一人の狩人③

 酔いつぶれた先生を背負い、ギルドの外に出る。目的地は、すぐ近くにある先生の研究調査用の別宅だ。先生は、「グガァ」と大きないびきを上げながら、時折ブツブツと何かをつぶやいている。どうにも息が酒臭い。


 周囲を見回してみると、今日は一段と霧が濃い。

 遠景には、天を突き刺すように、巨大な《霧の塔》がそびえ立っていた。どこにいても姿が確認できるあの塔は、《狩人》以外の人にとっても方向を把握するための目印になっている。


 はるか太古、人がこの地に暮らし始めたとき、すでに世界には人を蝕む瘴気が満ちていたという。


 瘴気に対する唯一の防御手段が、神獣たちが持つ神気だ。


 《狩人》たちは神獣を食らい、神気を体内に取り入れることで身体能力を強化し、瘴気への耐性を得る。しかし多くの人間にとっては、神気もまた瘴気と同じく身体を蝕む毒となってしまう。


 あの《霧の塔》は、そんな“普通”の人々を救うために、神気を霧として噴出する巨大な装置だ。塔の内部には神獣の角が設置され、角に熱を加えることで霧を噴出しているらしい。

 神気の霧が瘴気を阻む結界となり、人々の生息域を作り上げる。この国の中枢を担う施設が立ち並ぶ中央街は、あの塔を保護するため、塔を中心に建築されたという。


 人は、霧の外では生きられない。生きられるのは、神を狩り、食らう《狩人》だけだ。


「メル坊よぉ……」


 背中で先生が薄っすらと目を覚ましたようで、何やらうめいている。酒臭い。


「はいはい、なんですかね?」

「お前ならなぁ、C級よりもっと上を目指してよぉ…多くの人々の役に立って…必要とされるはずなんだ…頑張れよぉ」


 涙目になりながら、うつろな様子で先生は語り掛ける。どうにも、自分と俺の境遇を重ねているらしい。


「……そう言ってくれるのはうれしいですけどね先生。そりゃ身内のひいき目ってもんです。ほどほどでいいんですよ、俺は」


 先生からの返事はなく、その言葉は一人言のようになった。



 先生を別宅に届けてからギルドに帰ると、受付でユーリさんがこちらを見ながら机をトントンと叩いた。お呼びらしい。


「今回の報酬、受け取りなさいな」

「おっとそうそう。待ってました!」


 鉱脈調査の護衛は中央からの直々の依頼だ。それだけあって労力の割に金払いはいい。先生も、気を使って身内においしい依頼を回してくれたというのもあるだろう。

 しかし机の上に置かれているのは、蜘蛛の姿が刻まれた銅貨が三枚。C級の依頼の相場が銅貨十枚であることを考えると、明らかに少ない。


「あれぇ? なんか少なくないですかね?」

「賭場、狩猟武具店……もろもろ溜まってる請求書の一部返済、それと今回の飲食代を引いたらそれだけよ」

「世知辛ぇ…」

「家賃のツケを引いてないだけありがたいと思いなさいな」


 そういい捨てて、ユーリさんは受付の奥に引っ込もうとする。

 家賃というのは、このギルドに住まわせてもらってる分の家賃だ。八年前、逃げるように実家を飛び出した俺は、それ以来このギルドの二階の一室を借り受けている。

 そのツケがおよそ二年分は溜まっていることを考えると、まあ確かに温情的な処置といってもいい。


「いやいやいやいや! そうはいっても、これじゃ持ちませんって! せめて銅貨五枚…六枚くらいは!」

「…余分なお金があっても、ケチな博打に使うだけでしょうが」


 痛いところを突かれた。


「いやぁ、C級の報酬なんてたかが知れてるわけですよ? よりよい環境を整えてステキな《狩人》ライフを送るためにも? お金を増やす必要があってですねぇ」

「働け」


 グゥの音も出ねぇ。

 ひとつ溜息をつくと、ユーリさんはいくつかの書類をパラパラとめくる。どうやら依頼を見繕ってくれるらしい。帰還後すぐに狩りに出るのは御免こうむりたいものだが、それを言うと今度こそ家賃を請求されそうなのでやめておいた。


「これが、今受けられる一番報酬のいい依頼」


 そう言って机に置いた書類には、“救出任務”という文字が乗っていた。消息が不明になった《狩人》の救出を目的とする任務だ。

 それも、表向きの話ではあるが。


「救出…ね」


 書類をめくってみると、そこには見知った名前があった。


「ジョルジュ」

「お友達?」

「友達というか…まあ知り合いですかね。たいした付き合いはないけど。そうか、あいつが…」


 ジョルジュは、俺の先輩にあたるC級《狩人》だ。昔、不本意ながら世話になったこともある。

 C級とはいえ、経験もあって腕の立つ《狩人》だったはずだ。それだけに、そんな簡単に消息不明になるとは考えにくいものだが……。


「どうするの?」


 もちろん、依頼を受けるのかという意味だろう。

 俺は少し答えに迷ったが…。


「いやまあ、やりますよ。気は進まないけど」

「そう」


 そう言って依頼書にギルドの判を押すと、その書類を持って今度こそユーリさんは受付の奥へと引っ込んだ。

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