第62話 三者三様




 刑部行雄は、最内を3番手で第4コーナーを回っている。

 この第4コーナーを回れば、いよいよ最後の直線。

 勝利を目指す各馬が動き出す頃合いだ。


 斜め前、1馬身程前は柴端しばはた雅人まさとの騎乗する英国馬、ジュディズハイツ。

 第3コーナーで外から仕掛けたマシロデュレンに先頭を譲っている。

 柴端のジュディズハイツは直線の追い比べに備えてあえて控えたように見せていたが、刑部は同期の柴端の、その芝居は見抜いている。


 柴端の馬、控えたように見せているが、実際は足色が怪しくなってるな、力が残っていたらそのままハナは譲らないだろうに。

 お互いベテランと呼ばれる年齢になって周りが一目置く存在感を放つようになっているから、周りが何かあるだろうと勝手に思う、それを利用して奥の手があると思わせようとしている。

 相変わらず小細工は下手な男だ。

 昔から変わらない。ひたすら一途に馬を追う力が同期の中でも突出していてそれを磨き続けていた。そんな不器用な一途さに支えられた柴端雅人の迫力のある追い、それが怖いんだ。

 小細工をするお前は怖くないぞ、柴端。


 刑部がそう考え、アグリキャップを柴端のジュディズハイツに並びかけさせようと思い手綱を動かそうとした瞬間、海老沢が先にスズエレパードをジュディズハイツと内ラチの間、これから刑部がアグリキャップを進入させようとした場所に捻じ込む動きを見せた。


 刑部は一瞬迷った。

 スズエレパードを先に行かせてやるか、それとも意地でもそのポジションを譲らずにアグリキャップを先に捻じ込むか。

 外を見るとC.マクレーンのウィズザバトラーと南見のタマナクロスも上がって来る動きを見せている。

 直線を向いた時にタマナクロスよりも前にいること、それも出来れば3馬身のリードを保った上で、と考えていた刑部はここでスズエレパードを先に行かせてしまえば当初描いていたプランを遂行することは出来なくなる。


 だが、刑部の理ではなくカンが囁く。

 ここは待て、と。


 刑部は海老沢とスズエレパードを先に行かせる。

 だがアグリキャップの追走スピードは緩めず、最内に入ったスズエレパードの真後ろに付く。

 スズエレパードの蹴り上げる後脚にアグリキャップの伸ばす前脚が当たるか当たらないかのところまで接近していく。

 アメリカ仕込みの腰を上げ上半身をアグリキャップの背中と平行に保った姿勢の刑部のモンキー乗り。

 伏せた姿勢の刑部の顔と着けているゴーグルに、スズエレパードの蹴り上げる芝と砂塵が物凄い勢いで当たり、ほんのわずかの量だが砂塵がゴーグルの隙間から入って来る。

 だが、刑部は耐える。


 僕が受ける砂塵なんて、アグリキャップが被っている砂塵に比べれば大したことは無い。

 下手したら前の馬スズエレパードの後脚で蹴り上げられかねない位置まで頭を沈み込ませて走ってるアグリキャップは、僕以上に勢いのついた砂塵を被っている。

 そんな辛い指示に嫌がる素振りもせず黙って耐えて必死で走っているアグリキャップ。

 僕がそうさせているんだ。

 これくらいは僕も耐えるのが当然だろう。


 あと僅かで直線になる。

 第4コーナーは途中から上り勾配に替わっている。

 第4コーナーを出て直線に入っても、200mは登り勾配が続く。

 本当の全力は、坂を上り切ってから。平坦になった残り300mを切ってからだ。

 外を回るC.マクレーンのウィズザバトラーと南見のタマナクロスも、今は外で横に並んでいるように見えるが、陸上のトラック競技のように内回りの分だけこっちが有利だ。


 第4コーナーを回り切り、いよいよ直線に向く。

 海老沢のスズエレパードは内ラチ沿いを勢いよく駆け上がり、その横で並ぶジュディズハイツを僅かずつジリジリ離しながら、先頭のマシロデュレンを伺う。

 刑部とアグリキャップはそのスズエレパードの真後ろで、柴端のジュディズハイツの尻の横くらいに頭が来ている。

 今からジュディズハイツの外に持ち出すことは出来ない。

 もし柴端のジュディズハイツに脚が残っていたら、ジュディズハイツとスズエレパードが壁となって抜け出すことはできない進路だ。

 刑部はスズエレパードが抜け出すことに賭けた。




 南見活実は第4コーナーの出口で内のウィズザバトラーにタマナクロスが当てられて外に振られたことに、更なる闘志を搔き立てられる。


 そんなんで、機を制したつもりかい!

