東海公営最強古馬の横顔
第27話 東海公営最強馬の定義
フェートローガンは、何故東海公営で最強馬と言われているのか。
「直ちゃん、今頃何言ってんだ?」
素直な疑問。というより心の中でふと思ったことが、そのまま口に出てしまったようだ。
聞き逃さなかったのは編集長の
賀張はお怒りと言う訳ではなく「そうか、そんな単純な、皆が知っている、初歩的なことを知らなかったのか」という憐れみの表情を浮かべ大袈裟に嘆くジェスチャーを取っている。
ここは名古屋を中心に東海3県の演劇情報、ライブやコンサート情報やお出かけ情報、まだ知名度の低いプレイスポットなどを扱うタウン誌「月刊ナゴヤプレイスポットジャーナル」編集部。
略称の「ナプスジャ」で、東海地区の若者の間では認知されている。
毎月8日発行で、現在10月3日。一応10月号の編集は終了し、11月号の打ち合わせと称した駄弁り中である。
冒頭の言葉を発っしたのは、
「だって、競馬のことなんてよくわからないんですよ。何となく知ってるのだって小さい頃ハイセイコーって馬が人気だったってことくらいですもん」
「やれやれ、直ちゃんは全く『オヤジギャル』の素質が無いなあ」
膨れて反論する直子を
昨年辺りから、従来は中年男性の遊び場とされてきたゴルフ場や競馬場、安い大衆酒場などを積極的に新たなプレイスポットとして楽しむ若い女子たちが現れてきており、そうしたムーブメントが東京発の大衆雑誌の特集などを中心に全国に発信されつつあった。
そうした中年男性のオアシスともいうべき場所を自分達なりに楽しむ女子たち。
彼女たちは「オヤジギャル」と呼ばれている。
東京の流行がやや遅れて入って来る名古屋でもそうした女子たちは少しづつ増えてきている。
「月刊ナゴヤプレイスポットジャーナル」略して「ナプスジャ」編集部でも、遅ればせながら名古屋、東海地区のそうした「オヤジギャル」向けのお出かけスポット特集を行うことになり、その打ち合わせの途中での出来事なのだった。
「カバリン、わかってないなあ。直ちゃんの2年生になってもスレてない、そういうところがいいんじゃないの。ね、直ちゃん」
「彩さんは彩さんで、私のことお子ちゃま扱いしないで下さいよっ」
直子本人は本気で抗議しているのだが、抗議されている
「いくら彩さんが大人っぽいからってぇ」
富士田彩は直子と同じ
実家が裕福ということもあり、普段からデザイナーズブランドのスーツを着こなしており、スタイルのいい彩には似合っている。
対して榊原直子は、大須の古着屋で買った派手な蛍光色のトレーナーにストーンウオッシュのジーンズという出で立ち。良く言えばカジュアルな格好だ。
「ごめんね、直ちゃん可愛いから、つい
富士田彩は悪びれずに笑顔で言う。
「それに、直ちゃんみたいに何も知らない女の子目線で記事を書いた方が、絶対読んでる人に魅力的に伝わるものが書けると思うよ。
カバリンみたいに競馬ハマってるオヤジそのものって人が書くよりも、ね。
カバリン、あなたが知ってることが世界の常識みたいな態度、ダメでしょ」
「いやいやいやいや、だって彩だって知ってるんだろ? さっきの話だって彩は的確に相槌打ってたじゃないか」
「私はたまたまお爺様が馬主やってるから聞いたことがあるってるだけ。普通の女の子は、地方競馬の競走馬についてなんて全く興味ないし知らないわよ。カバリン、調子に乗って喋って周囲の反応目に入らなくなるとこ、直しなさい」
「いやいやいやいや、少なくともここにいる男どもは、フェートローガンが現段階で東海公営最強馬だってことは一致してるぞ」
賀張の言葉に、その場にいた副編集長の井口と、やはりアルバイトの田口がうなずく。
「いやあねえ、ギャンブルばっかりやって。だからあんた達モテないのよ」
「言うても、ここの給料、大したことないでなあ。東海公営銀行で増やさんと、車の維持費もきっついから」と田口。
