※現実のこの時期のオグリキャップ③





 そもそもアグリキャップ対フェートローガンの章題で始めたフェートローガンとの対決、こんなに長くかかるとは思ってもみませんでした。

 

 フェートローガンのモデル馬のフェートノーザンとオグリキャップは、同時期に笠松競馬に所属していたものの、オグリキャップが中央競馬に4歳初春に移籍した関係で対戦自体は一度もありませんでした。

 話を書くに当たりフェートノーザンのことを調べていくと、本当にとんでもない成績の馬です。

 この次の年の一般戦ローレル争覇で斤量68kgを背負い勝利していますが、東海公営の重賞では交流重賞を除き、出走すれば60kgを下回る斤量は1989年は背負わせてもらえません。それでもこの東海菊花賞以降、フェートノーザンはずっと1着を取り続けています。

 ギャンブルとしての競馬の側面が、こうした酷な負担斤量を背負わないと他の馬とは馬券(勝つか負けるか)にならないと判断させたのでしょうが、それでも酷です。

 地方馬の交流重賞の全日本サラブレッドカップ、帝王賞、ブリーダーズゴールドカップの時だけ他の馬と同じ馬齢重量で55kg。フェートノーザンにとって軽かったでしょうね。

 昔のスポーツマンガでよくある、重り入りのリストバンドやアンクルを日常的に着けて特訓する、それを普段のレースでやっていたようなものですから、交流重賞で勝つのも当然に思えます。

 作中では詳しくレース描写などはしない予定ですが、フェートローガンの今後の戦績は、もしかしたらちょっと触れるかも知れません。

 史実の安藤勝己騎手も、最も思い入れのある馬はフェートノーザンと語っています。

 おそらくその最期のこともあってのことでしょうが……



 史実のオグリキャップは、この時期どうだったかと言いますと、1988年10月30日(日)に、初のGⅠ天皇賞秋に挑み、1番人気に推されます。

 2番人気に甘んじたこの時の中央競馬の最強馬、タマモクロスとの対決は、追い込み戦法を捨てたタマモクロスの意地に屈し、1馬身差の2着となりました。

 直線で必死で追いかけるオグリキャップでしたが、タマモクロスとの1馬身差は縮まらぬままゴール。

 中央競馬移籍後どころか、笠松時代も含め実に1年半ぶりの敗北でした。


 この敗北を受けてオグリキャップ陣営は打倒タマモクロスを掲げて11月27日(日)のジャパンカップに臨みます














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