8/10(木)☀️

「20センチを越えるネズミ?!」


 僕は素っ頓狂な声をあげていた。男がだらしないと言われそうだが、インドア派の僕は、虫が苦手なのだ。それが体長20センチを越えるネズミと聞けば、誰だって躊躇するじゃないか。するよね?


「がっ君って可愛いとこあるねぇ……でもネズミというよりはモルモットなんだけれど――」


 苦笑を浮かべる笹倉は、モノトーンのタイトワンピース。正直、足も胸も目のやり場に困る。


「お兄ちゃん、怖くないよ! 大丈夫!」


 見れば、通りすがりの幼女に応援される始末だ。え? 20センチを越えるネズミだよ? みんな怖くないの?


「がっ君、動物公園名物のテンジクネズミ、知らないの?」


 少し呆れた目を向けられながら。


「え? だって動物公園なんて、それこそ小学校の時以来だし――」


 と恐る恐る、列の向こう側を見た瞬間だった。

 飼育員さんが、モフモフした兎のような生き物を抱きかかえた。そのモフモフは、飼育員さんに撫でられるがままになっている。耳は長くない。尻尾もない、そんなモフモフが気持ちよさそうに、クリクリ目を開けたり閉じたりして。


『はい、良いコのみんなー! テンジクネズミのテンちゃんでーすっ!』


 飼育員さんがマイクで呼びかける。

 会場、息ぴったりの拍手。名前は、これでもかというくらい安易だって思うけれど。


『テンちゃんをお触りしたい人ーっ!』


 またしても大歓声。今度は、俺もそのテンションに便乗したら――笹倉に抓られた。


「痛っ、なに? なんなの?」

「がっ君、お触りって箇所に反応するのエッチすぎる」

「ちょっと、言いがかりじゃない?!」

「お兄ちゃん、エッチなのはダメです」


 見ず知らずの幼女に、なぜか怒られるて、なおいっそう心にクルものがある。


『お兄さん、浮気はダメですよー!』

 飼育員のお姉さん、マイクで叫ぶの止め――本当に止めて!





■■■





 膝の上にテンジクネズミを乗せると、おとなしく撫でられていた。むしろ、すりっすりっと膝の上で寄ってくる。それこそ、もっと撫でてと言わんばかりに。

 すりっすりっ。


(……へ?)


 見れば、隣に座っていた笹倉が、すり寄ってくる。


「笹倉……?」

「べ、別に。なんでもない」


 ぷいっと、そっぽ向いてしまう。

 何か言いたそうな。

 でも、ちょっと言うのは憚られる。そんな表情を見せて。


「お姉さんも、撫でてほしいんじゃない?」


 俺の隣で、テンジクネズミを膝の上に乗せている、あの子がそんな爆弾発言を飛ばしてきた。


「へ?」

『おっと! これは初めてのデートか! 恥ずかしくて、手も繋げない二人。そんな彼女さんに頭ナデナデは、ハードルが高いんじゃないかしら!』


 いや、だからマイクで。大音量で煽るの本当に止めて?! それに付き合ってもないし、思い出作りへの協力者でしかなくて――せめて。あえて言うのなら、友達だって思うけれど。


 すりすりっ。

 またしても、笹倉の肩が触れる。


 ふぁさっ。

 笹倉の髪が揺れる。触れて、くすぐったい。


「あ、あの……」


 これは思い出作り。単なる思い出作り。だから、これは特別な演出で。本当なら僕の役目じゃない。でも、何もないまま、転校してしまうなんて。そんなの寂しすぎるから。


 テンジクネズミを落とさないように、気をつけながら。この手をのばす。

 拒絶されたら、この思い出作りは、ここで終了。そう自分に言い聞かせて。


 さらっ。


 指先が髪に触れて。

 笹倉が、嬉しそうに笑みを溢す。


(へ?)


