第29話 安東克己の苦悩




「よう克己、お疲れさん」


 フェートローガンの調教師、喜田よしだ春好はるよしはフェートローガンの調教を終えた安東克己に声を掛けた。


「手応えはどうや? ワシから見とっても動き相当良うなっとるけど、乗っとるモンの感想としては」


「調教でもあんまり内ささらんようになりましたし、馬が大人んなってきたってとこですかね。次のオパール特別は、ちょっと乗り方工夫したら、行けると思います」


 安東克己の返答に喜田調教師は相好を崩す。


「笠松一の名手にそう言ってもらえるのは光栄やわ」


「また調教師せんせい、持ち上げんで下さい」


「いやいや、『カラスが鳴かない日があってもアンカツの勝たん日はない』って言われるようになっとるんやから、大したもんやで。

 あんなハナタレだった克己がのう」


 喜田調教師は揶揄からかうように言う。ただ、揶揄からかいつつもその言葉には優しさが滲む。

 それもそのはず。

 喜田調教師は安東克己の師匠であった。


「ワシがいっぱしの馬乗りんなれたのも、調教師せんせいのおかげですわ」


「お、克己も丸うなったもんやの。そんなへりくだったこと言えるようになるとは」


「まあ、ワシも騎乗依頼貰うためには多少丸うなりますわ」


「なるほどの。正直、克己がこんな立派んなるとは思いもせんかったで。満彰みつあきの後くっついて厩舎に出入りしだした頃はの」


 安東克己と兄の満彰が喜田厩舎に出入りするようになったのは、最初は父の縁だった。

 板前の父が笠松近くの飲食店に勤務していた時、小学生だった兄の満彰と克己はよく父に笠松競馬場に連れてきてもらっていた。父と喜田春好調教師は幼なじみであり、父と一緒に時々厩舎にも顔を出す中で喜田調教師と知り合う。

 やがて兄の満彰が中学卒業前に騎手を志し、喜田厩舎に騎手見習いのように出入りするようになると、克己も兄にくっついて厩舎の仕事を手伝うようになった。その中で克己も騎手を志すようになっていった。

 中学卒業後にNRA(地方競馬全国協会)の騎手・調教師・厩務員の養成校である栃木県の地方競馬教養センターに入所した克己は規定の養成期間である1年半で卒業し、克己の一年前に卒業して騎手になった兄満彰と同じ笠松競馬の喜田厩舎所属の騎手となった。

 他の厩舎や馬主からの依頼が多くなり、笠松一の名手と言われるようになった現在でも、形式的には安東は喜田厩舎所属である。


「まだ中学卒業するかしないかのガキでしたから。恥ずいんで、もうやめて下さいよ調教師せんせい


「照れるところは案外ガキっぽさ残っとるな。ま、馬と違ごて人間、ゆっくり成長するもんやからな」


 喜田調教師はそう言って笑った。

 その様子に、安東克己の気持ちは温かくなる。


 実の父は板前と言う職業柄か、飲む打つ買うの三拍子揃った父親としてはとても褒められた人間では無く、それが原因で克己たちが中学に上がった頃に、母親と離婚しており、克己たちは母親の籍に入っていた。

 母に負担は掛けられないと早くに人生の決断を迫られた満彰、克己の兄弟を、殆ど泊まり込みのように入り浸らせてくれて世話もしてくれた喜田厩舎の主、喜田春好を、克己は父のように慕っていた。


「せやけど、馬もその馬によって成長する速さは違ごてる。ローガンは、ここに来てようやっと強い稽古積めるようになってきた。やっとやな」

 

 喜田調教師は、フェートローガンを愛おしそうに撫でながらそう言う。

 安東克己も、喜田調教師がフェートローガンをどれだけ辛抱強く世話して来たかを知っている。


 フェートローガンは、非常に蹄の弱い馬で、中央競馬のデビュー戦も4歳の3月30日まで使えなかった。強い調教をするとすぐに蹄を傷めてしまうからだった。

 以降中央での成績は10戦5勝。芝は距離を問わず惨敗だったが、ダートに限っては7戦5勝、GⅢウインターステークスの2着が1度の5-1-0-1。明らかなダート馬だった。

