国木田独歩と夏目漱石

@that-52912

第1話 

国木田独歩の「武蔵野」より。


「林に座っていて日の光のもっとも美しさを感ずるのは、春の末より夏の初めであるが、それは今ここには書くべきでない。その次は黄葉の季節である。半ば黄いろく半ば緑な林の中に歩いていると、澄みわたった大空が梢々のすき間からのぞかれて日の光は風に動く葉末葉末に砕け、その美しさ言いつくされず。」 岩波文庫 P.13


ここでは、国木田独歩は自然と同化している存在になっている。かれにとって、この世界は、やさしい太陽と、メロディアスな自然の声で出来上がっているのだ。とうぜん、どこに行っても、おんなじような家や電柱に囲まれた私たちには、夢のような世界だといえるだろう。


さて、いっぽう。夏目漱石の「草枕」はどうか。主人公の画工は、自然のなかをぷらぷら歩きながら、こんな事を考える。


「いくら雲雀と菜の花が気に入ったって、山のなかへ野宿するほど非人情は募ってはおらん。こんな所でも人間に逢う。じんじん端折りの頬冠りや、赤い腰巻の姉さんや、時には人間より顔の長い馬にまで逢う。百万本の檜に取り囲まれて、海面を抜く何百尺かの空気を呑んだり吐いたりしても、人の臭いはなかなか取れない。」P.15 岩波文庫


自然のなかを歩いていても、独歩のように風景と溶け合うことが出来ない。画工は、そういう男だ。おそらく、鳥の声を聞いても、かれのこころは和むことは、ない。なぜなら、いつでもこころのなかに、人間が住み着いているからだ。人間が、安らぐのを邪魔する。

「草枕」という小説から、私たちは人間やこの世界への不満、怒りなどを感じとれるはずだ。


独歩のような、のどかな詩的世界よりも、漱石の不機嫌、不安な世界観のほうが、私たちの口に合う気がする。それは、私たちも、不機嫌、不安な世界をとぼとぼと暗い顔をして歩いているからである。




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