第44話 佐梁功②




 佐梁さはりいさおが競馬に、馬主に誘われ出したのは、自らが興したファンシーグッズ等の製造販売会社「アバント」が順調に利益を上げるようになった1980年代前半のことだった。


 取引先の何人かに、馬を持つことは社会的にステータスとして認められ、その後の商談にも有利に働くと言われ勧められていたが、当初佐梁は馬の所有に然程心を動かされることはなかった。

 佐梁は迂遠な人脈作りよりも、直接的な利益につながる人物を探し見極め、渡りをつけ、その人物との交渉によって自らの利益を最大に引き出すために対象人物の攻略に全力を注ぐことに大きな楽しみを見出す男だったためである。


 そんな佐梁が競馬に傾倒することになるきっかけは、1983年秋にポップでキャッチ―な映画がコロンビア・ピクチャーズ配給で来年公開されるという情報を聞きつけ、日本でのその映画のキャラクター使用版権の交渉のため渡米した時だった。


 結果的に版権使用交渉は、大したコネもなく乗り込んだ見の程知らずの日本の中小企業、と足元を見られまともな交渉とはならず、途方もない金額を吹っ掛けられて不調に終わった。

 たが、交渉相手の所在地であるロサンゼルスに2週間程度滞在していた佐梁は、滞在中の空き時間、現地の日系人エージェントに案内され足を運んだサンタアニタパーク競馬場で、たまたま厩舎関係者と話せる機会を持った。

 初めて訪れる日本人を値踏みするような胡乱な目で見ていた厩舎関係者の男に、佐梁はいきなり「競馬の馬主になったら儲かるのか」と訊ねた。


 佐梁に訊ねられた男は佐梁を蔑むような表情に変わり、呆れたように答えた。


「日本のマネーはアメリカを買い取る勢いだ。何でもかんでも金、金、金。自動車やTVを売りつけて得た金で、今度は馬を買い取ろうってのか」


 厩舎関係者の男は、佐梁に向ける表情を侮蔑に変えて言葉を続ける。


「馬を持って勝つにはどうすればいいかって? 簡単さ。お前らのクソみたいな金を使ってレースで勝ち続けてる馬を買ってくればいい。

 それで自分が所有して勝ち続けてくれりゃあ賞金がガッポリ入ってくるさ。

 更に勝ち続けてればそのうちもっと大金で売ってくれって奴が群がって来る。そいつらに吹っ掛けて買った時よりも高値で売れればあっという間に億万長者だ! お前らには簡単なことさ、HAHAHA!」と、佐梁の拙い英語能力でも理解できる皮肉を言った。


 いきなりの侮蔑と敵意に佐梁は強烈な反発を覚えたが、日系人エージェントが間に入ってその場はうやむやとなった。


 その日の夕食時、夕食を共にしていた日系人エージェントに昼間の厩舎関係者の態度について佐梁は訊ねた。

 エージェントは、こちらでは安くて性能の良い日本車や日本製の家電製品が市場を席巻しており、まだロサンゼルスなどの西海岸ではそうでもない方だが、中部のデトロイトや南部のテキサスでは現地自動車メーカーや家電製造会社は押されており工場の閉鎖による失業者も多く、日本と日本人に対する反感が潜在的に醸成されている、昼間話した厩舎関係者はテキサスから来ていたようだからあのような物言いをしたのだろう、と説明した。


 佐梁は厩舎関係者の態度の理由については理解はしたが、害した気分が晴れた訳ではなかった。

 厩舎関係者が当てつけのように話していた「馬主になって儲かる方法」は正しいのか、をエージェントに重ねて聞くと、エージェントは半分は本当だ、と返答した。


 こちらでは幼駒を買って走らせ馬の成長を楽しむ馬主もいるが、馬を不動産などと同じく資産とみなして取引をする者も多く、先の厩舎関係者の話もあながち間違いではない、とのことだった。

 

 佐梁はそれを聞いて俄然興味が湧いた。

 

 皮肉で言われたことというのが気に入らないが、あの方法がアメリカで一般的だというのなら、そっくりそのまま行って頂点に立ち、尊大なアメリカ人のプライドを粉々に砕いてやる。

