8/12(土)☀


 昨日までの雨が嘘のように、窓から――カーテンの隙間から、日差しが差し込んだ。


 うつらうつらする意識のなか、もう一度惰眠を貪ろうとする。これぞ夏休みの特権だ。本当なら今日はコミックバザール――通称コミバの日で、例年なら両親と遠征するのだが、今年は僕だけ欠席することにした。サークル鷹の目団。それが我が一家のサークルである。


 去年、初めて自分の作品を本にして売れた喜びを思い出すと、今でも胸が熱くなる。本当なら、今年も――と思うが、ぐっと飲み込む。コミバは冬もあるのだ。当選するかどうかは別として。でも、この時間を今、大切にしたいと思っている僕がいる。

 スマートフォンが、LINKのメッセージを――着信を告げた、


 ――がっ君、今日もよろしくね


 笹倉からだった。満面の笑顔が想像できて、つい頬が緩む。こちらこそ、自然にそう返信をする。そこから、取り止めのなく会話のように、LINKメッセージの応酬が続く。


 と別の通知も届く。

 

 ――がっくんちょ、どんな魔法かけたの? 昨日も、二人で歩いているトコ見かけたけれど、希良々きららが顔面崩壊するくらい笑顔だったんだけれど?


(動物公園の時は仕方ないとして……また見られていたの?)


 丸亀沙絢まるがめさあやは、文化祭が終わってからも、こうやってちょくちょくLINKをくれる。曰く、意気地なしな希良々きららと、鈍感カンストな【がっくんちょ】との繋ぎをしないと――そう丸亀は言うが、その意味がまるでわからない。


 気遣い、気配りの鷹橋とは僕のコトだ。自称だけど。

 と、またLINKの着信音が鳴った。


 今度は、悪友からだった。



 ――いつまでも奢られてばかりじゃ、愛想を尽かされるぞ?



 歯に衣着せない口調は相変わらず。僕が、笹倉を憎からず思っていることを、悪友は知っている。そんなアイツは今、うちの両親とともに、新幹線でコミバの聖地に向かっている最中のはずだった。


 悪友のペンネームは【クリスティーナ・オオクニ】


 うちのサークルの一員で、少女漫画を彷彿させるキュートな絵柄と相反する毒舌キャラ。SNSではそのキャラとともに人気を博している、我がサークルの宣伝部長。


 うちの学校で同学年のアイツが、両親のアシスタントに飛び込んできた日を今でも鮮明に憶えている。


 ズキンと胸が痛い。


(奢られてなんか……)


 そう反論しようと、フリックする指が止まる。悪友は踏み込んだ。僕は笹倉の前で足踏みをしている。それがマンガにも如実に表れている気がする。


 ――がっ君! 天竺ネズミさん、可愛かったよね?


 ニコニコ笑って言う、笹倉の顔が目を閉じた今も焼きつく。時間は有限で。足踏みをしている間も、刻一刻とカウントダウンは進んでいく。


 かちかちかち。 

 ベッドの上の目覚まし時計。刻む秒針の音がやかましい。


 動物公園に行ったのは、笹倉の提案だ。僕じゃない。

 動物が好き、そう言ったのはかつての僕だ。


 ゆっくりと動物を眺めながらスケッチをしたい。そんな願望があった。


 昨日、一つの傘で歩き回った場所だって。

 笹倉は、僕が興味がありそうな場所をチョイスしてくれた。


 好きな料理、その一つ――コロッケ。

 あの文化祭の準備期間。仕事に追われながら漫然と話したキーワードに沿って、笹倉は、場所をチョイスしてくれた気がする。


 そう思案を巡らすと、これは奢られっぱなしとイコールじゃないか。そう思えてしまう。


 握りしめていたスマートフォンが熱をもつ。


 小さく、息をついて。

 それから僕は、ダメもとで悪友にメッセージを送信したのだった。





■■■





 ――行きつけのラーメン屋さんにがっ君と一緒に行きたいの。

 そう言われた時、目を丸くした。


 え? オシャンなカフェとかじゃなくて?