 中央競馬ではダートの番組は非常に軽視されており、出走できるダート重賞も僅かに4つ(フェブラリーハンデキャップ、札幌記念、根岸ステークス、ウインターステークス)。

 そのため陣営は5歳春のフェートローガンの目標を大井競馬場で行われる重賞交流競走の帝王賞に定めた。

 だが、3月21日、帝王賞のステップレースとして挑むはずだった仁川ステークスはフレグモーネ(細菌性の皮膚疾患)により回避。

 4月10日の帝王賞はどうにか出走したが、フレグモーネで悪化した体調は戻り切っておらず、大井のトチノカチドキの11着と敗退した。


 そして帝王賞の後、体調が上らないことに加え裂蹄も再発してしまう。


 馬主の鷹端たかはし義和氏は、調教すらままならなくなったフェートローガンを自身のホームでもある笠松競馬の外厩で療養させることにした。


 この時に喜田調教師が鷹端氏に移籍を打診した。

 鷹端氏も、この先中央競馬で走らせたとしても出走可能なグレードレースがGⅢの4レースで、殆どがハンデ戦しかないこともあり、移籍を承諾した。


 移籍決定後、喜田調教師はフェートローガンに付きっ切りで世話をした。

 笠松に来たばかりのフェートローガンは裂蹄のためにほとんど歩くこともできなかったが、ワセリン塗布などで根気よく治療を続けた。

 良くなったと思い調教をつけようとするとまたすぐにぶり返す。

 焦りは禁物と時間をかけた。


 レースに復帰できたのは半年後の昨年の10月28日、笠松の一般戦、東海クラウン。

 まだ蹄の不安は残っており、強い調教はまだ付けられず太目残りの状態だったが完勝した。

 手綱を取った安東克己も、この馬はものが違うと確信した。

 続く2戦目は安東の都合が付かず名古屋の名手黒塚孝則が手綱を取ったが、乗り代わりも問題とならず勝利。

 そして3戦目で重賞「名古屋大賞典」に挑み、東海公営最強と言われるナカオライデンに挑んだ。

 結果は3馬身離されての3着。

 だが、笠松の年末の大一番である東海ゴールドカップにて再びナカオライデンに挑んだフェートローガンは、ナカオライデンに1と 1/2馬身差で勝利。

 フェートローガンとナカオライデンの斤量差は実に8㎏。斤量差に助けられたという評価もあった。だが、笠松に転厩して以来連勝を続けていたナカオライデンに、初めて土を着けた馬がフェートローガンとなった。

 それ以降、ナカオライデンが故障したこともありフェートローガンが東海公営最強と噂されるようになる。

 一方で、フェートローガンの蹄の状態は、まだ強い調教を施すと痛めてしまうため、慎重に行わざるを得なかった。

 今年の春も、蹄が安定しない中で重賞「東海大賞典」を含む3連勝。

 6月のローレル争覇は2着でしばらく療養していたが、この間にフェートローガンの泣き所であった蹄がしっかりしてきており、ようやく強めの調教も積めるようになってきたのだ。


