日本と世界の高み 1988年11月27日(日) 東京競馬場 ジャパンカップ(GⅠ)

第40話 鞍上




 11月3日(水)の東海菊花賞後、阿栗孝市と久須美調教師は名古屋の夜を堪能せずに地元の柳ケ瀬、行きつけの小料理屋にいた。

 名目は作戦会議兼東海菊花賞チクショウ会。

 久須美調教師の方から誘った。もちろん小料理屋の後は、阿栗行きつけのクラブに行く気満々だった。


 最も久須美は呑みたい気持ちはありつつも、仕事上阿栗に聞かねばならないことがあった。

 中央競馬の東京開催が明後日5日から始まる。

 笠松でもそうだが、中央競馬もその開催前にその開催に出走する届出と、開催中のどのレースに馬を出すという予備登録をしなければならない。※1

 明日、久須美は中京競馬場にあるJRAの窓口に届け出を出しに行こうと思っている。そのためにジャパンカップで阿栗がアグリキャップに乗せる騎手の腹づもりを聞き出そうと思っていた。

 だが、本日の東海菊花賞の敗戦直後でもあり、阿栗も口が重くなっており、直接切り出すのはためらわれた。

 そのため、11月6日から6日間開催される笠松開催の話題からポツポツと入る。

 阿栗の馬はこの6日間に10頭が出走する。

 その内7頭を久須美厩舎で預託していた。


「安東くん、メーカーには乗ってくれるんやろ?」


「ええ、それは変らず大丈夫ですわ」


 阿栗の言うメーカーとは、アグリメーカー。スマイルワラビー産駒でアグリキャップの一つ下の3歳牡馬であり、久須美厩舎で管理している。今年の6月にデビューし、久須美厩舎所属の騎手青沖あおおき、高橋を鞍上に8戦していたが、未だ勝ちをあげていなかった。この開催中の8日に、鞍上強化として安東克己に騎乗を依頼している。


「……メーカー乗ってくれるんやったら、キャップにも戻ってくれんかな」


「……それだけは勘弁して下さい、言うてましたわ。余程の覚悟で断ったみたいですから、これ以上頼むのは克己を苦しめるだけんなると思います」


「そうか……ホンマに済まんことしたな。

それはそうと、河原くんの方はどうや」


「章一は……阿栗さんが見てのとおりです。えらい自分責めてます」


 久須美調教師が東海菊花賞のレース直後、阿栗には自分から話すと言って河原章一を遠ざけたのは、河原章一に落ち着く時間を与えるためで、後日時間を作るつもりだった。

 だが、河原章一は、阿栗が久須美調教師と話している時に直接詫びにやって来た。 

 それも、ただひたすらに「すみません、すみません」と繰り返すのみであった。 

 阿栗も河原に明らかな騎乗ミスがあったのは判っており、河原の顔を見るまでは苦々しく思う部分も無くはなかった。

 だが、ひたすらに頭を下げ続ける河原が、涙すら浮かべ、しかもそれを本人が全く気づいていない様子だったのを見た阿栗は「河原くんなりに、よう頑張ってくれたわ、そんな自分を責めんと、この経験を次に生かしてくれや」と言うしかなかった。


「章一は、真面目過ぎるんですわ。あいつのええとこでもあるんですが、今回に限っては自分を責める方向に出てます」


 久須美調教師はそう言ってため息をつく。

 

「河原くん、ミスあったけど、久須美さんから見てどうやったん、あの騎乗」


「……章一を擁護する訳やないんですが、何かあのレース、キャップが静かにイレ込んでたっちゅうか……後でレース前とかの映像見て気づいたんで、これも調教師としてお恥ずかしい話なんですが……キャップの奴、ずっと克己を睨んどったんです」


「確かに、レース後ずっと睨みつけとるように見えとったけど」


「レース前のパドックやゲート入り前でもそうでしたわ。ほんでレース中も視界に入ったら克己んとこ吹っ飛んで行きそうなんを、章一が上手い事コントロールしとったんですわ」


「手綱ぶらついとったけど……?」


「あれ、死んだふりですわ。道中下がってったのも大きくキャップに息入れさせるため。手綱ぶらぶらさせとったのも、もう余力が残ってないって周囲に思わせるためやったんです。一方で片ハミかけて、上手い事キャップと折り合っとったんです。片ハミは、阿栗さんも覚えとるでしょう、名古屋の坂部さかぶがやってて誰も真似できんことやったんです」※2


 阿栗は当然坂部のことは覚えていた。

 無茶苦茶な騎乗フォームなのに、連帯率5割以上の天才騎手。


「まあ、そうやって章一も必死で勝つためにリカバリしとったんです。ただ、あれ片ハミをやったことで坂部のこと思い出してもうたんでしょう。おそらくゴール前、坂部が落馬した場面を思い出して反射的に立ってもうた。ワシもキャップに調教ん時乗りますが、キャップが全力で走ると、乗ってるもんは前に吹っ飛ばされる怖さ感じるんです。克己ですらキャップに乗り始めた頃言うてました」


