だったら、俺のジャケットを着ていく?
父さんの返信が何より有り難かった。見られているワケもないのに、僕はついコクコクと頷いてしまう。
ちなみに母さんは酔っ払っているのか、セクハラまがいのメッセージオンパレード。よって既読スルー。
そんな父さん達は、コミックバザール――コミバは無事終了。新刊・旧刊とも売り切れたとのことで、嬉しい悲鳴だった。
――がっ君先生の新刊が一番に売り切れだったんだけどね。
母さんのメッセージもこれくらいなら、後で返信してあげても良いか。でもペンネームで呼ぶのは、希良だけで勘弁して欲しい。
それにしても、決して有名なワケでもないのに、希良はどうしてペンネーム呼びを――いや、きっとただの偶然なんだと思う。
「こちらの席になります、申し訳ありません」
案内してくれた店員さんを見やり、唖然とした。
「上川君と下河さん?」
学校で良く見る顔の――男女の店員さんが、にっこりと微笑む。さながら大正時代の執事とメイドを彷彿させるコスチューム。まるで異世界に飛び込んだかのような錯覚を憶えた。
「前日の予約って、本当はできなくて。お店の貸し切りも予算的にきついでしょ? ここは
彼は申し訳なさそうに言う。
通されたのは、最奥の席。観葉植物に囲まれ、窓は無い。それなのにライトアップされた、その空間はやけに居心地がよくて。さながら、秘密の小部屋に案内されたような感覚になる。
「コースはこちらの指定になります。重ねてごめんなさい」
ペコリと下河さんが、頭を下げた。悪友に無理を言って予約を取ってもらったのだ。むしろ、予約がとれただけ、有り難いと思ってしまう。
「「
そう二人はシンクロし言葉を紡ぎ、深々と頭を下げて去って行った。
つんつん。希良が僕を突っつく。今日の彼女は、黒のレースドレス。希良らしくて、目が離せなくて困ってしまう。正直、店員さん達や店の空気よりも、希良から目が離せない。
「ん?」
「ねぇねぇ、今のなんだけど。上川君と下河さん、なんて言ったの?」
「……僕も完璧じゃないから、あれだけど。多分、フランス語なんだと思うよ」
――素敵な時間をお過ごしくださいね。
この街の一番の思い出になるように……もしかすると、悪友が伝えてくれたのかもしれない。
(……ありがたい)
今は、最高の想い出を作るために。
照れくささを投げ捨て、僕は希良の手を引いてエスコートに専念することにしたのだった。
「おいしかったぁ」
希良の満足気な顔に、思わず僕まで顔が綻ぶ。ボロネーゼスパゲッティーのセット。料理のことはよく分からないが、赤ワインを惜しみなく使われていたのか、風味がまるで違ったのだ。さらに鮮魚のカルパッチョ、真鯛のポワレも格別だった。
美味しい料理に、自然と緊張は解けて、言葉が自然に紡がれていく。
――文化祭でのこと。
――ここ数日のこと。
他愛もない言葉が、心地良い。
でも、真打ちは【恋するカフェオレと一途なアップルパイ】だった。
ただ甘いだけではない。ほっこりと暖かさを感じさせてくる。カフェアートは、まるで僕らをイメージして描いてくれたようで。飲むのが、本当にもったいないと思ってしまう。
音楽が流れて。
時々聞こえる、上品な笑い声。あぁ、同じようにこの時間を噛みしめて。幸福を咀嚼している人達がいる。
時を忘れそうで。
屈託なく笑う、希良の表情に吸い込まれそうになる。
時計を見たくない。
でも、空になった皿を見ればタイムリミットはもう間近で――。
「ご満足いただけましたか?」
店員さんが――上川君と下河さんが、恭しく頭を下げて。皿を下げる。コースはこれで終了だ。
「はい、とても美味しかったです。シェフによろしくお伝えください」
同じ学校の生徒に、こんなことを言うのはなんだか照れくさい。
「はい、確かに承りました。こちらこそ、お気に召していただけたようで、光栄です」
下河さんはニッコリ笑う。
「「……へ?」」
僕と希良は、同時に目を丸くする。
「アップルパイは、私が。カフェオレは彼が担当なんです」
にっこりと笑う。いつも出せるわけではない限定メニュー。これは、そういうことなのか。恋するカフェオレと一途なアップルパイ。このセットを食べられたら、秘めていた恋が叶うらしい。僕の想いが叶うことが無いことは、もうとっくに知っているけれど。
それでも、
「はい、これをどうぞ」
手渡されたのは、二次元バーコードが印刷されたカードだった。
「へ?」
僕は目をパチクリさせる。
「当店からのプレゼントです。お店を出たら、できるだけ早めにスマートフォンのカメラで読みこんで、アクセスしてみてくださいね」
上川君がニッコリと笑う。
僕も希良も、渡されたカードを呆然と見やるのみだった。
■■■
【300m先、直進です】
言われた通りアクセスしてみれば、地図アプリが起動。即座に道案内がはじまった。
「え? え?」
言われるがままに僕達は進むしかない。
「……がっ君、待って! 待ってよ!」
言われて気付く。今日の、希良はドレス似合わせたヒールが少し高いパンプスだったことを失念していた。似合っているとは言え、履き慣れていることとイコールじゃない。
「ご、ごめん」
「ううん、大丈夫」
すっと僕の袖を掴む。
気恥ずかしくて、顔が熱い。
その手を振りほどいて――
「あっ――」
しっかりと握る。
「が、がっ君?」
「靴、慣れてないよね? 転ばないように、っていうことで」
「……う、うん」
気恥ずかしそうに俯きながら、でも希良も手を離さない。
商店街を抜けて。
住宅街へ。
【信号を右方向へ。100メートル直進です。少し道が悪いので、彼女のペースに合わせてゆっくり進みましょう。手は離さないで。彼女が綺麗でも脇見はしないで。爆ぜろリア充】
今頃の地図アプリ、こんな余計なことまで言ってくるの?
