間章:夢
夢①
夢を、見ている。
懐かしい夢だ。
「あなたはウォルフの誇りよ。メル」
暖かい暖炉の火が灯った部屋で、母さんがやさしく俺の頭をなでている。それを微笑みながら見ている姉さんと、後ろで腕を組んで視線だけ送る父さんが見えた。
これは、俺が《狩人》の適正試験に認められた日の夜の光景だろう。
ウォルフ家は、数百年続く《狩人》の名門だ。その長男として生まれた自分も、将来《狩人》になるのだということを疑いはしなかった。
ふと、場面が変わった。鬱蒼と茂った森の中。自分の手元を見ると、指を振るわせながらも弓に矢を番えている。これは……初めて狩りで獲物を仕留めたときか。
視線の先には、蒼白く光る角を持った、一匹の獣がいる。
神の名を冠する獣、神獣だ。
《狩人》の獲物であり、人々を生かす糧。
神獣は新米向きの小さな獲物だったが、子供のときの自分から見ればはるかに巨体だ。罠にかかってから、すでに半日ほどはもがいたあとのようで、身体中傷だらけになりながらも、辛うじて生きている。
「ビュッ」という風斬り音が鳴ると、自分の手元から離れた矢が、神獣の首へと刺さった。「グルル」と小さなうめき声をあげたあと、獲物の身体から力が抜けていく。
それを見て安心した自分が獲物に駆け寄ろうとすると、同行していた父さんが手で制止して、獲物をよく見るように視線だけで促した。今思えば、父さんの教え方はいつもこうだった。言葉ではなく、視線と行動で成すべきことを教えていた。
「獲物に敬意を払え」
それが、父さんから言葉で教わった唯一のことだ。意味はいまだによく分からないけれど……言葉だけは、忘れることができない。
呼吸を整え、いったん心を落ち着けたあと、獲物にゆっくりと近づいて腰からナイフを抜く。弱った様子でこちらをじっと見てくる獲物から目を背けようとすると、また父さんからの視線を感じた。
「……っ!」
ナイフを逆手に構え、獲物をしっかりと見据えたあと、首に深く突き立てる。吹き出す血と同時に、命が失われていく感触がした。このときの感触は、たぶん一生忘れることはできないだろう。
また場面が変わった。視界一面に写るのは、大きく開けられた、鋭い牙の生えそろう巨大な獲物の口の中だ。
これは、おそらく初めて単独の狩りに成功したときの場面だろう。
殺意を持って襲い来る獲物を軽く槍でいなしたあと、弓に持ち替えてその脚を射貫く。すれ違いざまに倒れ込んだ獲物が起き上がるときには、すでに自分の放った矢が獲物の眉間に突き刺さっていた。
「良し!」
眉間に矢が突き刺さったまま、獲物はなおも俺を見据える。そして、頭の蒼い角が輝くと、周囲の空間がわずかに歪んだ。
神獣が持つ特異な能力のことはもちろん聞いていたが、実際にこれだけの規模のものを目にしたことはなかった。
蒼く光る角を持つ神獣は、超自然的な能力をひとつだけ有している。それはまるで天上の神から与えられたもののような、世界の理から外れたものであるという。
人はその能力に恐れと畏れを込め、神から授けられし恩恵……すなわち
追い詰められた獲物の最後のあがきだ。この瞬間が最も《狩人》が死ぬことが多いということも、見習い時代に飽きるほど聞いた。
神獣が
しかし、そうはならなかった。一歩後ろに下がったはずが、わずかに獲物との距離が近づいている。
目の前の事実に一瞬うろたえたが、すぐに獲物の方を見る。弱り切った獲物は、その場から動いてはいない。おそらく、周囲の歪んだ空間に何か
「なるほど…そういうことか」
空間の内部に残った残骸が球状に回転する様を見て、
あれは〝泡〟だ。
周囲の色と同化した、見えない泡。それが近づくものを吸い込み、破壊している。
石をも砕く泡の威力は凄まじいが、射程距離はそれほど長くはない。さらによく見ると、一定量の物質を吸い込んだ泡はスピードが落ちているようだ。
つまり、泡に吸い込める物質の量は限られている。
ならば、と。
周囲に散らばる、なるべく大きな石をかき集め、獲物の右側に薄っすらと輪郭だけが浮かぶ泡に連続で放り投げる。複数の石を取り込んだ泡は、激しい音を立てて石を石片へと変えたが、動きが鈍くなった。
いくつかの泡の動きが鈍くなり、泡の結界に少しの隙間が空いた。そうして手薄になった獲物の右方向へと潜り込む。泡のない隙間はわずかだったが、矢を通すには十分だ。
「そこ!」
「ビュン」という風切り音を鳴らしながら飛んだ矢は獲物の側頭部へと刺さり、ついに獲物は動かなくなった。
狩りの最中は考える余裕もなかったが、獲物はどうやらC級に相当する獲物だったらしい。
神獣には、《狩人》ギルドによって厳格なランク付けがなされている。
新人の《狩人》は自分の師匠である上級《狩人》に引率されながら狩りに出るが、一人で獲物を討伐すると、その獲物の等級と等しい狩猟ランクへと昇格できる。そうして、より高度な任務を請け負うことができるようになっていくのだ。
C級の《狩人》であれば、すでに一人前といってもいい。
その日ギルドに帰ると、一日中お祭り騒ぎだった。
なにせわずか十一歳。史上最年少のC級《狩人》の誕生だ。同じ《狩人》だけでなく、街の人々もおおいに賞賛の声を浴びせた。
俺の見習い時代の恩師であるホーキンス先生は、号泣しながら俺を肩車して、一日中ギルドを駆け回っていたほどだ。その様子に、先輩《狩人》であるユーリさんが生暖かい視線を向けていたのも覚えている。
それから周りの人々は、俺のことを〝神童〟なんて呼んで持てはやした。
俺は当時それを……当然だと思っていた。父さんや姉さんから教わったことを、教わったままにこなす。それで得た賞賛は、自分ではなくウォルフ家に向けられたもので、自分はそれに応えて当然なのだ、と。
今度は……ああ、まあ、そうなるよな。
何度も、何度も、何度も夢に見た場面だ。
B級《狩人》である姉さんといっしょに、狩りに出たときの夢。天気だってハッキリと覚えている。この日は雨だった。濃い、瘴気の雨。
あんな行動に出たのは、とてもくだらない理由からだった。C級になった俺をいつまでも新米扱いする姉さんに、少しだけいいところを見せようと思ったんだ。
姉さんが眠っている間に獲物の偵察を済ませて、俺も役に立つんだってところを見せる。それだけが目的の、ちょっとした思い付き。
それがまさか、あんなことになるなんて、思ってもみなかった。
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