第21話
人格達の事を変な風に捉えている人達がいます。
『私』の事を人格達の操り人形だと言う人達がいます。私が人格達がコロコロ入れ替わる、入れ替わりが激しいと言うと酷い時には消耗品のような使い捨てだと言う人達がいます。
何言ってんだ!?分かったような口聞くな!!
と怒鳴りたい時が多々あります。
人格達は『私』にとって使い捨ての便利な者達ではなく「なくてはならない者達」です。
人格達がいなくては『私』は成り立ちません。
確かに主人格である『私』が中心ですが、『私』が表に出るのは1人でいる時だけです。主に表に出ているのは他の人格達です。そして『私』より差別や偏見、心無い言葉に晒されているのは大体他の人格達です。人格達にも心があります。考える力があります。人格達が何を思い、何を考え役割を果たしているのか今一度考えてみて頂けないでしょうか?
人格達は『私』では対処出来ない事をやってくれています。『私』が耐えられないさまざま辛い場面に
何度立ち会った事でしょう。今までも今も差別や偏見、心無い言葉に幾度晒されている事でしょう。
『私』にとって他の人格達は大切な存在です。たとえ身体に多大なる負担がかかろうとも、さまざまな症状を抱えているとしてもいなくてはならない存在です。
他の人格達がいてこその『私』なんです。
使い捨てじゃない!操り人形じゃない!
何も知らないでそんな風に言うな!!
…と『私』は常に思っています。滅多に怒る事は無いのですが人格達について差別や偏見、心無い言葉に晒される時はそう思っています。
でも両親は私の頭の中から人格達が全員いなくなってこそ多重人格障害の完治だと信じて疑いません。
そうなると私は死んでしまうのに…。
精神的にも物理的にも死んでしまうのに…。
それくらいこの世界は優しくないのに。
私の思う理想の形は「他の人格達との共存」です。
消えてしまわれては困るのです。いなくなっては困るのです。
多重人格障害の方々にとってどのような形が理想的なのかは人それぞれですが、「共存」こそが私の理想の形です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます