第53話 天才
東京競馬場の騎手調整ルームの食堂で、刑部行雄は朝食を摂っていた。
今日、刑部はメインレースのジャパンカップを含め、7レースに騎乗する。
レースに乗った騎乗手当と調教の調教手当、それとレースの賞金からの5%の進上金がフリー騎手の収入の殆どであるため、騎乗数が多いことは結構なことであった。
ただ、さすがに騎乗依頼を受けすぎの感はあり、本来なら依頼されていたジャパンカップ後に行われる4歳900万下の条件戦は、エージェントの松林から調教師に相談して貰い、必ず次戦は刑部が乗るから、との条件で2年目の
先程、海老間が刑部に礼を言いに訪れていた。
恐縮している海老間に、刑部はこういうチャンスで少しでも順位を上に持って来て、馬主と調教師にいい印象を持ってもらうのが大事だから、とあっさりと伝えた。
騎乗も体力勝負である。
しっかりとエネルギーを蓄えておかないと、7鞍はこなせない。
体重に関しては、刑部は騎手生活22年で完全にコントロールできている。
本日刑部が騎乗する7レースのうち一番最初の乗鞍は、2Rの三歳未勝利。
10時30分前後の発走なので、前検量のため検量室には9時20分~9時40分の間に行かねばならない。
朝食後、少し時間があるので、ジャパンカップのためにもう一度出走馬の資料を確認しておこうと刑部は考えていた。
騎乗が始まってしまうと、あとは資料を見返す時間など、今日は取れない。
刑部としては、久須美調教師にああは言ったものの、その後エージェントの松林が集めてくれた資料を確認していくうちに、2強のうちトミービンの出来は完調ではないのではないか、と確信に近いものを得ていた。
だからと言って楽観できるものでもないが、追い切りの映像を見る限りでは日本の馬が太刀打ち出来ない異次元の走りとまでは行っていない。
ただ、刑部には新たな懸念があった。
それは、完全にメディアが伏兵として扱っている1頭の米国馬。
米国本国での実績を見ても、他の2頭の米国馬よりも1枚どころか2枚も3枚も格落ちの実績で、未だ3勝しか挙げていない。
調教の様子を見ると、日本に来てからはほとんど全力で追っておらず、映像もキャンター程度で走っているものが殆ど。
だが、そのキャンターは非常に軽やかな脚取りであり、他の外国馬が東京競馬場の固い馬場での調整に苦心しているのを考えると、東京競馬場への適正は非常に高いように刑部には感じられる。
そんな馬の鞍上が、刑部にとっては恩人とも言える名手なのが、刑部には一際不気味に感じられた。
『ユキオ! 見つけた!』
朝食を乗せたトレイを持ち、刑部の座っているテーブルに相席に座る若い男。
その言葉は英語だ。
『ユキオらしくないじゃない、朝の調教に居ないなんてさ。あれだけ馬に乗るのが好きだったのに、日本でのユキオは違ってるのかい?』
朝食を食べ終わった刑部は席を立とうとしていたところだったが、その若い男の顔を見ると、表情が緩み、また席に座り直す。
『クリス……久しぶり。まさか日本で会えるとは思ってなかった』
刑部も英語で返す。刑部はかれこれ16年程米国や欧州の国々の競馬場を回り、海外の競馬を吸収している。当然英語にも堪能になっている。
『僕もだよ、ユキオ。けっこう急だったからね、フランキー調教師から話が来たのは。でも日本には一度来てみたいと思ってたからさ、こりゃチャンスだ! って思って飛びついたのさ』
クリスと呼ばれた若い男は朝食を忙しなく食べながら、刑部との会話を続ける。
『いつ頃こっちに?』
『昨日だよ。いやー、結構長旅だったけどね。でも、馬の鞍には長時間座れないけど飛行機のシートだったらいくら座っててもフカフカだから苦にならなかったよ。
こっちには再来週くらいまでいるんだ。
その間に日本の馬にも乗る機会が何度もあるから楽しみだよ。
今日もユキオと一緒のレース、メインのジャパンカップも含めて3レースあるからね。
ユキオと乗れるなんて久しぶりだ』
『本当に久しぶりだ。一緒にサンタアニタパークで乗ったのはもう4年前?』
『いや、もうちょっと前だよ。5年? 6年? それくらい』
『なかなか勝てなかった僕に、君が贈ってくれた言葉、今では僕の座右の銘みたいになってるよ。
❝Take it easy❞
あんまり言うもんだから、マスコミが僕の代名詞みたいに報道してる』
『ハハハッ、それは傑作だね。
でも、真理でしょ? 競馬でも人生でも』
『ああ、本当に。君にその言葉を贈ってもらったおかげで、肩肘張らずに自然体で行こうって思えたんだ。