 オカンなカフェなんか行かないよー。


 心底楽しそうに、笹倉は笑い転げる。


 いや、でもさ。女子高生と言えば、クレープ屋さんとか、ケーキとか、タピオカとか――。


 タピオカはちょっと古いよ、がっ君。オシャンもね。それに、女子高生へのイメージが酷すぎる。今すぐ、日本全国の女子高生に謝罪会見を開くレベルだよ。


 ゴメンなさい?


 そんな取り止めのない会話をしていたのが、つい数分前。笹倉のお目当てのラーメン屋――その暖簾の前で、僕は立ちすくんでいた。


【ラーメン熊五郎】

 ここ、僕がアルバイトしているラーメン屋なんだけど?









「へい、らっしゃい――って、がくじゃんか。お前、今日はバイト休みだったろ?」


 店に入るなり、店長からのごく当たり前のご指摘。えぇ、仰る通りですよ。僕は引きつった笑いしか浮かべられない。


「……って、いつも學をご指名する嬢ちゃんじゃん。いらっしゃい」

「へ?」


 僕は目をパチクリさせる。

 ずっと、ここでバイトをしてきたが、笹倉が来客をした記憶なんか――。


 そんな僕に対して、ニカッと笹倉は笑顔を溢す。

 イタズラ大成功。

 そう言いた気な表情を見せて。


「えっと……?」

「本当にがっ君って、鈍感だよねー」


 そう言いながら、髪を後ろで束ねて、プロ野球チーム、安芸楓メープルの野球帽。ようやく、それでメープルのユニフォームを着込んで訪れる、単独ソロのお客さん――【メープルさん】と重なった。


「……麺は固めよりの柔らかめ。チャーシューは極力、脂身が少ないところを。ネギは多め。辛子は微量で」


 僕は反芻するように呟く。


「――そして、愛情は特盛りで」


 ニコニコ笑って、そんなことを言う。確かにそんな風におメープルさんと言い合っていた。でも、彼女が笹倉とは、微塵も思わなかった。


「休みのところ悪いんだが、俺達じゃその加減が分からなからな。學が休みの日は、食べずに帰っちゃうくらいだから。彼女のオーダーを受けてやってくれよ?」


「は、い?」


 しゃべり方を忘れてしまったかのように、口をパクパク――フリーズしてしまった僕を誰が責められようか。


「店員さん。いつもの、二人前でお願いします。がっ君、一緒に食べよう?」


 笹倉は背伸びして、そう僕の耳元に囁いた。







■■■






 ちゅる、ちゅる。美味しそうに啜る笹倉を見やりながら、僕もラーメンを口にする。


 こってりが売りの看板メニューをメープルさん――笹倉好みにアレンジしたら、意外に食べやすかった。

 見れば、笹倉はずっと僕を見て、やっぱりニコニコ笑顔を絶やさない。


「……笹倉?」

「念願叶って大満足なんだよね」

「へ?」

「だってね、がっ君の作ったラーメンを食べたかったし。でも、がっ君と一緒に食べたかったから。全部、願いが叶っちゃった」


 そう言いながら、またちゅるちゅるとラーメンを啜る。


「後は、そうだなぁ」


 笹倉はスーブをレンゲで掬って、ちゅっと吸った。


「がっ君に名前で呼んで欲しいかな?」

「へ?」


 また予期しない言葉が飛んできて、僕は脳内が麻痺したかのように、二の句が継げない。


「だって、想い出作りのパートナーなわけでしょ、私たち?」

「ん……それはそうかもだけど?」


 そうなの? どうなの?


「だったら、いつまでも名字呼びは寂しいよ。ちゃんと名前で呼んで欲しいかな?」

「にゃまえ……」


 噛んだ。でも、笹倉は僕を笑わない。ただ、真摯に僕の言葉を待っている。


 視線が泳いで、その先――店長と、バイトリーダーの高嶺さんが、応援団のエールよろしく、無言で腕を前後に伸縮運動。二人の顔は、これまで見たなかで、最高の笑顔だった。


 ――どんどんどん、どんどんどんどん、どんどんどん🥁

 僕の脳内で、そんな太鼓のリズムが響いた。


(いらないからね、そんなエール?!)