「言うな! 田口! 経営が苦しいのは仕方ない! 本誌価格が250円! 売れても売れても火の車! しがないタウン誌の宿命なの! でもこの東海地区に、サブカル含む文化を根付かせるって崇高な使命が我らにはある! なっ」
元々現社長が仲間とともに16年前に学生ノリで始めたタウン誌制作で、16年の間に株式会社になってはいたが経営はお世辞にも安定しているとは言えない。
社長と共に「ナプスジャ」を立ち上げた仲間は、社長の他に2名が会社に残り広告の営業をかけているが、他の仲間は皆他の企業に就職し、離れていた。
若者向けのタウン誌ということで、社長らは編集の現場は退いており、賀張は6代目の編集長である。
東海3県で若い学生らには「ナプスジャ」の知名度は高いものの、立ち読みで済ます者も多いようで売り上げは知名度ほどに芳しくない。
編集長である賀張の給料ですら遅配はザラだった。
だが、名古屋から若者文化を盛り上げよう、という心意気は今に至っても引き継がれている。
榊原直子は、華やかに見えるタウン誌の内情がこんなにもカツカツだとはアルバイトを始めるまでは思ってもみなかった。
金はない。だが、その分街に出て「面白い」ことを足で拾って書き、多くの人に知ってもらうという情熱は溢れていた。
ただ、その情熱は内輪の話でもよく暴走してしまう。
先程の東海公営最強馬の話もそうだった。
オヤジギャル向けのスポットと言えば競馬場だろう、ということで東海地区の競馬場紹介記事をどう作るか、と言う話の中で、賀張たち男性陣がフェートローガンは最強だ、と語り出したのだった。
彼らは馬券的な意味でフェートローガンに何度もお世話になった、と言う話を、その当時自分のおかれていた(金銭的に)悲惨なシチュエーションを交えて熱く語っていた。
その中でアルバイト男子学生の高畑が、フェートローガンの直近の戦績が2着が2回続いていて焦ったけれど、結果複勝で引っ掛かって助かった、と得意げに話したのを聞いて、話に入れずボーっと聞いていた直子が心の中で思ったこと。
それが「フェートローガンは、何故東海公営で最強馬と言われているのか」連戦連勝している訳でもないのに、何でだろう、だった。
直子は心の中で思ったつもりだったのだが、冒頭部分がついポロリと口に出ていたという訳だ。
今にして思えば、もう少し可愛らしい言葉で考えるべきだった。
「フェートローガンは、何故東海公営で最強馬と言われているのか」
どこの世界のナレーターだ、渋い声じゃないと言えないだろう、こんなセリフ。と自分でも突っ込みたくなる。
「なんでぇ、この人たちぃ、こんなに熱くフェートローガンが最強って言ってるんでしょうねぇ?」みたいな、ぶりっ子な喋りで良かったんじゃないかな。
と直子が思った時、またしても賀張が反応した。
「直ちゃん、そんな口調だけ可愛らしくしてもねえ?
仕方ない、何でフェートローガンが最強だと言われているのか、気になって仕方がない直ちゃんにじっくり、とっくり、がっつり教えてあげよう」
またしても心の中の声が口に……
「こうなったら仕方ないわ、カバリンも田口っちゃんも無駄に熱いから。いい記事のためと思って、聞いておきましょ」
富士田彩の言葉に、直子も覚悟を決めるしかなくなった。
賀張が熱く暑く話し出す。
いいか、何でフェートローガンが東海公営最強馬なのか?
中央でデビューして芝ではさっぱり、だけどダートでは負けなしの潔さ。迎えたGⅢウインターステークスで中央ダート最強と言われたライフタカヤマの2着に食い込んだからか?
いや、違う!
昨年秋からの笠松移籍後の戦績が9戦して6勝、2着2回3着1回と圧倒的に馬券圏内を外さない安定感からか?
俺はホンマに助けてもらってるから、俺がフェートローガンが最強って言う理由は圧倒的にそれや、と田口が口を挟むが、賀張は田口の意見をバッサリ斬って捨てる。
いーや、違うぞ!
圧倒的な安定感、それも確かに大事だ、大事だが……
いいか、何でフェートローガンが東海公営最強馬なのか?
はっきり言おう、最強の称号は奪い取るものなんだ!