 むしろ日本の馬でアメリカの頂点に立ったとしたら、あの皮肉を言った尊大な南部の田舎者はどんな顔をするのだろうか。

 

 

 佐梁は帰国後、日本の競馬について調べた。

 地元の名古屋、笠松は東海公営と言って、JRAとは違う組織である。

 東海公営のような地方競馬は日本各地に幾つも有るが、それぞれ違う組織が運営しており、相互の関係は殆どない。また、地方競馬ごとの格差もあり、南関東三場が最も潤っており賞金も高い。

 日本で一番大きな競馬の組織は日本中央競馬会(JRA)であり、それに伴い賞金も最高額となっている。

 馬主となるために必要な資産要件は、JRAが最も高く、地方競馬ではJRAの半分程度である。

 馬を預ける預託料も各運営組織によって違う。


 佐梁はまず、地元の東海公営と、地方競馬で最も盛況な南関東の馬主資格を申請した。

 まずは手頃なところから始めた。


 南関東である程度走った馬を東海公営に持って来て走らせ、勝たせる。

 1984年の半ば頃に両公営の馬主資格を取った佐梁は、まず南関東のある馬に目をつけた。

 

 スペードダガー。


 南関東大井の4歳馬で、デビュー以来5連勝で黒潮盃を制していたが、続く羽田盃、東京ダービーは、かつて南関東が生んだアイドルホース、ハイセイコー産駒のチャンピオンハイセイコーに敗れていた。


 佐梁はこの馬は、東海公営なら力が抜けていると考え、買い取って移籍させようと馬主と交渉した。

 相手の馬主は売ることを渋っていたが、この先南関東のレースでは早熟のスペードダガーはチャンピオンハイセイコーの後塵を拝することになるし、新天地で活躍させた方が馬のためにもなると口説いた。

 スペードダガーが早熟ということは佐梁の単なるブラフだったが、相手の馬主はそれによって説得され、これまでの獲得賞金額の1.5倍の金額で買うことに成功した。

 


 買い取って笠松競馬の大蔵おおくらまもる厩舎に移籍させ、早速1984年10月に芝の重賞ゴールド走覇を使ったところ見事に1着。

 続く東海菊花賞、笠松大賞典、ウインター争覇は5着、2着、2着と結果は出なかった。これは佐梁が賞金の高いレースに中2週で使い続けたことも影響していた。調教師はもうすこし疲労を考慮しゆったりしたローテーションを提案していたのだが、佐梁は支払ったトレードマネー分を早く取り返したいと気が急いていたため、金を払って預託しているのはこっちだ、と強気に要求を通した。

 東海公営5戦目の東海ゴールドカップで1着を取ると、とある京都の共同馬主会がスペードダガーを譲ってくれと売却話を持ち掛けてきた。

 

 その共同馬主会は数年前に突如として会員に閉鎖を通知し、所有馬を無断で処分するなどの背信行為を行い倒産したというところだったが、ひっそりと経営者以下役員同じメンバーが同じ名前で事業を再開していた。そこにどういったカラクリがあったのかは分からないが、相当に胡散臭いところであった。

 佐梁は中央競馬の馬主資格も取ろうと、あれこれと調べていたところではあったが、当時はまだ資格の申請はしていなかった。


 京都の共同馬主会の交渉担当者はそうした佐梁の状況を聞くと「それならうちの共同馬主会の会員になって、スペードダガーに出資する形にすれば中央競馬の馬主としてのノウハウがわかるようになると思いますよ」と渡りに舟のように言ってきた。

 佐梁はその押しつけがましさにイラっとしたが、スペードダガーは笠松転厩後の初戦、ゴールド走覇で芝の適正もあることがわかっていたので、売却額を購入時の2倍に設定して吹っ掛けたところ、多少値切って来たものの交渉は纏まったため、自らも会員となり所有権を僅かに残した上でスペードダガーを京都の共同馬主会に売ることにした。

