8/11(金)☂



 しとしと。

 まだまだ雨は止まず、今もかすかに窓を叩く音が部屋のなかに響く。


 昨日は晴れたのに、また雨だ。過ぎ去った台風の影響か、天候が不安定とは気象予報士のお姉さんの弁。思考がぐるんぐる回る。考えていないと、どうしても目を奪われてしまいそうで。


 と、コンコン。

 ノックする音が聞こえた。


(来たっ――)

 思わず身構えてしまう。どうぞの一言も聞かずに、母親モンスター来襲だった。


「ごめんなさいね」


 ほほほ、と笑いながら。全く、そんなこと思っていないクセに白々しい。


「連日、押しかけてすいません」


 しおらしく笹倉が頭を下げた。今日の彼女は華美じゃない白のワンピース。清楚な出で立ちなのに、どこか開放的に見えてしまう。笹倉希良々という女の子の魅力を垣間見た気がした。


 眩しくて目が開けられないのに、思わず見てしまう。やっぱり彼女はそんな存在で、目が離せない。


「何を言ってるの。がくと友達でいてくれてありがとう」

「はい、ただの友達でいるつもりはないんですけどね」

「まぁ、嬉しいわ。學は幸せものね」


 なぜか母にバンバン背中を叩かれた。

 二人とも意気投合しているが、会話の意味がまるで分からない。


 漫然と視線を送れば、お盆にはアイスコーヒーと、ショートケーキが二つ。あれ? この高級そうなのは――。


「これ、Cafe Hasegawaのケーキですよね?」


 笹倉は控えめに言っているつもりなんだろうが、その目の輝き、隠せていないから。


 今日は、山の日。そう、祝日である。


 そして、両親は今日からお盆休みに突入。明日からの遠征……一大イベントの準備中だった。ムダに僕の部屋の前を通る気配を感じていたのだが、ココにきて強行突破してきたのだ。デリカシーのカエケラもあったもんじゃない。


「それにしても、可愛いわね。笹倉さん、かなりモテるんじゃない?」

「そんなことないです」


 笹倉がはにかむが、そんなことあるわ。どれだけ、男達が群がって――実際、告白されている姿を見たのだって、両手の指で数えられないほどで。


 それなのに、笹倉は浮ついた噂が何一つない。気軽な男友達なら、たくさんいるのに。その一人にもなれなかった僕ではあるけれど――。


 ――転校を控えているから。


 そういうことなんだよな、って思う。下手な想い出は作らない。でも、想い出は欲しい。言ってみれば、後腐れない相手。過度に入り込まず。かといって、知らない人間じゃない。次のステップにちゃんと踏み込めるように。笹倉にとって、僕は好都合な人間なんだと思い知る。


(それならせめて、想い出作りに貢献をしなくちゃ……)


 そうは思うけれど、この雨。天気ばかりは、どうしようもない。でも時間は有限だ。自分の秘めた気持ちを笹倉に伝えるつもりはないけれど。ただ笹倉には、この街の想い出を作ってあげたいと思う。


「――く、がく、學?」


 母さんに声をかけられていたことに気付く。

 見れば、笹倉が顔を真っ赤にしていたことに気付く。


「分かった?」

「分かったって! え……? わか――何が?」


 目をパチクリさせる。


「また、話半分に聞いていたんでしょ?」


 母さんが呆れたように俺を見る。


「これは大事なことよ?」

「お、おう?」


「あ、あの、お母様。がっ君――學君は、そういう風には考えていないと思うので」

「あら、笹倉さん。うやむやにしちゃダメ。どんなに想いあっても、女の子が傷つくようなことは、あっちゃダメだからね」

「は、はい……」


 母さんに言われて、笹倉は俯く。え、なに? そんな真剣な話になっていたの?


「良い、學?」

「お……おぅ」

「これは大事なことだからね」


 何か分からないが、妙な説得力を感じてコクコク頷いてしまう。


「本当に良い? ちゃんと聞いてね?」

 ゴクリと唾を飲み込む。




















「學、ハメは外してもゴムは外すんじゃないわよ」












 ピシリ。

 空気が凍りつくって、こういうことを言うんだと思う。デリカシーなら新婚時代に置いてきたらしい、とは父さんの弁。


 そして、一瞬の間。

 凍えそうな空気を打ち砕いたのは僕の怒声だった。





「そういう関係じゃないからっ!」

「うんうん、分かってる。分かってる」

「母さん、何もわかってない! いいから黙って!」


 本日、最大音量の雄叫びが家中に響き渡ったのだった。

 

 

 

 

 ■■■

 

 



 