賀張の熱弁を聞き、直子はポカーンとする。
「東海最強の称号争奪競走、みたいなのがあるんですか?」
直子は素直に疑問を口にした。
今回はしっかり口にしようと思った内容である。
「そんな
賀張はそう言いながら何故だか直子をビシイッと指差し、言い終わってもそのままの姿勢で悦に入った表情を浮かべている。
「カバリン、ちょっと回りくどくてウザい。ストレートに言いなさいよ」
富士田彩がそんな賀張に呆れた、というように先を促す。
直子も心の中で「そうだ、そうだー」と思った。
「ストレートに、とな? そうだそうだ、とな? ならばド直球、小松のストレートのようにズバッと教えよう!」
中日が6年ぶりに優勝したため、テンションの上がった賀張はなぜか中日のエース小松に例えた。
「最強の称号は奪い取る相手に勝ってこそ、得られる!
フェートローガンは、前の東海最強馬ナカオライデンを下して東海最強の称号を勝ち取ったのだ!」
「去年の東海ゴールドカップやね! あれは堅い決着やったで!」
「前の直接対決、名古屋大賞典で完膚なきまでに負けたのに、年末の大一番で見事に下剋上を果たしましたからね!」
賀張だけでなく、田口とバイト学生高畑も交え、男どもはまたしても盛り上がる。
「ナカオライデンは、東海ゴールドカップ敗北後、7月27日の復帰戦サマーカップを快勝して、本来だったらオールカマー出走目指してたんですが骨折してそのまま引退しちゃいましたからね、残念でした」
「だが、例えナカオライデンが健在だろうと、年末の大一番で下したフェートローガンに東海最強の称号は移ったのだ!」
賀張の前にバイトの男子学生高畑が言った一言が、直子は気になった。
「あれ、オールカマーって言えば確か、東海の馬優勝してませんでしたっけ」
2,3週間ほど前の夕方のニュースで報じていたように記憶している。
その後の自粛ムードで一度しか目にしていなかったが、へー、そんなオウマさんがいたんだなあ程度の感想は持ったので、何となく覚えている。
「オールカマーを勝ったお馬さんは、東海最強にはならないんですか?」
賀張を始めとした男どもは、直子の言葉にむむむ、と口を閉じて黙り込む。
「直ちゃんさあ、あんまり鋭いこと、言わんといてくれる?
実のところ、フェートローガンとアグリキャップ、どっちが強いんか? ってのは論が分かれとって謎やったんや、これまでは。
でもなあ、遂にその2頭、直接当たるらしいんや、東海菊花賞で!」
田口の言葉を受けた賀張が腕を組みつつ、もったいをつけたように言う。
「もし対決が実現したら、馬券的には『東海公営最強』フェートローガンと『若武者』アグリキャップ、この2頭の枠連を買っておけば、まず間違いない。
ただなあ、どっちが上かを決める戦いだからなあ、それじゃあ面白くないのだよ。
やっぱり単勝勝負でないとな!」
「ほんで頭悩ましとんねん、なあ、高畑」
「そうなんですよね、おそらくどっちも斤量は背負うことになるでしょうから、これまで負担斤量そんな背負ってなかったアグリキャップが不利だろう思うんですけど、次戦の東海クラウンで一番重い斤量になりそうですからね。ここ次第でしょうね」
「そうなんよ、フェートローガンのここ2戦は、ナカオライデン並みの負担斤量になったせいで2着2回やからな。まあ先頭に立った後の内へのささり癖もあるけど」
「まあ、アグリキャップの次戦、東海クラウンとフェートローガンの次戦、中京のオパール特別見てみないと判断できんがな」
またしても男どもは、やいのやいの言い出す。
「……いい加減、長いわね。ここは競馬ガッツ! 編集部なのかしら」
富士田彩が、さすがに呆れたように言う。
「ねえ、カバリン。私と直ちゃんは笠松競馬場の取材をするってことでいいわよね、もう付き合ってられないわ。
もう今日は直ちゃんと帰るわよ。東海最強馬は好きに決めてちょうだい」
帰りましょう、と彩に促され、直子はバッグに筆記用具とノートをしまい、お疲れ様でした、と男達に声を掛けて彩の後を追う。
「お疲れー、じゃあ笠松の取材はよろしくー」と後ろから賀張の声が追っかけて来た。
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