 タマナクロスの底力、舐めんなよ、アメリカ野郎!


 南見活実は直線に向くと、また少しづつタマナクロスを前へと押す。

 先頭のマシロデュレンまでは2馬身差。

 十分過ぎるほどの射程圏内。

 タマナクロスの横、やや前の位置にウィズザバトラー。

 直線の傾斜を上る勢いはタマナクロスが上だ。

 直線を上り切る前にウィズザバトラーは捉えられる。

 ジリッ、ジリッとタマナクロスはウィズザバトラーににじり寄る。

 まだ南見活実はタマナクロスを全力で追い出している訳ではない。

 府中の直線、坂を上り切ってから全力で追う。

 僅かな傾斜だが上りの負荷から解放されたタマナクロスの末脚は、どの馬も敵わない。南見活実はそう信じてタマナクロスを押す。


 タマナクロスがあと僅かで並びそうだったウィズザバトラーが、また一段と押し上げてタマナクロスを抜かせない。

 鞍上の騎手はタマナクロスに南見がしているようにウィズザバトラーの首元を押して加速をつけている。


 華奢な優男に負けられるか!


 南見はウィズザバトラーの騎手に負けじとタマナクロスを押す。


「剛腕」の異名は伊達じゃない!




 まあ、その程度じゃ諦めないって思ってたけどね。


 C.マクレーンはウィズザバトラーを追いながら右後方に近づくタマナクロスに一瞬目をやり位置を確認する。

 第4コーナー出口でウィズザバトラーを軽く当てタマナクロスを外に振ったC.マクレーンの狙いはタマナクロスを後退させることや、騎手の南見活実とタマナクロスの闘志を挫くことではない。

 ウィズザバトラーからタマナクロスを離すことだった。


 狙い通り、馬体一つ分くらいは横に離れてくれたね。


 馬体を併せての追い比べに持ち込まれると、タマナクロスの勝負根性が発揮されるシチュエーションになる。

 C.マクレーンはそのシチュエーションは避けたかった。


 ここでタマナクロスの騎手が鞭を入れて馬体を併せに来たらちょっと困るけど、そうはしないでおくれよ、だってまだ残りは500ⅿ近くあるしね。

 仕掛けるとしても坂を上り切ってからじゃないと、いくらなんでも脚が持たないだろう。

 そう判断しておくれよ、ミスター。


 C.マクレーンはタマナクロスから目を離し、内の状況を見る。


 C.マクレーンの駆るウィズザバトラーの内は、ウィズザバトラーよりも半馬身程前に出ているマイビッグバディ。その内にマイビッグバディよりも半馬身程前に出ているマシロデュレンが先頭で、マシロデュレンの内に4分の3馬身遅れでジュディズハイツ、更に内にジュディズハイツから半馬身前に出たスズエレパードと、その真後ろにピッタリつけている青色の帽子と勝負服の刑部行雄の馬。


 ユキオ、いくら前に行きたいからってそんなに前の馬にくっつけちゃ、馬が走る気無くしちゃうよ?

