第61話 クリス=マクレーン




 C.マクレーンは、騎乗しているウィズザバトラーの走りを確認しながらジャパンカップを走っている。


 何せ昨日成田に着いて、ウィズザバトラーに跨ったのは今朝の軽めの調教が初めてだったからだ。

 フランキー調教師から送られてきた映像でウィズザバトラーの走りは何度か見てはいたが、実際に乗ってみないことには実際のところはわからない。


 ただ、ここまでウィズザバトラーは追走に苦労することはなく、軽快に東京競馬場のターフを蹴っている。


 フランキー調教師が見込んだように、東京の芝のターフはこの馬に合っているんだな。それほど強い指示をしなくても反応がいい。気分よく走れてる。


 馬が気分よく走れているのはC.マクレーンにとっては何よりも大事なことだ。

 そして、気分よく走れている時に、騎手の指示に従える馬だということも同時にとても大事なことだ。


 走ることが嫌いな馬は当然競走馬にはなることができない。

 そして人の指示に従わない馬も競走馬になることはできない。


 競走馬になっている時点である程度どちらも満たしてはいるのだが、中にはただただ化け物じみた他の馬に突出した競争能力だけで辛うじて競走馬として成り立っている馬というのも存在する。過去の名馬と呼ばれる馬の中には、そうした「ディオメーデースの人喰い馬」のような馬もいる。

 また、そこまでではなくとも気分よく走れる条件がかなり限定される馬と言うのもいる。

 顔に何か当たると途端に走る気が無くなる馬は、前に馬がいて蹴り上げた土や泥が当たると全く走らない。

 物音に敏感で、観客の声が耳に入ると怖ろしくなり騎手の指示を聞かずに暴走する馬もいる。


 ウィズザバトラーは、あまり前の馬の飛ばす芝や土を被るのは好きではないようだった。

 スタート直後に出鞭を飛ばし前に出ていく柴端しばはた雅人まさとのジュディズハイツの蹴り上げる芝交じりの砂塵を被った時に、ほんの一瞬僅かだが怯む様子を見せる。

 ただ、好きではないが、騎手の指示に逆らってまで自分ウィズザバトラーのエゴを出し競走を止めてしまうとまではいかずに我慢することは出来ている。


 いい子だね。なら、大外を行こうか。


 C.マクレーンは多少でもウィズザバトラーを気分よく走らせるために、中に寄せるのではなく前に馬のいない外を走らせることを選んだ。


 隣の枠の英国馬ムーンラウドネスは、ゲートの出が悪かったため既に後方となっている。

 全体に前に、そして内に寄っているため、ウィズザバトラーはトミービンの横に付く形となった。


 刑部行雄とその騎乗馬は、トミービンの内側斜め前にいて、更に前に出て行こうとしている。


 ユキオはあそこか。

 タマナクロスはどこかな?


 C.マクレーンが気にするタマナクロスは、C.マクレーンの乗るウィズザバトラーから1馬身程空けた最後方で、ムーンマッドネスらと3頭並んでいる。


 騎手のミナミは後方待機を選んだようだね。しばらくはこの位置で様子を見ようかな。

 先頭を伺う馬は多いけど、それ程ペースは速くないみたいだ。

 とりあえず1600mのスタート地点だった、バックストレッチに出るまではこのままで行こう。


 C.マクレーンはウィズザバトラーと共に第1コーナーを回りながらそう考える。


 今日の第8レースで芝コース1600mのレースに乗ったC.マクレーンは、刑部行雄にプレッシャーをかけるだけではなく、実際の走り方も刑部を見て参考にしている。


 東京競馬場はアメリカの競馬場よりも1周の距離が長くてコーナー角度もきつくないから、アメリカで乗る時みたいに無理に前に出さなくてもある程度位置取りの融通が利くみたいだね。

 終いの長い直線で、どれだけ馬を全力で走らせるかって勝負になるから、直線入口で先頭から3馬身くらい後ろなら行けるはず。

 この後バックストレッチは緩く下った後で少し上りになって、第3コーナーの途中くらいまでまた緩く下るんだったな。

 1600mのレースの時、ユキオはその高低差を上手く使って馬を楽に走らせていたから、参考にさせてもらおう。

 バックストレッチの下りで少しだけ勢いつけて楽に上りを上らせてやって、第3コーナーまでの下りでまた勢いつけて下る。

 ホームストレッチの前のちょっとした上りをどれだけ楽に上らせるかだね。

 終いの脚をどれだけ出せるのか、まだよく判らないけど、これだけ軽く追走できてるウィズザバトラーなら、けっこう伸びるんじゃないかな?