 収支的に言えば大幅なプラスである。


 その交渉が纏まる寸前に、やはり中央競馬の馬主をしている馬主からスペードダガーの売却を打診された。

 何でも実家が牧場を営んでおり、実家の牧場の生産馬を中心に走らせているが重賞には縁がないため、重賞を勝てそうな馬を購入したいということだった。

 佐梁はその馬主の価値観である「金で名誉を買う」には共感はできず、ほぼ纏まった交渉を破談にする気もなかったため断ったが、共同馬主会との間で纏まりつつある金額以上を出してもいいというその馬主は、今後いい取引相手になるかも知れないと思い覚えておくことにした。

 

 スペードダガーは、1985年に年明け1月の笠松のレース新春クラウンで1着を取った後、京都の共同馬主会の所有となり、栗東の逆巻さかまき厩舎へと転厩した。


 佐梁は地方で連勝を続ける馬を購入し笠松や南関東で走らせつつ、中央に転厩したスペードダガーの動向にも注視した。


 スペードダガーの中央初戦はGⅡマイラーズカップ。短距離王のジャパンピロウイナーの2着という、予想以上の成績であった。

 更に次戦は天皇賞春のステップレースGⅡサンケイ大阪杯。

 鞍上を初戦の西占にしうらから「西の天才」瀬原せはら孝貴こうきに強化したこのレースで、スペードダガーは優勝する。

 しかも、一昨年の3冠馬、ミスタージェイビーを破った上での勝利であった。


 佐梁はこうしたスペードダガーの活躍を、手放しでは喜べなかった。

 自らが所有のまま中央競馬を走らせたかったという未練と、京都の共同馬主会の支払う配当が不当な金額だったからであった。

 初戦のマイラーズカップの2着賞金として振り込まれた配当は出資分に見合ったものではなく、共同馬主会に抗議したところ、預託料や競走登録料が差し引かれているためである、という返答だったが、その分を勘案してなお少ない。更には佐梁がスペードダガーを売却した際に、佐梁の共同出資分を差し引かれた金額が佐梁に支払われていたが、あろうことか一口の出資比率の変更があったという通知が一方的に来て、足りない分の差額を支払うようにという内容であった。


 これは、いくら何でも阿漕あこぎすぎる。


 佐梁は密かにスペードダガーを京都の共同馬主会から取り戻すことを考え始めた。


 スペードダガーの次戦は距離適性が合わないと判断された天皇賞春は回避し、宝塚記念と決定した。

 佐梁は、重賞を取る馬を持ちたいと言ってスペードダガーの売却を持ちかけて来た馬主に連絡を取った。


「スペードダガー、今でも欲しいですか?」


 電話の相手は熱烈に肯定する。


 佐梁はその馬主に、自分の元にスペードダガーが戻って来たら売却しても良い、と告げる。


 そのためには……逆巻厩舎には、噂が付いて回っている。

 管理している競走馬に、興奮作用のあるものを混ぜて与えているのではないかと。

 本当かどうかはわからないが、本当だったら……

 もしそんなことになったら、自分は所有権を全て放棄していないので、その所有権を主張して引き受ける。

 そうしたら、あなたに売却してもいい。

 馬に罪はない。馬を管理している者たちが良くなかった。

 一年もしたらそうした声も出るのではないか……


 佐梁はそうした内容を話して電話を切った。

 電話した相手の馬主が、どういった行動を取るか。手を回して噂を確実にすることまでするかはわからないが、おそらくJRAに薬物疑惑のことを電話で密告するくらいはするだろう。

 逆巻厩舎に関しては、佐梁の耳にもきな臭い噂が回って来る程だったから、競馬サークルの中では相当に信憑性のある噂だと思われた。

 