おかげで日本国外での初勝利も挙げる事が出来たし、日本でもトリプルクラウンを取った馬とも巡り合えたよ』
『いや、それはユキオの努力が実を結んだんだよ。
ところでユキオが今日のメインで乗る馬、凄くいいね。
日本の馬の中では1,2を争うんじゃないの?』
『いや、どうかな。多分それ程の人気にはならないと思うけど』
『どうして? あんなにいい馬なのに』
『うーん、日本にはまあ色々とあるんだよ、アメリカとは違って』
刑部は言葉に詰まった。
日本の中央競馬会と各地方の公営競馬との関係を、どう説明したらいいのか難しい。
アメリカでは、各競馬場がそれぞれ独立して運営を行っており、いわば公営競馬場が沢山全土に散らばっているようなものだ。
そして厩舎や馬も各競馬場に所属している。
ただ、他の競馬場主催のレースにエントリーすることの制限は一切ない。出走頭数が限られているため、賞金額などで除外されることはあるが、基本は西海岸の競馬場の馬が東海岸のレースに出ても全く問題はない。
ただ、移動の費用などがかかるため、所属している競馬場や近隣の競馬場のレースを使うことが多いというだけだ。
日本の中央競馬会と公営競馬のような、ごく限定されたレースにしか互いの馬が出走できない状況というのは、アメリカ人のクリスにとっては想像も出来ない無意味な障壁だろう。
『……まあよその国のことだからね。
あんまり色々と口を出すのは良くないことだろうから、いいよ、ユキオ、気にしないで。
とにかく、ユキオの乗る馬は良い馬だ、って僕が言いたかったってことだけわかってほしいんだ』
『ありがとう、クリス。
ところでクリスの乗る馬、どうなんだい? 他のアメリカの馬よりも実績は無いみたいだけど』
『うーん、そうだね、確かにレッドスミスハンデキャップを勝っただけだと実績不足に見えるかな。
でもマンノウォーステークスでサンシャインフォーエヴァーの僅差の2着もあるし、多分力が無い訳じゃないと思うよ』
クリスはそう言うと、残りの朝食を口に一気に詰め込んで牛乳で流し込んだ。
『フランキー調教師は2回ジャパンカップに馬を出しているけど、勝ててないんだ。
そんなフランキー調教師がわざわざ今回出してきたってのは多分、あの馬には日本の馬場が合うってピンと来たんじゃないかなあ。
僕は日本に来てみたかったから依頼を受けたけど、アメリカ本国では一度も乗ったことがないんだ。
昨日初めて乗ってみたけど、フランキー調教師の勘はいいところを突いているんじゃないかな。けっこういいところまで行けそうな気はするね。
まあでも、結局なるようにしかならないけどね。
それこそ❝Take it easy❞だね』
そう言うとクリスは空のトレイを持って立ちあがった。
『じゃあね、ユキオ、またレースでね。
僕はレースの前に、日本の大きいお風呂入って一度リラックスしたいからもう行くね』
そう言って去っていくクリス。
刑部は、まるで嵐みたいだったな、と苦笑する。
刑部もトレイを戻し、自分の割り当てられた部屋に戻る。
クリスの話からわかったこともある。
やはり、ウィズザバトラーは伏兵などではない。
現在全米ナンバーワンの名手、クリス=マクレーンが選んだ馬なのだ。
相当な強敵であると言って良い。
クリス=マクレーン。
刑部の記憶は初めて出会った年数についてはあやふやになっていたが、6年前にサンタアニタパーク競馬場へ刑部が海外武者修行に行った時に、サンタアニタパークを本拠地としているクリス=マクレーンと知り合った。
年齢は刑部の方が上。今年、1988年の年齢で言えば刑部は40歳で、クリス=マクレーンは33歳で7歳違いである。
クリスは、日本からわざわざアメリカまで競馬についての知識を吸収しようとやってきた年上の日本人に好感を持ってくれたようで、持ち前の陽気な性格もあって色々と話してくれた。
そして、一緒のレースで乗る度に、刑部に改めて「騎乗の天才」ぶりを見せつけていた。
調教では動きの鈍い馬が、レースでクリス=マクレーンが跨ると、同じ馬なのか、と思うくらいに良く走った。
刑部は、その騎乗フォームを真似し、ものにしようと努力した。
また、鞭を両手で持ち替える技術も学んだ。
努力のおかげで刑部はそれらの技術を身につけ、結果として日本で初めてアメリカ式の騎乗フォームを取り入れた騎手となった。
だが、どうしてもクリス=マクレーンが乗った馬が見違えたように走るのか、それだけはわからなかった。
当時、悩める刑部に、ある日ディナーを共にしていたクリスが言った。
『ユキオ、僕が乗っている馬を走らせるのが何でかって不思議に思ってる?