 それに、それじゃあ内から出られないままじゃないのかな、ユキオらしくもない。

 まあでも、ユキオの判断を狂わせることが上手く出来てたってことなのかな。


 内の様子を確認したC.マクレーンの目の前で、マイビッグバディのロメオ騎手がマイビッグバディに鞭を入れ、マシロデュレンを抜いて先頭に躍り出ようとする。


 あーあ、こんなに早く仕掛けるのかい。

 幾らなんでも終いまで持たないと思うけどなあ。


 マイビッグバディに対して、マシロデュレンも鞍上の村元が必死に追って、簡単には抜かせない。


 ウイズザバトラーの外からは、タマナクロスが馬体以上の重厚感を漂わせて再び半馬身差まで迫ってきている。


 OK、ミスター、先手は譲らないよ。


 C.マクレーンはウィズザバトラーの首元を、両手で持った手綱ごとリズミカルに前に押す。

 ウィズザバトラーはC.マクレーンに押され、ククッとまた伸びて、タマナクロスから更に逃げる。

 そして、徐々にマイビッグバディに並んでいく。


 C.マクレーンの外後方でピシッと鞭の音が響く。


 ミスター、とうとう我慢できずに鞭を入れたね。

 でも、簡単には交わせないよ。

 この子ウィズザバトラー、勝ちたい気持ちは十分持ってる。

 まだまだきっと、底力は残ってるはずだ。


 残り400ⅿのハロン棒を通過する。

 ウィズザバトラーは完全にマイビッグバディに並んだ。

 そしてタマナクロスもウィズザバトラーに並びかけようとしている。


 もう少し前に!


 ここでC.マクレーンは、初めて鞭を使う。

 だが、ウィズザバトラーを力いっぱい叩くのではなく、ウィズザバトラーに鞭を見せ、肩を軽くポンと叩いた。


 ウィズザバトラーは、それに応えてまた僅かだが加速した。

 少しづつ、内のマイビッグバディよりも前に出て行く。

 だが、タマナクロスも伸びて来る。




 南見活実は斜め前のウィズザバトラーを操る騎手に対し、掴みどころの無い得体の知れなさを感じていた。


 こちらの意図を先読みしているのか、タマナクロスと馬体を併せることを徹底的に避けている。

 ここだと思い動いたポイントで、一つ一つ意図を上手く外され避けられている感覚。

 まるでこちらが掴みに行っているのに、上手く手の中からつるりと体をくねらせて逃げる魚のようだ。


 だが、もう逃さない。

 ここでタマナクロスを追い出してでも捕まえる。

 馬体を併せるのを徹底的に避けているということは、それをされると弱いということだ。


 南見はあと少しで坂を上り切るというところでタマナクロスに鞭を入れた。

 鞭に応えてタマナクロスは加速する。

 一完歩ごとにウィズザバトラーに迫っていく。


 鞭の音に気付いたのか、ウィズザバトラーの騎手も見せ鞭と肩鞭をウィズザバトラーに入れて更に逃げようとする。


 後方からは追走して来た馬に鞭を入れる音が聞こえる。

 トミービンか。

 だが、遅れて追い出したくらいで簡単に抜かれるほどタマナクロスは柔な馬じゃない!


 前のウィズザバトラーは更に前に出て、その隣のマイビッグバディよりも半馬身ほど前に出ている。

 中の様子はわからないが、おそらくウィズザバトラーを抜き去れば先頭に立つ。


 残り400ⅿのハロン棒を通過する。


 もう少し、もう少しでウィズザバトラーに並べる。

 並んだら、馬体を併せて競り落としてやる!




 スズエレパードの真後ろにピタリとつけて直線の坂を上っている刑部とアグリキャップ。

 横に並ぶ柴端雅人のジュディズハイツは、柴端が何発も右から鞭を入れ、刑部の予想よりも粘っている。

 前を行くスズエレパードは、騎手の海老沢が鞭を2発入れ、ジュディズハイツよりも1馬身前に抜けており、まだ馬場中央で先頭に立っているマシロデュレンをあと僅かで抜きそうな勢いだ。


 だが、刑部が大外に目をやると、C.マクレーンのウィズザバトラーと、半馬身遅れた南見のタマナクロスの脚色がいい。

 間もなくアグリキャップに並んでくるだろう。


 スズエレパードとジュディズハイツの間、開きそうで開かない隙間。


 だが、刑部に焦りはなかった。

 Take it easy。

 なるようになる。

 なった時に瞬時に反応しろ。


 刑部はその時を神経を張り巡らせて待つ。














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