「確かに……坂部くんの落馬、前に飛ばされて乗っとった馬の下敷きやったもんな」


「そうですわ……多分普通にレース運んどって直線追ってたら片ハミやる必要もなかったですし、坂部の落馬も思い出さんで、あんな立ち上がったりせんかったでしょう。

 ほんで、最初の掛かりっちゅうかケンカも、最初からキャップが静かにイレ込んどったとしたら、章一のミスとばかりは言えません。見抜けんかったワシのミスでもあります」


「そうか……河原くんにも、申し訳ないことしてもうたな……」


「ええ、また折見て章一とは話してみますが……実はワシ、東海菊花賞勝ってたら、ジャパンカップはそのまま章一でって進言しよ思とったんです。

 ただ、今の章一にとっては酷です。もっかい心の傷を抉ることに成りかねません。下手したら章一の騎手やってく自信、根こそぎ砕いてまうかもわかりませんわ。

 阿栗さん、ジャパンカップの鞍上、どうするつもりなんです? 考えがあるて言われてましたが、明日には予備登録せんといかんのです」


「実は、オールカマーん時声掛けられた、高田美佐江さんに連絡して相談してみた。久須美さん、覚えとらん? あの口取り行く前に挨拶された」


「あー、何か牧場代表て言うとった40手前くらいの」


「そう。安東くんのままやったら安東くんで行こ思とったけど。

 ただ、思い出作りやなく勝負に行くなら、やっぱレース行われる競馬場のコースのこと、ようけ知っとる中央の騎手の方がええかも知らんと思ってな」


「そんなん、出来るんですか」


「一応、JRAには問い合わせてみた。前例はないが、JRA主催の招待レースに出る馬に、JRAの騎手が乗るっちゅうことなんやったら大丈夫やろう、ってことやった」


「ほんでその、高田さんと繋がりある騎手紹介してもらおうと?」


「まあ、そういうことなんやけど、高田さんが言うには、高田さんとこの馬、栗東に入厩する馬が多くて、紹介できるとしても栗東所属の騎手なんやて」


「栗東、結構やないですか。蒲池かまち瀬原せはらに、名人タキクニの息子で売り出し中のたき夕貴ゆうきもおる。何の不満もないでしょうに」


「そんな大物騎手、いきなり紹介される訳ないやん。流石にそんな夢は見とらんよ。

 まあ、こっちとしては全く中央騎手に伝手なんか無い訳やから、どうにか中堅でも若手でも、とにかくコース解かってる騎手と繋ぎの取り方だけでも知りたいっちゅう、言わばダメ元で頼んでみたんや。そしたら」


「そしたら? 何て言われたんです?」


「栗東所属の騎手はホンマに上位の騎手でも東京や中山にはGⅠの時くらいしか乗りに行かんから、中堅や若手やとほぼ東京のコースの経験が無いって言われたわ。コースを知っとるっちゅうのが頼む理由なら、美浦の騎手やないと、って。

 まあ体よく断られたんやなって、そう思ったわ」


「……そうですか、ならジャパンカップのキャップの騎手ヤネは宙ぶらりんな訳ですな」


「いや、ところがな、高田さんに相談の電話してから何日後かに、高田さんの方から折り返し電話あってな、ちょっと信じられん騎手の連絡先を教えられたんや。

 しかも、高田さんによると感触は悪く無さそうってことで。

 11月んなったら連絡するように言われて、昨日教えてもらった番号に連絡したら、何と受けてくれるって言われたんや。

 でもなあ、久須美さんのさっきの話聞いとったら、河原くんにもっぺん乗ってもらって自信取り戻してもらった方がええんと違うか、って気ぃしてきたわ……

 正直、悩んどる」


「……章一に関しては、まだ章一自身でも整理ついてないのが正直なとこやと思います。もうちょっと章一に時間やって下さい、阿栗さん。

 折見てワシと、あと章一んとこ厩舎志来しきさん交えて章一と一回話してみます。

 で、それはそうと、その信じられん中央の騎手って誰なんですか?

 教えてくれんと、開催登録とジャパンカップの予備登録しに中京(のJRA事務所)まで行けませんわ」


 久須見はようやく今日の本題を聞いた。

 阿栗がその騎手の名を口にする。


 その名を聞いた久須美は、目を見開き口を大きく開けて絶句した。








 いっとき、時を戻す。


 10月半ばのある日、元競馬記者の松林まつばやし昭雄あきおが構える事務所の電話が鳴った。


 松林が電話を取ると「もしもし」という30代半ばの女性の声。松林が聞き知っている声だったが、意外な人物でもあった。


「お久しぶりです高田さん。お電話いただけるとは珍しい。クラブ馬のジョッキーへの騎乗依頼ですか?」


 電話の相手は高田美佐江。

 グレイトフルレッドファーム代表であり、クラブ法人ヴィランターフクラブの代表でもある。

 だが、基本的に高田美佐江が所有する馬やヴィランターフクラブのクラブ馬は栗東に入厩させることが多く、主戦は栗東所属の騎手が務めるため関東の松林の元に連絡が来ることは少ない。