 声に漏らさなかっただけ、僕は偉い。だいたい僕らはそんな関係じゃ――。


 笹倉の期待に満ちた視線が、僕の迷走する思考にストップをかけた。

 無意識に生唾を飲み込んで。


 喉の奥がヒリヒリする。

 言い訳ばかりだ。


 例えこの後、お互いのことを忘れていくとしても。だって距離は残酷だ。昔、小学校の時に転校した友達のことを思い返す。


 連絡は最初の数週間。あとは、お互いの環境に馴染んでいく。

 いなくなった日常は、やがて当たり前になるから。


 でも、一緒に居た時間は消えない。

 だからこそ、この時間を大切にしたい……そう思った僕は意を決して――


希良きらッ――」


 どうして、そこで噛んじゃうのさ?

 慌てた僕は、レンゲでラーメンの器を叩いてしまった。かちゃんととやかましく音が鳴る。目を丸くした笹倉は――僕がこれまで見たことないくらい、満面の笑顔を咲かせていた。


「へ?」

「嬉しいな、それ」

「嬉しい……?」


 僕が言葉を噛んだのが?


「……だってね、希良々とか、きーちゃんは良く言われていたけど。そんな風に言われたの初めてだったの」

「え?」

「【きら】って呼んでくれたの、がっ君が初めてだってことだよ」


 ニッコリと笹倉――【きら】は、嬉しそうに笑む。照れ臭くて、やり場がなくて。どう返して良いか分からず、ラーメンの汁をズズズとすすると――テーブルに置いていたスマートフォンが、ぶぶぶと振動した。


 ――予約とれたぞ。この借り、高いからな。

 悪友からだった。


「出なくて良いの?」

「LINKのメッセージだから大丈夫。後で、ちゃんと返信するから。今は笹倉――希良きらと一緒の時間を大切にしたいから」

「……そういうトコ。そういうトコなんだからね、がっ君……」


 がらにもないセリフで、顔に熱が灯っている自覚はあるけれど。どうして、希良きらまで、顔が真っ赤なんだろう? やっぱり、真夏に食べるラーメンは暑いってことなのだろうか。でも、今はそんなことよりも――。


希良きら

「ひゃい――」


 今度は、希良が言葉を噛む番だった。


「きら?」

「にゃ、にゃんでも。何でもないの」


 そういいながら、ぼそっと呟く。


「……いきなりグイグイくるの、がっ君ズルすぎるよ……」


 後半、ボソボソ言って何を言っていたのか、まるで聞こえかった。でも、そんな彼女を見て、ようやく腑に落ちたのだ。


(……希良きらも緊張していたってことだよな)


 単なる想い出作りだとしても。社交的な彼女にとっては、これが当たり前のことだとしても。緊張しないワケがなかったのだ。笹倉希良々は勇気を振り絞って行動してくれた。



 ――想い出を作るために。



 それなら、僕だって行動をしなくちゃ。

 そう思うのだ。


 希良きらのために、僕はなにを贈れるのだろうか。

 

 ようやく、そう思えたから。

 もう、何もかも遅すぎたのかもしれないけれど。



希良きら

「は、はい――」


 息を呑む。たった一歩を踏み出すだけで。こんなにも鼓動が激しくなるなんて。


 希良はどれだけの勇気を振り絞ったのだろう。いつか慣れるものなのだろうか。当たり前のように、みんなにそんな笑顔を振りまけるのだろうか。

 僕にはちょっと、無理ゲーだ。


(でも、それなら。せめて僕は――)


 最後まで、君に笑っていて欲しいと思ってしまう。

 だから、一歩を踏み出す。


 どくんどくん。


 胸を打つ、自分のリズムを感じながら。

 一番、言いたい言葉は胸に秘めながら。

 なんとか、言葉を紡いだんだ。













「明日、希良きらと一緒に行きたい場所があるんだ」


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