第95話 伝説の大魔族

「ここは相変わらずだな」


 薄暗い館の中を、一人の青年が進む。


 二十歳そこそこの人間の青年に見える彼は、実は魔族だった。

 普段から人間に擬態している彼は白いビジネススーツのような服に身を包み、薄暗い廊下を進む。

 青年が一歩進むたび、足下でカサコソと害虫が動く。

 そのあまりの不衛生さに青年は顔をしかめる。


 眼鏡の奥の赤い瞳が不快感に揺れる。


 青年は何もない空間から一枚のハンカチを取り出すと、丁寧に折りたたみ口にあてる。


 そして、さらに奥へと進む。


 扉を一枚潜ると、匂いがさらにきつくなった。


 荒れに荒れた洋室の壁にはいくつもの鎖が打ち付けられており、その鎖の先には裸の女性たちが繋がれていた。


「前より増えているな」


 人間の女性ではない。


 そこに居る女性達はすべて、亜人や魔物だった。


 エルフやドワーフ、獣人。ハーピーやメドゥーサ、ラミアなど。


 数十名、数十体の女たちは皆痩せこけ、衰弱している。


 何十年も水浴びをしていないせいか、まるでアンデッドのように薄汚い。


 おそらく長い間、この屋敷の主に放置され、食事も摂れていないのだろう。


 だが強靱な生命力を持つ彼女たちは、生きられてしまう。


 強く気高く美しく、世に君臨できたはずだった時間をこの場所で消費してしまったのだろう。


「魔王様がこの光景を見たらなんと言うか……まぁいい」


 青年は進む。

 奥に居るであろう、この女たちの主である老人に会うために。


「こ……ろ……し……て」

「し……な……せ……て」


 ふと青年の耳に、声が届く。


 女たちの声にならない声。


 青年は静かに目を伏せると、指を鳴らした。


「ぐぎっ……」

「ぐぎょ……」


 鎖に捕らわれていた女たちの首が数回転した。

 青年は女たちの願いを叶え、その命を奪ったのだ。


「あ……りが……と」


 事切れる寸前に女たちが口にした感謝の言葉は、青年の耳には届かなかった。


 カツカツカツ。


 青年は奥へと進む。


「おひょひょひょひょひょ。むひょひょひょひょ」


 そして一番奥へと辿り着く。

 部屋の中央には白色の肌をした少女が天井から鎖で吊されていた。


「おひょひょひょひょ~」


 その少女の肌を楽しそうに撫でている一人の老人。


 青い肌をした背の低いその男こそ、青年の目当ての人物。


 大魔族トルルルリ・ピルプッケス。


 魔王より以前にこの世に生まれていた、超高齢の大魔族である。


「これはこれは珍しい。雪女ですか。よく手に入れられましたね」


 未だに青年の来訪に気づかないトルルルリの背に声をかける。

 営業スマイルから放たれ明るく作った言葉に、老人は振り返る。


「む……? お、おおお! お主か~! よう来たよう来た! ええと……誰じゃったか? 顔は覚えておるんじゃよ?」


 トルルルリは「ぐぬ~」と唸る。


「ほら、魔王復活教の幹部やっとったよな? マスマテラのガキに振り回されておった……ええと」

「そこまで思い出して頂ければ結構です老師」

「それは助かる。最近物忘れがのう……で、どうじゃ? まさか、お主……雪女ちゃんを奪いに来たのか? ぐるるぅ~」


 大切な玩具を取られないように必死になる子供のような態度を、青年は心底嫌悪する。

 だが態度にも表情にも出さない。


「何をおっしゃる。その子はもう壊れてしまっているではありませんか。そんな少女を奪うような真似はいたしませんよ」


 青年の目に映る雪女の目はすでに虚ろで、心が壊れてしまっているように見えた。

 事実、トルルルリにずっと肌を撫でられているにも関わらず、無反応だ。


 おそらく、ずっと玩具にされていたのだろう。


 青年の言葉に、トルルルリは無邪気に笑った。


「わかっとるなお主。そうなんじゃ。ちょっと遊んだだけですぐに壊れてしまう。最近の若いもんは、本当に情けない……そこでじゃ!」

「それは?」


 トルルルリは、青年が見慣れない機器を取り出した。

 地球で言うところの、かき氷器である。


「これはかき氷器なるものでな。氷を削ってかき氷なるスイーツを作り出す道具じゃよ」

「ほう……」

「雪女の身体で作るかき氷……お主も食べたくはないか?」


 雪女の身体がビクリと震えた。

 それを見て、無邪気な少年のように瞳を輝かせるトルルルリ。


「うひょひょ。なんじゃ雪女ちゃん。まだ壊れておらんかったんか?」

「遠慮します。生憎、食にはこだわりがありますので」

「つまらんやつじゃ。もう頼んでも食わせてやらんからな!」


 プンプンと怒りながら、かき氷器をしまう。


「で、何の用じゃ? マスマテラの救出ならせんぞ? ワシはアイツが嫌いじゃ」

「それに関しては私も同意見です。老師。貴方には、ローグランド王国に出現した強大なモンスターを捕獲して頂きたい」

「強大なモンスターじゃと?」


 ポパルピトが融合によって出現させた巨大なキメラの情報は、魔王復活教幹部のこの青年の耳にも届いている。

 断片的な情報のみだが、もし仮にローグランド王国がこのキメラを制御下においた場合、とんでもないことになると考えた。


