夢②
「やめようよぉ……。アイーシャ姉さんが戻ってくるのを待ったほうがいいよぉ」
小さな身体を震わせながら怯えた声で俺を止める女の子は、後輩であるD級《狩人》のシェロ。俺より三歳ほど年上だが、《狩人》になったのは最近だ。
「うるさいな。僕一人で行くからキミはここで待ってなよ」
「で、でもぉ……」
今にも泣きそうなシェロを振り切って、俺はその場を離れた。
今思い返してみれば、姉さんがこのシェロとC級《狩人》である俺を同列に、半人前として扱っていたのが気に入らなかったのかもしれない。
事前情報では、その日の狩りの獲物はB級相当のはずだった。だから、偵察くらいは余裕だろうと、タカをくくっていた。
獲物の残した足跡や捕食痕、それと、食事の直後だったのだろう、わずかな血の匂いを辿って、獲物の寝床を見つけ出した。
後から思えば、あのとき、あの獲物は明らかに俺を誘いだしていた。冷静になれば気付けたはずの違和感を見逃していたのは……やはり〝神童〟なんて呼ばれて、少しは己惚れていたのかもしれない。
だから、そのヘマのせいで俺が無惨に食い殺されたとしても、それは本来《狩人》として自業自得で……そのほうがよかったとさえ思う。でも、そうはならなかった。
俺が追っていた獲物は、群れの尖兵だった。わざと痕跡を残し、哀れな獲物をねぐらに誘い込む役目を負った神獣だ。神獣が群れを作ることは知っていたが、見たのはそれが初めてだった。
誘い込まれた先にいたのは、ひと目でA級とわかる威圧感を放つ、神獣たちの群れ。
「シュウウ」と、微かに息を吐くような唸り声を上げて、じっと獲物たちが俺を品定めしている。その異様な圧迫感のせいで、最初の一匹が大口を開けて喰らいつくまで、俺はその場から動くことも、何かを考えることさえもできなかった。
「メル!」
初めて聞く、姉さんの大声だった。ふだんは何事にも冷静で寡黙な姉さんも、こんな声を出すことがあるんだなぁと、呑気にも考えていた覚えがある。
姉さんに突き飛ばされたことで、初めて意識が戻った。それと同時に、姉さんの右腕に神獣の牙が食い込むところが見えた。
「?」
何も言葉らしい言葉を発することもできず、俺はただ目の前の光景を見守っていた。姉さんの右腕が食いちぎられ、顔にその血を浴びるまで。
そこでようやく、状況が理解できた。
次にやってきたのは、圧倒的な恐怖だ。初めて狩られる側に立つという、恐怖。
片腕を失いながら、獲物に立ち向かう姉さんを見ても、加勢しようとはとても思えなかった。
そして俺は、身を翻すと…その場から逃げた。
ただ、ひたすらに逃げた。
助けを呼ぶためでもなく、ただその場にいたくない一心で、逃げた。
何もかもを振り切るように、訳も分からず泣きながら…逃げたんだ。
気付いたときには、俺は《狩人》ギルドに帰ってきていた。どうやって逃げていったのかは、まるで覚えていない。涙と返り血に塗れた姿を見て、心配そうに聞いてくるユーリさんの声も、何もかもから耳を塞いで、ギルドの二階に逃げ込むと、そのまま眠ってしまった。
あとから聞いた話だが、部屋に籠ってから数週間、俺は何にも答えず、魂が抜けたような状態で部屋でうずくまっていたらしい。
なんにせよ、そのときようやく実感できた。自分が何も特別な存在ではないということに。特別なのは、俺じゃなかった。
一流の《狩人》でも、まして〝神童〟なんて呼ばれるべき人間でもない。ただ、恐怖に怯え、逃げるだけの哀れな獲物だ。
そこから俺は自分にふさわしい、分相応な生き方をしようと…そう決めた。
だんだん、意識がハッキリしてきた。なんていう悪夢だ。
夢現の状態から意識が戻ってくるにつれて、全身の感覚が戻ってきた。そこで…唐突に腹部に違和感を覚えた。腹に手をやると、なにかヌメっとしたような、水っぽい感触がある。
「なんだ?」
違和感の正体が分かると同時に、自分の腹に大きく、ポッカリと空洞が空いていることに気付いた。手にこびりついたのは、腹から流れる自分の血だ。
不思議なほど、痛みはない。ただ死が目前に迫っているということだけが、感覚的に、他人事のように理解できた。
うん、つまり今まで見ていたのは…夢じゃないな。
走馬灯だ。
……ヤバくない?
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