第12話
「はぁい、出た、春日ちゃんの意地っ張り」
やはりタイミングが良いと言うか、見計らったかのように、翌日の水曜日、〈シエスタ〉の開店時間にやって来た環は、春日が何も言う前に、顔を見ただけでそう言った。
「何だよタマ、来て早々に」
「接客業でそのふくれっ面はダメだよぉ、ね、マスター?」
「そうですね」
「マスター……」
そんなに自分は憮然としていただろうか。黙っていたけれど、マスターでさえ気付いていたとは、余程の顔をしていたのだろう。それでもドアベルが鳴れば、春日スマイルが咄嗟に浮かべられるのは自覚している。マスターもそれを理解していたから、開店前に何も言わなかったのだろう。
「ふくれっ面と意地っ張りに何の関係があるんだよ」
「うーん、だってぇ、今日も春日ちゃんリハビリ行ってきたんでしょ? じゃあ美形先生に会ったんじゃないかなって。外で会ったら変な人に喧嘩売られるような顔してたよ?」
さすがに環も超能力者ではないので、今日の春日の不機嫌の原因を言い当てることはできなかった。当たり前だ。昨日陸坂の部屋に呼ばれたことも、約束したこともまだ打ち明けていないのだから。
「残念ながら、今日は会ってねぇよ。会わずに済んでむしろラッキーって感じだ」
おやおや、と思った。思わず口から出てきた「会っていない」という言葉に偽りはなかったが、環に会ったら真っ先に昨日の出来事を相談しようと思っていたのに、何故だか誤魔化してしまった。環相手に、何を隠そうとしているのだろう。何故、本当のことを言わないのだ。
「そーお? じゃあボクの勘が外れたのかな。でも春日ちゃんが今日は無愛想なのは本当」
「まぁな」
今ならまだ、昨日のことを打ち明けることができるのに、春日はそのまま黙り込んでしまった。何かを察したのか、環もそれ以上は突っ込んでは来ないで、「そろそろホットワインとか欲しいなぁ」と言った。
春日は黙ってレモンを切って下準備をする。発する言葉はない。何をどこから言えば良いのかわからなかったし、うまく言葉にできそうになかった。
「足、ギプス外れて良かったね」
少し時間を掛けて作ったホットワインをコースターの上に置いてやると、環はそこで改めて口を開いた。
「そうだな。生活が楽になったよ。やっぱり持つべきは健康な身体だって身にしみた」
「痛みはないの?」
「まぁ、ほとんどないな。大事にはしてるけど、そんな気を遣う程のことじゃないし。階段も昇り降りできる」
「もう転んじゃダメだよ〜」
ニッコリと微笑んで、環はホットワインに息を吹きかけた。ほのかな香りが春日の方にも漂ってくる。
「まぁね、春日ちゃんがまだ何も言えないなら、ボクは黙って見守るよ。一人で考えることも必要だし、話を聞いたところで、ボクが春日ちゃんの力になってあげられることもそうはなさそうだから」
「タマ……」
なんとなく、春日は申し訳ない気持ちになった。何かはわからなくても、環なりに春日の変化を感じたのだろう。その原因が陸坂であることは明白だし、環は春日を心底心配してくれている。ありがたくてすべてぶちまけてしまいたかったが、環の言う通り「一人で考えることも必要」なのだと感じた。
「春日ちゃんはさ、クリスマスはどうするの?」
話は打って変わった。環がわざと変えたのだが、それは案外的外れでもなかった。
クリスマス。そんなものもあったな、と春日は思った。昨年のクリスマスは、男がいなかったので、普通に〈シエスタ〉のカウンターに立ち、いわゆる〈シングルベル〉を過ごす男客の愚痴を聞いたりしていたものだ。一年は早いなと思う。まだ環と出会う前のことだったので、彼女が昨年のクリスマスを誰とどう過ごしていたのかは知らない。
「どうも何も、いつも通りだよ」
「ふーん。デートはないんだ?」
「誰と」
「好きな人」
グッ、と息を呑む。今年中に陸坂を落とさなければならないのに、その前にこんな重要なイベントがあったことを忘れていた。しかしそもそもクリスマスとは、関係を成就させた恋人たちが楽しむものであって、未だ片思いの春日が陸坂と過ごせるわけがない。
「好きな人って?」
「美形先生」
環にはすべてお見通しのようである。春日本人でさえ、自分の陸坂への気持ちに気付くのに時間がかかったというのに。
「別に、付き合ってもいないのに、デートも何もないだろ」
「そっかぁ、じゃあボクもここに来るね。仕事中の春日ちゃんを外には連れ出せないし」
クリスマスの〈シエスタ〉が忙しいのかどうかはわからないが、確実に春日に愚痴を聞いてもらいたいと思っている男客はいるはずなので、環も「ボクとデートしよっか?」などとは言わなかった。もし言われていたら、何と答えていただろうか。
「あと二週間ちょっとかぁ。その後はお正月ムード一色になっちゃうし、一年も過ぎるの早いねぇ」
何気なく言っただけの環の言葉が重かった。
クリスマスまで約二週間。その後一週間経てば、十二月が終わる。今年が終わる。
そんな短期間で、あの頑固そうな美形医師を落とせる自信は、どんなに強がっても春日には湧いてこなかった。
しかし努力は怠らない。さっきも仕事前にメールをしてきた。何のことはない内容だったが、とりあえず接点を手放すわけにはいかない。返信はまだないが。
「まぁ、クリスマスの駆け込み需要っていうか、その日までに恋人作らなきゃって人もいっぱいいるからね。春日ちゃんも慌てず騒がずがいいよ」
「そうだな」
答えながら、春日の脳裏にはもう、陸坂の姿しかなかった。
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