「そのモンスターは女型か?」

「いえ、おそらく違うかと」

「じゃあ嫌じゃ」

「ですが、名のあるダンジョンボスを越える力を持っているとされています」

「ふぅむ」

「かつて魔王様と肩を並べた大召喚術士の貴方なら、そのキメラを手中に収めることができるかと」


 青年の言葉に、しばし考え込むトルルルリ。


 そして。


「やっぱり嫌じゃ。キメラが欲しいのなら、お主が自分で行け。おっぱいのないモンスターなど今更欲しくはないわ」

「申し訳ない。そうしたいのは山々なのですが……現在、生き残った魔族を守るのに手一杯でして……」

「ふん。最近の若い魔族は本当に情けない」

「返す言葉もない。ですが、だからこそ。偉大なるトルルルリ様の力で強大なキメラを制御し、魔族を守るための力を手にしたいと、考えているのです」

「ほう偉大か……おひょひょ。わかった。力を貸してやる」

「本当ですか?」

「その代わり、キメラを手に入れたら、それと引き換えにワシの封印を解いてもらうぞ」

「封印? ああ」


 トルルルリは魔王と同時代を生きた大魔族である。


 一時は魔王と肩を並べるほど強かったトルルルリだが、彼の性欲の強さは魔王ですら手を焼いたのだという。


「確か、我ら魔族と同盟を結んだエルフ王の娘を陵辱し、関係を悪化させたのでしたな」

「仕方ないじゃろう。ワシに触れられたくないのなら、醜く生まれてくれば良いのじゃ。可愛く生まれてきておいて文句を言うなどお門違いじゃよ」

「ですがそのせいで、貴方は魔王様に局部を封印された。二度と淫らな行為に及ばぬように」

「まったくとんでもないヤツじゃ。ワシの大事な場所を封印したまま死によってからに」


 魔王と敵対していた人間ですら、この老人の局部を封印したことを「ナイス!」と言うだろう。


「どうじゃ? この条件を飲めるのか?」

「いいでしょう。魔王軍幹部に解呪のプロが居る。その者に任せましょう」

「交渉成立じゃ。なぁに。すぐに行ってすぐに捕らえてきてやろう」


 まるで子供のようにはしゃぎながら、部屋を出て行くトルルルリ。

 そして、ドアのところで一度止まり、振り返る。


「封印解除されたら……わしが本当の幸せを教えてあげるからのう、雪女ちゃん」


 気色悪い笑みを浮かべながら雪女にそう言うと、老人は去って行った。


「あ……ああ……」


 とっくに心が壊れているように見えた雪女は震えだした。


 カチャカチャと鳴る鎖の音を聞きながら、青年はトルルルリがローグランドへ向かったことを確認すると、ため息をついた。


「まったく。あのような輩にまで頼らなくてはならないとは……これも全てマスマテラ・マルケニスのせいだ」


 マスマテラの薄ら笑いが脳裏に浮かび、思わず拳を壁に叩きつける青年。

 拳は砕け血が吹き出るが、数秒後には何事もなかったかのように再生する。


「ああ……やだ……やだ……やだ。これ、いじょう、なんて……むり……やだ」


 カタカタと震えている雪女を安心させるように、青年は言う。


「安心しろ。元よりヤツの封印を解くつもりはない」


 青年の見立てでは、トルルルリを以てしても、ローグランドに出現したキメラを御することはできないだろう。


 全盛期ならまだしも、こんな辺境の屋敷に引きこもり、女性型モンスターに悪戯をしながら数百年を無駄に過ごしてきた老人に、何も期待はしていなかった。


 寧ろ「死ね」と心の底から思っている。


「私の狙いは……ヤツが制御に失敗しキメラを暴走させることにある。そうすれば、ローグランド王都は火の海になるだろう。運が良ければ、そのままマスマテラ・マルケニスも地獄に落ちる」


 自由気まま、自己中心的に魔王復活教を束ねていた上司マスマテラ・マルケニスと部下の幹部たちの間に挟まれ、胃痛に悩まされていた五年前までを思い出す。

 誰よりも早く捕まり、あっけなく仲間の情報を売り渡したマスマテラを青年は絶対に許すつもりはなかった。


「さて、長居は無用だな……む?」

「ああ……ああ」

「置いていくのも可哀想か。よし」


 青年が指を鳴らすと、雪女を拘束していた鎖が砕け散った。

 雪女は数年ぶりに手足の自由を手に入れたのだ。


「あっ……」

「おっと。そうか、そうだな。急に立って歩くことはできないか」

「ああ……ありが……とう」


 青年は雪女の体を支える。

 少しだけ光の灯った雪女と目が合い、青年は顔を赤くして目を逸らす。


「と、とにかくだ。服が必要だな。悪いが君にはしばらく、私と行動を共にしてもらうぞ」

「……うん」

「よし、いい子だ」


 魔族の青年は雪女を抱えてトルルルリの屋敷を出る。


 そして、指を鳴らす。


 するとたちまち屋敷の壁にヒビが入り、大きな音を立てて崩れさるのだった。


***

***

***

あとがき


悪役サイドの話とか初めてかも。

トルルルリはゲームには出てこなかったキャラクター。

一方魔族の青年は、リュクスが見れば一発で誰かわかるゲームの敵キャラですね。


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