簡単さ、馬の気持ちを大事にしてるからだよ。
馬もね、接する人の気持ちを感じ取って態度に表してる。だから接する人間が馬に心を開いて、馬と一緒に頑張ろうよって態度で接したら、走ってくれるのさ。
それでもいい結果じゃない時だってあるけどね、結局なるようにしかならない。
だから
そう話したクリスが、刑部にとっては更に驚愕することを話し出した。
『実は僕、小さい頃から馬が怖くてね。17歳になるまで跨ったこともなかったんだよ』
刑部は驚く。
アメリカはでは日本よりも、ずっと馬が身近な存在だ。
だからクリス=マクレーンも小さい頃から馬に跨っていて、それが彼の騎乗技術を育んだのではないかと思っていたのだ。
『小さい僕にとって、馬は計り知れないほどに強大で畏れるべき存在に見えてたからね、近寄るなんて考えたこともなかったよ。両親も❝馬に蹴られたら死んでしまうぞ❞ってずっと言ってたからさ。
でもね、僕の兄がボストンのサフォークダウンズ競馬場で騎手になってね。
で、僕に言ったんだ。
❝クリス、馬は近寄る人の気持ちがわかってるんだ。お前が馬を怖いと思っているから馬もお前を怖がって威嚇しようとしてるんだ。だからリラックスしな。そうすりゃ馬はお前を怖がらなくなって受け入れてくれるぞ❞ってね。
もちろん最初は半信半疑さ。
でも、楽しいことを考えながら口笛吹いてね、そうして近寄ってみたら、あの、強大で畏れるべき存在だった馬に触ることができたんだよ!
馬の体は僕と変わらず温かかったな。
それで兄の言うことを信じて、乗り方を教えてもらったんだ。それが17歳の頃。
兄に馬の乗り方を教えてもらっているうちに、僕も19歳で騎手になっちゃった』
明かに天才の持つエピソードとしか思えない。
だが、クリスはそれを全く悪びれずに話す。
『メリーランド州のピムリコ競馬場でデビューしたんだけど、その年から幸運なことにたくさん馬に乗せてもらえてね。
おかげで全米の年間リーディングになれたよ。
次の年もね。そしてその次の年も。カリフォルニアに移ってからも、今に至るまでずっとそうさ。
本当に、家族を含め周りの人に恵まれたなあ。
人の縁なんて、どうなるかわからないからね、こうしてユキオと知り合えたのも神の思し召しさ。
だからユキオ、あんまり考え込んでもなるようにしかならないよ。
馬も人も❝Take it easy❞だよ、ユキオ』
刑部はそれを聞いて、もはや笑うしかなかった。
刑部は、日本でもそういった一種の「騎乗の天才」を間近で見ている。
それは刑部と馬事公苑騎手養成課程で同期だった、福山要一。
同期の中でも早々に頭角を現した彼。
刑部には到底理解できない騎乗を繰り出し勝利を挙げる彼に対して、刑部は嫉妬とも言える感情を含んだ複雑な思いがあった。
だが、このアメリカの天才に対しては、その陽気で楽観的なもの言いもあって、白旗を上げるしかなかった。
天才と張り合っても仕方がない。
才能で劣る自分は、ただ努力を積み上げて、少しづつ天才に近づくことしかできないのだ。
そう悟った刑部は、以来天才に贈られた言葉を肝に銘じ努力を積み上げてきたのだった。
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