第5話

 夜に仕事をしているせいで、午前中は寝て過ごしてしまうことが多いのだが、正午くらいからは比較的精力的に動く春日である。今日もリハビリに通うため、昼前には起きてカップ麺で昼食を済ませ、慣れない松葉杖を使って不器用に歩きながら、病院へと向かっていた。

 十一月初旬ともなれば、もう肌寒いを通り越しているはずなのに、松葉杖を使うこと自体が運動のようになっているせいか、グレーの起毛のスウェットの上下に、更に黒いパーカーを着ていたら、汗ばんできた。今日は結んでいない金髪の後ろ髪も首を隠すには少々心細く、時折吹き付ける風にはためいている。

 受付でリハビリの申請をして、エレベーターで二階に上がる。リハビリに通うくらいなのだから、どこかが不自由とか、痛みを抱えている人が多いはずなのに、なんでこの病院のリハビリ室は二階なんだ、と春日は思った。まぁ、エレベーターがあるだけマシではあるが。

 午後一番の診察前ということもあってか、比較的混雑はなかった。午前中には先を争うように早起きの老人が集まってくると聞いていたが、平日の昼間は静かなものだ。当面の担当だという、あまり春日の好みではない顔の理学療法士に従って、いくつかの軽い運動をする。昨夜カウンターに立っていたせいか、やや痛みがあったが、何事もない顔で春日はそれらをこなした。それを見越したように、理学療法士は伺うような顔で「宇野さん、痛みはどうですか?」と聞いてきた。

「いや、痛いですけど、平気っす」

 どっちなんだ、と自分でも突っ込みたくなったが、事実なのでそのまま伝える。理学療法士うーんと首をひねり、「普段の生活では安静にしてくださいね。治りが遅くなると、いろいろ困るでしょうし」と言った。患者の症状を見抜くのも立派な仕事らしい。

「来週にはもう一度先生に診てもらうようにしましょう」

 げっ、と思わず声を出しそうになって、すんでのところでそれを飲み込む。なんだ、リハビリに通うだけじゃなくて、定期的に医師の診察もあるのか。迂闊だった。理学療法士に無理を見抜かれているのだから、医師ならなおさらハッキリと指摘するだろう。あの美形医師に会うのは嫌だったが、足が治らないのも困るので、「よろしくお願いします」と返しておいた。

 リハビリを終えてエレベーターで一階に降りて精算をしていると、後ろからざわめきが聞こえた。何事かと思っておつりを財布に仕舞いながら振り返ると、例の美形医師が女性看護師と患者に遠巻きに囲まれていた。〈遠巻きに〉というのが高嶺の花っぽくてムカつく。支払いの時に会計の受付嬢に春日スマイルを送った時も、一般的な愛想笑いを返されたので、どうもこの病院は美形医師の独壇場らしい。別に春日だって、特別ちやほやされたいわけではないが、自分よりイケメンが明らかに特別扱いを受けているのを見ると、良い気持ちにはなるわけがない。

 どうせ来週診察に行かなければならないのだし、今日は用事もないので、春日はその看護師と患者の集団を避けて外に出た。一瞬医師と目が合った気がしたが、多分気のせいだろう。顔くらいは覚えているだろうが、じっと見られる謂われはない。相手が春日のイケメン度に嫉妬でもしていない限りは。

 だいぶ扱い慣れてきた松葉杖は、なるほどあれば便利な代物だった。あまり調子に乗って体重を掛け過ぎると脇の下が痛くなるのが難点だが、そもそも松葉杖で長距離を動き回るなということなのだろう。春日はまっすぐに帰宅し、最大の難関である階段を制覇して部屋に辿り着いた。

 玄関に松葉杖を立て掛け、サンダルを脱ぐ。靴さえ履けないのは不便だったが、まぁ仕方がない。悪化させなければ二週間程度でギプスが取れると聞いているので、しばらくの我慢だ。耐えることには慣れている。待つことにも。

 待つ、と言えば、昨日の環との会話で考えていたことがあった。次に店が休みの日にでも、一日中目の前の道を眺めていようかと思ったのだ。昨夜は「そんな無茶な……」と思ったのだが、バーの前の道イコール自分のアパートの前である。まぁ、店の前で人待ち顔で立っていれば、多少の怪しさはあっても、誰に迷惑を掛けるでもなく〈シュウ〉との再会を狙うことができるかも知れない。

 もちろん、週に一度、火曜日のバーの定休日が〈シュウ〉の休みに当たっていたとしたら、何週間掛けても無駄な待機になってしまうのだが、一般的な企業に勤めているようだったから、普通は土日が休日なのだろうと考える。福祉関係の仕事ならば、シフト制ということも考えられるが、春日には仕事内容についてあまりピンとこなかったので、詳しいことはわからない。福祉と言っても、さまざまな業種があるのだろうし。

 思い立ったが吉日と言う。取り敢えず、一日だけでも実行してみても良いのではないかと春日には思えてきた。空振りに終わるのは承知の上である。一生のうちのたった一日を、好きな相手に再会する偶然を待つために使うくらい構わないだろう。

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