第3話
春日の友人に、琴葉環(ことは・たまき)という女装子がいる。しかし多分、それは本名ではないのだろうなとは感じていた。それでもそんな些細なことは気にしなくていられる程、環と一緒にいると落ち着いた。
半年程前の、初夏の夕暮れ時である。バーの定休日だった春日が不慣れな繁華街を歩いていると、黒ベースに少し赤のステッチがある裾の膨らんだワンピースに、白くてフリル使いが賑やかなブラウスを着て、底の厚いロングブーツを履いた、いわゆるゴスロリスタイルの女に、声を掛けられた。
「そこのイケメンのおにーさん、ちょっと遊んでいかない?」
それが環である。
男を見る目はある春日なので、ファッションや声質が女寄りでも、彼女(?)が戸籍上は女ではないということは瞬時に見抜いた。まだ幼さの残る可愛らしい顔立ちのため、年齢は不詳。身長は現代女性の標準くらい。しかし体重は標準よりもかなり軽いだろうと思う。黒髪で緩いウェーブのかかったロングヘアが似合っていたが、多分ウィッグだろう。
「あんた、男だろ?」
環は少し驚いた表情になったが、すぐに愛らしい営業スマイルを浮かべた。
「ウリかなんかやってんのか? それともボッタクリバーの客引きかなんか?」
「ウリはやってない。始めたばっかのバイトだから、ただの客引きだよ」
「どんな店? オカマバーか何かか?」
「ざんねーん。本物の女の子しかいない、高額なガールズバーだよっ」
聞くと環は店長にも女だと思われているらしい。確かに外見だけ見ればそこらの女より可愛らしいし、職業上いろいろな事情を抱えた女たちが雇われている店のようなので、アルバイトをするのに履歴書さえ必要ないのだろう。
基本的に女とは付き合わない春日だが、相手が女装子なら中身は男である。要するに、女装が趣味のノンケの男なのだ。春日の中で、少し悪戯心が芽生えた。
「悪いけど俺、そっちの方には興味ねーんだわ」
暗にゲイであることをカミングアウトしたのだが、環は微笑んで言った。
「ボクはすっごくおにーさんに興味あるなぁ。ちょっと付き合わない?」
「じゃあこのままそのバイトフケて飲みに行くってんなら付き合うぜ」
さすがに始めたばかりのバイトを放棄するわけもないと思い、適当に吹っ掛けた春日だったが、環は意外にも乗った。
「いいよ〜。どうせもう辞めたいと思ってたバイトだしぃ」
バイト先に連絡する様子もなく、環は春日に寄り添った。
「ボク、琴葉環。おにーさんは?」
「宇野春日」
「じゃあ春日ちゃん、オススメのお店連れてってよ」
普段は自分のバーでしか飲まない春日には、慣れない繁華街で行きつけの店もオススメの場所もなかったので、適当なチェーン店の居酒屋に入った。環も特に文句を言わなかったところを見ると、きっとさほど期待していなかったのだろう。
混雑した店にとっては二人客であることは迷惑だっただろうが、空いた席が四人掛けの半個室しかなかったため、そこに通された。ほぼ逆ナン状態で出会った二人だったが、聞き上手で話し上手な環に、春日は惹かれた。ザルのような飲みっぷりの環は、見かけが女装なだけで中身はノンケの男だ。自分の好みに反してはいない。酒はかなり強い方の春日だったが、環はそれ以上だったようで、五時間に渡って飲み食いし、話し飽きた頃、春日の口から自然と言葉が漏れた。
「なぁ、俺たち、付き合わね?」
酔ってはいたが、酒の勢いで告白したわけではないので、春日も自分が言ったことを覚えている。そして環の返事も忘れていない。
「ん〜、ボク男の人と付き合ったことないから、まずはオトモダチからってことでいいかな?」
そのまま時折一緒に出かけたり、環が〈シエスタ〉に飲みに来ることもあったが、二人はいまだに「オトモダチ」以上の付き合いにはなっていないのだった。友達以上恋人未満とでも言うのだろうか。何となく腹を割って話せる親友になってしまった。お互いに気持ちは寄り添っているのだが、恋人同士のそれとは違うのだということを、二人とも知っていた。だからこそ付き合っていないし、付き合ってもいないので別れてもいない。
そんな奇妙な信頼関係で結ばれていた。
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