 意味が分からない。

 でも、拒絶されていないことだけは分かる。


 僕の膝の上のテンジクネズミと、笹倉の膝の上のテンジクネズミが同じようにすり寄って。


 でも。

 もう一度、指先をのばそうとした、その刹那――。


希良々きららとがっくんちょ?」

 クラスでも聞き慣れた声が、突然飛び込んできて、僕は目を丸くする。


 陽キャグループ――笹倉の親友、丸亀沙絢が信じられないものを見るように、僕達のことを見ていた。






■■■







 場所を変えて、僕らはカフェスペースに。

 ズズズと、僕はアイスティーを飲む。


 妙な沈黙に居心地が悪い。丸亀からしてみれば、なんでお前が一緒にいるんだって、感じだろう。何より、笹倉はどうして丸亀の隣じゃなくて、僕の隣だろう。


「……それにしても、思い切ったよね」


 丸亀が感心したように言う。思い出作りの相手を選べってことだろう。ごもっとも、当事者の僕だってそう思う。


「いや希良々は、もともとこじれていたけどね。希良々がそれで良いのなら問題はないと思うけどさ」


 なぜか、僕を見る丸亀の視線が冷たい。思い出作りの相手をちゃんと選べってことだろう。それに関しては、僕自身同感だから、できればこのまま強制終了して帰宅したいところだ。


「……友達がいるのなら、僕はもういいんじゃ……」


 小声で呟いたせいか、笹倉にも、丸亀にもこの声は届かない。つまり僕は空気だった。


沙絢さあやはどうして、動物公園に?」


 話題転換と言わんばかりに、笹倉は聞く。ナイスである。今この瞬間が僕は辛い。


「家族サービスってヤツですよー。妹が、どうしても行きたいっていうからね」


 ニッと笑う。バイトで忙しい丸亀だが、家族想い。そして誰よりも友達想い。あの文化祭で、無責任だったクラスメートを諫めて、最終的に僕らの仕事を手伝ってくれたのが、丸亀だった。


「まぁ、良かったんじゃないの?」


 笹倉に向かって、丸亀は笑う。


「……う、うん。がんばるっ」

「あいつ朴念仁だから、希良々は苦労するだろうけれどね」


 何やら笹倉には、想い人がいるらしい。そういうことか、とアイスティーを啜りながら納得する。この思い出作りは、自分の気持ちを整理するためでもあるのだ。

 と、じーっと丸亀が僕のことを見やる。


「……しかし、どうして気付かないのかな?」


 丸亀は首を捻る。その意味が分からず、俺は首を傾げた。


「ちょっと、沙絢! 余計なことは言わないって約束でしょ!」

「ま、良いけどね。でも一歩間違ったら、重い女だよ、希良々」

「うっ……それは……」


 しゅんと俯く、そんな笹倉を見ることが耐えられなかった。多分、理由はそれだけだった。

 考えるより先に、僕は言葉を紡いでしまう。


「あの! 笹倉が重いってことはないと思う。笹倉は笹倉で悩んだ結果だって思うから! だから、僕は笹倉のことを応援したいって思うからっ――」


 僕と丸亀、そして笹倉の視線が入り交じる。

 丸亀は表情を変えない。


 そして笹倉は、心なしか頬を紅潮させていた。


 多分、彼女が見ている視線の先は、想い人のことで。絶対に見ている人は僕じゃない。でも、それで良いと思う。僕との思い出作りと称して、感情の整理をしているのだ。僕は、彼女の不安を受け止め。そして前進できるように、背中を押してあげたら良い。


「希良々の気持ちを受け止める覚悟があるっていうことだよね?」

「それは、もちろん」


 ことはそんなに簡単じゃないって分かっているけれど。

 と、丸亀がふっと力を抜いて、それから立ち上がる。


「ごちそうさま。私は、家族のところに戻るね」


 二人のお代はすでに僕が支払い済みである。


「がっくんちょ、希良々のことをよろしくね」


 予想外な丸亀の言葉に目を丸くした。


「もちろん?」


 締まらない返答。そんな僕の声が聞こえたのか、聞こえていないのか。丸亀はそのままカフェを出て行こうとする。


 と、丸亀が振り返る。それから小さく笑みを溢して。

 僕へ呟やいた。


 聞き返そうとした言葉は、喧噪にかき消され――。

 雑踏にまぎれ、丸亀はあっという間に見えなくなってしまったのだった。






■■■





 ――やっぱり、朴念仁じゃん。

 丸亀の言っている意味が、やっぱり僕にはよく分からなかった。

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