【目的地に到着します。目的地は右側です。お疲れ様でした】
唐突に、地図アプリは終了した。
通学路から外れていたから、全然知らなかった。こんな所に公園があったなんて――。
高台まで誘導されて、正直、息切れが隠せない。一方の希良は、そんなに呼吸の乱れはなくて。男としては日頃の運度不足が悔やまれる。
「……がっ君、綺麗だねぇ」
希良が嘆息を漏らす。ここから、街を一望できた。夜景が広がって、思わず目を見開いてしまう。
「私達、あそこにいたんだよね?」
「うん、多分あそこがカフェだよね。じゃぁ、あそこが学校?」
「多分、あそこがバス通りだよね。あっちに行ったらラーメン屋さん?」
「こうやって見ると、動物公園って遠いんだなぁ」
「そうだね。もっと、たくさん色々な所に行きたかった」
そう俯く
こんなことを言ったら迷惑だろうか。
本音が、喉元までこみ上げてくる。
転校する子に、自分の気持ちを押しつけるべきじゃない。理性は分かっているのに、揺らぐ。
ひたむきで。
笑顔が素敵で。
誰とも垣根なく接することができる。
そんな、笹倉希良々に僕は恋をしていた。
いなくなってしまう、現実は変わらないのに。
ずっと、我慢しようと思っていたのに。
こんなことを言ったら、優しい彼女を悩ませるだけなのに。
「……がっ君?」
希良が首を傾げた。
こんな気持ちは、しっかりと飲み込もうと思っていたのに。
無理だった。
飲み込めない。
かみ砕けない。
諦められない。
なかったことにできない。
好きなんだ。
一生懸命の君が。
ひたむきの君が。
振り向いてもらえなくても。
釣り合わなくても。
背中を向けて、もう去って行くだけと分かっていても。
想いで作りを台無しにする言葉だと分かっていても。
僕は、笹倉希良々が好きなんだ。
「希良……」
声に出ていた。
「……がっ君?」
「希良がずっと好きだったんだ――」
小声ながら、なんとか絞り出した声が。
『ぱぁぁぁぁぁぁぁあぁんっっっ!!!!!!!!! パン! パン! パン! ぱぁぁぁぁぁぁぁあぁんっっっ!! ぱぁぁぁぁぁぁぁあぁんっっっ!!』
そんな轟音にかき消された。
「……はな、び?」
唖然として見る。
赤、
青、
黄、
緑。
花。
花弁。
花束。
幾重にも花が。
河に。
滝になって。
光が溢れて。
夜空を彩る。
――今晩、シークレット花火が上がるらしいぜ?
そう教えてくれたのは、悪友だった。
タイミングが悪い。
いや、良かったのか。
これで良かったんだ。
希良が――笹倉が俯いていた。
出き過ぎた夢だった。
彼女は想いで作りを望んだのだ。
それは現在進行形、未来に向けての約束ではなくて。
この街で過ごしたアカシ――過去形の確認で。
「がっ君、さっきのもう一回言って?」
笹倉がそう言った。
聞こえてなくて良かった。
ほっと、胸を撫で下ろして。そして、僕は笑って見せた。大丈夫、きっと僕はちゃんと笑えている。
「……なんのこと?」
普通に言えた。
何でもないように、花火に目を向けて。
大輪の花が咲く。
幾十も、花が重なって。
花弁が散る。
花火を見る振りをしながら、君を目に灼きつける。
灼きつけたいのに――。
視界が滲む。
せめて、笹倉を笑って見送りたい。
花が咲く。
花弁が散る。
光が雨になる。
降りそぐように。
凝視して。目が痛い。
それでも、見続けて。
笹倉を灼きつけるように。
(最高の想い出を作ることはできたんだろうか?)
綺麗だった。
今日の笹倉は、本当に綺麗だった。
その一言すら、僕は言えなくて。
「ねぇ、がっ君」
「え?」
「私、がんばるね」
ぐっと拳を固めるのが見えた。
「うん、がんばって」
「うん、がんばる――」
会話はそれだけ。
不自然にならないように、指先が離れて。
違和感のないように、距離を置いて。
街灯のスポットライトから、僕は外れる。
ぱぁぁぁぁぁぁぁあぁんっっっ!!!!!!!!!
最後の花火が上がる。
大輪を夜空に咲かせて。
差し込む光が、一瞬だけ寄り添う二人の影を描いて――そして、消えた。
静寂に包まれた。
笹倉の息遣いだけが、やけに耳について。
笹倉との想い出作り、最終日――。
僕は何も伝えられず、その幕を下ろしたのだった。
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