 伸びる力が無いなら仕方ないけどね。

 Take it easy。


 C.マクレーンは第2コーナーを抜けバックストレッチに出ると、周囲の流れに合わせ少しペースを上げる。

 全体の隊形は変わらないが、ペースをコントロールしている柴端雅人のジュディズハイツとの差は徐々に詰まる。

 内に目をやると、半馬身ほど前に出ているトミービンのリルド騎手が上半身を起こし気味にして手綱を操るヨーロッパ式の乗り方で首を上下に動かして走るトミービンを操っている。その内には同じ米国馬の1枠1番セイラムムーブ、更に内にはゴールデンキューと同じような位置に4頭が並んで走っている。

 更に遅れて内に西ドイツのアードラーが上ろうとしているように見えるが、鞍上のレンドルト騎手が手綱を動かしても、なかなか前に出て行けていない。


 西ドイツの馬、なかなか東京競馬場ここのターフに苦戦してるみたいだなあ。

 まあ欧州の、力の要る馬場で走ってる馬だと東京競馬場のターフは固すぎて上手く力を伝えられないだろうな。

 トミービンは上手く対応できてるように見える。けど、コンディションはベストじゃないみたいだね、もうけっこう発汗してる。

 リルドも僕らアメリカの騎手みたいに空気の抵抗を小さくするように背を屈めて乗ればもう少しトミービンも楽だろうに。

 だけど、まあ、僕とウィズザバトラーには運が向いてるね。


 そう言えばユキオの馬、どこかな。

 C.マクレーンが青のシンプルな勝負服を探すと、先頭から3頭目の最内を走っている。

 前に付けることにしたのか、ユキオ。

 でもその馬、資料として何度も見返したオールカマーのビデオじゃ先行なんてしてなかっただろうに。

 勝算はあるのかい?

 ユキオにちょっとプレッシャーが残ってて、判断が少しズレててくれるといいんだけど。


 バックストレッチの上りの頂点に達したウィズザバトラーを、C.マクレーンは下る勢いを利用して徐々に前に進出させる。


 トミービンは凱旋門賞の時みたいに直線最後で終いの脚に賭けるつもりみたいだけど、こっちは先に前に行っておく。

 終いの脚がどれくらいか、こっちウィズザバトラーは未知数だからね。


 第3コーナーに入りながらトミービンとリルド騎手を見ながらそう考えたC.マクレーンだが、ウィズザバトラーの更に外から上がって来る足音を聞く。

 僅かにそちらを振り向くと、いつの間にかタマナクロスがウィズザバトラーの1馬身程後方の外を上がってきており、ウィズザバトラーに並びかける勢いだ。


 ミナミ、外に来たのか。

 内を縫う器用さを持ってるんじゃないの?

 嫌だなあ、その馬の勝負根性は一番要注意なんだよ。


 ウィズザバトラーは、タマナクロスがウィズザバトラーに並びかけようとするタイミングで機先を制しスッとウィズザバトラーを前に出し、更に上がる。


 トミービンを交わし、第4コーナーで3番手のマイビッグバディの後方外につける。


 タマナクロスもウィズザバトラーを外から被せるように上がってきている。


 しょうがないな、近いからね。


 C.マクレーンはウィズザバトラーを僅かに外に振った。

 ウィズザバトラーに被せるように外を走っていたタマナクロスにウィズザバトラーは軽く接触し、タマナクロスの進路は更に外に膨らんだ。


 悪いね、アメリカじゃこれが普通なんだよ。

 

 C.マクレーンは心の中でそう呟きながら、上りに勾配に替わった第4コーナー出口を直線に向けてウィズザバトラーを追い出した。





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