 スペードダガーは宝塚記念で瀬原孝貴を鞍上に1番人気に推された。

 天皇賞春を制した前年の3冠馬、ヨソリノルドルフが脚部不安で出走を回避したためであった。

 レースでは第3コーナー過ぎから捲っていく積極的な競馬をみせるも最後の直線コースで伸びを欠き、結果は4着であった。


 そして、レース後のドーピング検査で、スペードダガーの尿からは禁止薬物であるカフェインが検出された。

 この検査結果によりスペードダガーは失格となり、4着賞金も支払われることは無くなった。 

 噂によると、宝塚記念のレース前に匿名でJRAに「スペードダガーは禁止薬物を使用している」という告発があったのだという。


 この件はこれだけでは済まず、逆巻調教師は6カ月の資格停止処分となり、警察も厩舎関係者や騎手の瀬原にも事情聴取を行うなど騒動となっていった。

 スペードダガー事件と呼ばれるこの事件は、結局警察の捜査でも実行犯の特定には至らず、うやむやのままに終わった。


 スペードダガーは、購入を希望していた馬主に京都の共同馬主会が売却した。

 佐梁が画策した通りとはならず、購入希望していた馬主は共同馬主会と直接交渉を持ったのだが、佐梁の思惑のうち「京都の共同馬主会からスペードダガーを引き離す」部分は上手く運んだ。

 佐梁は京都の共同馬主会とは別口に、スペードダガーを購入した馬主に自分の持つ所有権を売却したが、その際に、引退後のスぺードダガーの所有権は自分に戻して欲しいと条件を付けた。


 スペードダガーを種牡馬にするためだった。


 スペードダガーは美浦に転厩することになったが、その後2年間は脚部の故障が見つかりレースに出ないままついに昨年末に引退。

 引退後は約束通り佐梁の所有となり、今年の初めから青森の生産牧場で種牡馬として繋養されている。


 佐梁は、自分でも意外だったが、自分を儲けさせてくれて、運命を捻じ曲げてしまった馬に対し、愛着が湧いていた。

 佐梁はその後手に入れたマルゼンギター、カウントステップなどの活躍馬に関しても引退後の面倒を見るようになる。



 ただ、1987年に中央競馬の馬主資格を取った佐梁だったが、マルゼンギターやカウントステップなど、東海公営、南関東の重賞を勝ちまくる馬をもってしても中央の重賞に手が届く馬は出て来ない。


 そんな中、東海公営の芝の重賞を易々と勝った3歳馬、アグリキャップに出会った。


 この馬は必ず中央でも走る、GⅠを取るだけでなく何度も取って、アメリカの自分を見下した厩舎関係者の度肝を抜く、アメリカを含めて賞金額№1になる馬だ、と佐梁は衝撃と共に感じた。


 阿栗に売却を持ち掛け、一旦は交渉成立寸前まで行ったが、阿栗の土壇場での心変わりで破談となった。

 佐梁が阿栗に語った「中央の舞台で能力を思う存分に発揮させてやりたい、その義務が馬主にはある」というのは佐梁の本心であり、阿栗に破談にされてもアグリキャップに対しての執着を持ち続け、動向を注視し続けた。


 東海ダービーを勝利した後、阿栗にもう一度売却を打診した時も、阿栗と久須美調教師が東海ダービーを取ることが悲願だったということを知っていたので、東海ダービー後であれば売却をもう一度考えてくれるかも知れないと思ってのことだったが、阿栗は自身が中央競馬の馬主資格を取ってアグリキャップを自分で中央に持って行く腹積もりだという。


 佐梁の焦燥がつのる。

 どうにかしてアグリキャップを手に入れたい。


 そうこうしているうちにアグリキャップは中央のGⅢオールカマーを勝ってしまった。

 誰が見ても中央で通用する実力があることを証明してしまったのだ。


 どうにかしてアグリキャップを手に入れたい。

 佐梁のその思いは日に日に焦燥とともに強くなっていく。


 そして、スペードダガーの時のことを思い出した。




「つまり私は、アグリキャップをどんな手を使ってでも手に入れたかった……そのために、馬主資格を失わないために、控訴していたんです……」


 佐梁さはりいさおは、やはり俯き加減で力無い声でそう話した。


「……もしかしてあんた、スペードダガーにしたことを、キャップにもしようとしたっちゅうことなんか」


 確か一度佐梁が話し始めた時に、10月初め頃に佐梁は何かを企み、それを誰かに阻止され、それ以来自分は変わったと言っていた。


 阿栗は酔いが回って来つつあった。

 元々、感情の振りが激しいところがある阿栗だったが、酔いはその感情を増幅させる。

 佐梁がアグリキャップに禁止薬物を与えようとしていたと悟った阿栗は、手に持った盃を佐梁に思い切り投げつけた。









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