「前走のオータムカップ、58.5㎏の斤量の他に、先頭に立つと内にささる癖が抜けとらんで2着したけど、状態は今までの中で最高になりつつあるからな。

 克己、東海菊花賞前の叩き、オパール特別は頼むで」


「わかってます、喜田調教師せんせい


「お、そうそう」


 喜田調教師は、何かついでに思い出したかのように言葉を繋ぐ。


「東海菊花賞どうするか決めたんか?」


 喜田調教師がサラリと言った言葉は、今の安東克己にとっては耳にしたくない言葉だった。


「いや、まだ決めかねとるっちゅうか……」


「そうやろな。まあ相手アグリキャップもええ馬やからな。こないだの東海クラウン、斤量背負ったのにえらくあっさり勝ってたし。そりゃ簡単には決められんやろ。

 克己、東海菊花賞ローガン断ったとしても、お前を2度と乗せんちゅうことは、ワシも鷹端たかはしさんも考えとらん。安心して、どっちに乗るんか決めい。

 ほんじゃ、ローガン厩舎に戻しといてくれや、頼むで」


 そう言うと喜田調教師は、他の騎手が調教を付けている自厩舎の他の馬のところへ行く。

 

 調教師せんせい、えらくサラリと言うて。

 ワシに東海菊花賞頼む、と一言いうたら、絶対ワシが断らんこと、わかっとるくせに。

 逆に、ワシにとっては酷や。

 ホンマに自分で決めなならん。


 安東克己は、円城寺厩舎地区まで続く専用馬道をフェートローガンに跨り歩かせながら考える。


 もう10月も半ば近くになる。

 どちらを断るにしろ、早めに伝えないと代わりの騎手を見つける時間も必要だ。

 喜田調教師と久須美調教師、二人の好意に甘えて今まではっきりさせずに来てしまった。

 そろそろ決めなければならない。


 アグリキャップはデビュー時から安東が手綱を取っていた訳では無い。

 デビュー後しばらくは久須美厩舎所属の青沖、高橋の両騎手が交互に乗っていた。

 安東克己は6戦目の秋風ジュニアから。

 初めてアグリキャップを見た時の安東の感想は「貧相な馬やな」だった。

 青沖らが調教で乗っているのを初めて見た時、馬体のところどころが白くなっている葦毛馬だが、ブチのように斑点状に白くなっており、見た目はお世辞にも綺麗ではない。

 また、顔も口周りの筋肉が発達しており、大きく見えた。

 調教時の動きもモッサリしているように見えていたが、依頼を受けて調教で乗って見ると全く違っていた。

 前肢の使い方が独特で、低く沈み込むように走る。

 初めて乗った時、安東克己は騎手になって初めて恐怖心を感じた。

 あまりにも前傾して走っている(ように感じる)ため、コースの凹凸にアグリキャップが前肢を取られたらそのまま前に吹っ飛ぶように落馬するのではないかとの思いが乗っている間、常にちらついた。

 慣れるのに時間はかかったが、乗り味自体は柔らかく、ゴムまりのように弾むとしか表現できないような不思議な背中をしていた。

 3歳の頃はまだ馬も幼く、ジュニアクラウンでは先頭に立つと気を抜いてしまうこともあったが、1戦ごとに精神的にも成長し、抜いて走る時は走り、追うとそれに応えて伸びるという大人の馬になっている。

 安東克己は、アグリキャップを負かすとしたらナカオライデンかフェートローガンしかいない、と今年の初めには感じていた。

 それだけ競走馬としては完成している。


 これからも良くなるとは思うけども、既に精神面ではこれ以上の馬はおらん。フェートローガンよりもその点は上や。

 オールカマーの時も、中央の古馬並みに落ち着いとった。

 アグリキャップでなかったら、オールカマー勝てんかったやろう。

 11月27日のジャパンカップも中央や各国のトップジョッキーに交って、自分がどれだけやれるかを試してみたい。


 安東が考えていると、フェートローガンがふと立ち止まり、あくびをする。


 お前に乗りながら相手アグリキャップのこと考えるのも失礼ってか。

 お前も賢いな。

 お前も、ようやく強めの調教できるようんなって、これから本格化するってとこやもんな。

 本格化する前からすでに東海最強の名を背負ってるんやから、大したもんやで。


 安東克己は再びフェートローガンを歩かせると、円城寺厩舎地区の喜田厩舎まで戻っていった。











 

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