「騎乗依頼と申しますか……私や夫の所有馬や、クラブの馬ではないんですけど」

 

 高田美佐江は曖昧なことを言う。


「ほう……どういったご事情ですか」


「ジャパンカップに出走する、地方馬の馬主さんと知り合いまして……その方から中央の騎手に騎乗してもらうにはどうすればいいかと相談されたんです」


「ああ、もしかしてオールカマーを勝った、あの葦毛馬――の馬主の方ですか」


 ジャパンカップに出走する地方馬と言えば、オールカマーの勝者である笠松の葦毛馬しかいない。


「ええ、そうです。阿栗さんと言う方です。何でもオールカマーで騎乗していた笠松競馬の主戦騎手に降りられてしまったということで、ジャパンカップで中央の騎手に乗ってもらえるかどうか、と言うご相談がありまして」


「それをわざわざ取り持つとは、高田さんも律儀な方ですね」


「ふふっ、そうですね。ただ、あの馬――アグリキャップは何だか面白い存在だと思ったんです。騎手も中央では見ないタイプの人でしたし、馬も古馬に負けない落ち着きと特徴的な走り――何というか新しい風を感じたと言いますか」


「あなたに新しいと言わせるのは、確かに面白いですね高田さん。馬産の新たな波の中心、グレイトフルレッドファームとヴィランターフクラブの代表のあなたが」


「また、お上手ですね松林さん。私じゃなくて主人ですよ、凄いのは。

 それはそうと、阿栗さんに松林さんの事務所の電話番号、お伝えしてもよろしいでしょうか」


「そうですね、ジョッキーのお手馬でジャパンカップに行く予定の馬は今のところ居ませんし、出走予定陣営からの乗り替わりの依頼も無いです。まだ1か月以上先のことですし。

 阿栗さん、でしたっけ、私の事務所の電話番号をお伝えして頂いてかまいません。

 ただ、私としてもジョッキーに繋ぐ馬が、あまりに得体の知れない馬というのも困りますのでね、少しこちらでも調べてみたいんです。

 それにまだ先のことで同じ公営の騎手で行こうと気持ちが変わるかも知れませんし……そうですね、11月に入っても気持ちが変わらないようであれば連絡いただくようにお伝え願えますか。

 まあ連絡頂いた時には他陣営からジャパンカップの騎乗依頼が来て、決まっている可能性もありますがね」


「わかりました。阿栗さんにはそのようにお伝えして、松林さんの事務所の番号もお知らせしておきます」


「ええ、よろしくお願いします。それと、高田さんご夫婦の馬やヴィランターフクラブの馬が関東で走る時の騎乗のご依頼もお待ちしていますよ」


「またまた。本気にしますよ、松林さん。まだ条件戦の馬ばかりですのに」


「ジョッキーが空いてさえいれば、条件戦だろうと検討いたしますよ」


「わかりました。調教師の先生とも相談して、必要な時が来た折にはよろしくお願いします。ではまた」


 そう言って高田美佐江からの電話は切れた。


 笠松の葦毛馬――アグリキャップか、思わぬ話だな。

 ジャパンカップに出場する地方の馬は、大抵その所属する地方競馬の騎手が乗るものだが……今までに中央の騎手が乗る、そんなケースあったかな。

 騎手にアクシデントがあった場合のJRA騎手への当日乗り替わりは可能な筈だから出来ると思うが……

 ジョッキーと同期の柴端しばはた雅人まさと騎手がジャパンカップに参戦するイギリス馬に騎乗するという噂も聞こえてくる。なら行けるか?

 JRAに問い合わせて可能か確認するか……。


 ジョッキーも、6月の落馬事故以来9月前半に復帰したとはいえ今一つ勝利数が伸び悩んでいる。

 落馬で負った怪我の影響がまだ騎乗に出ていると調教師や馬主に思われている節もある。

 誰も期待していない地方馬を、ジャパンカップの掲示板まで導ければジョッキー復活のアピールになるかも知れんな。

 オールカマーでスズエレパードに競り勝った馬だし、掲示板内の可能性は無くもない。


 ジョッキーには、依頼があるかも知れないと伝えよう。

 その際にジョッキーが検討できる資料として、名古屋の知人に頼んで情報の確認資料と近走のレースビデオを取り寄せておくか。


 松林まつばやし昭雄あきおは、そう考えを巡らせた。

 彼は日本初の騎手の代理人。

 長年競馬新聞の記者として多くの厩舎に出入りしていたため調教師に広く顔が利き、有力馬主とも取材で繋がりの多かった彼を、彼がジョッキーと呼ぶ人物が見込んで代理人を頼んだのであった。


 彼がジョッキーと呼ぶ人物は、日本初のフリー騎手、刑部おさべ行雄ゆきおである。










※1 JRAの開催への事前登録は1988年まで必要でしたが、1989年以降は廃止されています。


※2 片ハミの技術は今でこそポピュラーになりつつありますが、1988年当時はほぼ行う騎手はおらず、それこそ名古屋の天才、坂本敏美騎手くらいのものでした。




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