 パラパラ。

 雨が傘をうつ。


 結局、気まづくなった俺達――俺は、笹倉を連れて外に出た。

 二つの傘が寄り添うように、歩んで。

 目の前のカップルに視線を送りながら、俺は小さくため息をつく。


「~♪」


 笹倉は、嬉しそうに鼻歌を口ずさんでいた。


「……お前ね、なんでそんなに嬉しそうなんだよ」

「それは、だって。がっ君と一緒に過ごせたら、嬉しいじゃない?」


 また、そういうことを平然と言う。笹倉の肩に触れて。気まずくなって、少し距離を置こうとすれば、腕を引かれる。


「濡れちゃうよ?」

「……いや、そうなんだけど」

「濡れちゃうよ?」

「……」


 俺は小さく息をついて、笹倉と肩を寄せ合った。目の前のカップル達より、俺達の方が距離が近い。どうして、俺達が相合い傘しているのか。目の前でカラフルな傘達が入り交じる。


「なんで雨降りなのに、傘を忘れてきたんだよ?」

「だから、ごめんって。来る時は降ってなかったの」


 笹倉は嬉しそうに、笑みを溢す。

 恥ずかしい。

 誰かに見られたら、どうするんだって思う。

 いや、ぶっちゃけ俺は良い。ただ笹倉は――そうか、転校するから関係ないのか。


「彼氏がいたら、こんな感じなのかな?」


 笹倉は微笑む。

 これは、いわゆる彼氏彼女カレカノロールプレイングってヤツなんだと思う。


「なんか、こうやって見ると、見慣れた景色なのに、不思議だね」


 商店街を歩きながら、クスクス笑みを溢す。

 笹倉の手には、お肉屋さんのできたてコロッケ。この暑いのに、よく食べられるな――と呆れていると、問答無用で俺の口に放り込まれた。


「お、お前、それ、間接キ――」

「もう、そんなに熱くないと思うけどな? がっ君、コロッケは好きだったよね?」

「……い、いや。好きだけれどさ」


 好きだよ。自分で作るくらいには好き。確かにそう言ったよ、文化祭の準備期間中に。他愛もない会話のなかで、何回か。割と何回も。


(憶えてくれていたのか……)

 そう思うだけで、どうしてか鼓動がより早まる。


「美味しい?」

「うん、お、美味しい……」


 正直、近所の肉屋のコロッケが、こんなに美味しいと思わなかった。笹倉と一緒に食べるコロッケが、これほど美味しいなんて、想像もしていなかった。

 ドキドキし過ぎて、胸が痛い。


「良かったぁ」


 心底、安堵したかのように笑顔を咲かせる。嬉しくて、テンションが上がりすぎたのか。心なし、頬まで赤いけれど。


「みんなは、それよりカフェでパンケーキが良いって言うんだよ。美味しいとは思うけどさ、コロッケも捨てがたいって思うの」

「……カフェとか、僕はゼッタイに無理……」


 例えば例のCafe Hasegawaなんか、デートスポットで有名だった。何せ、あそこでデートすれば恋愛成就できるという都市伝説があるのだ。我が校七不思議の一つでもあった。校外なのに、高校七不思議の一つとは、これ如何に――。


「そんなの、もったいないよ!」


 ぐぃっと、笹倉が鼻先を近づける。近い。コロッケの匂いをかき消すほどに――笹倉の甘い香りに、クラクラしてしまう。


「あそこのパンケーキも、パフェも本当に美味しいんだよ! それに男女二人で行くと注文できる【恋するカフェオレと一途のアップルパイ】あれは、一度食べてみたいって思っていたんだよね」


 その商品名だけで、ハードルが高すぎるんですが笹倉さん?


「……ま、予約しないと無理なんだけどね」


 笹倉の一言に、ほっと胸を撫で下ろした。


「でも、こうやって街ブラしながらね」


 ニッと笹倉が微笑む。二人の距離が近い。


「雨の日の……想い出作りの作戦会議というの、もなかなか乙なもんですなぁ?」


 わざと年寄りくさい言い方をして、笹倉はニシシと笑う。

 そんな彼女につられて、僕まで唇が綻んでしまう。





 雨がしとしと降る。

 肩と肩が触れあうことにも、なんだか麻痺してきた気がする。


 笹倉のカバンから覗く、を見やりながら。

 ただ、見なかった振りに徹して。


 些細なことだ。

 想い出を作るために、あえて笹倉は垣根を崩してくれたのだから。

 だったら、僕が変に遠慮するのも違う気がした。

 

 





 だって――笹倉が引っ越しをするまで、あと二日。かなうのなら、彼女に最高の想い出を作ってあげたい。

それは偽らざる、僕の本心だった。



 

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