これまでの登場人物

登場人物 一覧


※1988年9月末頃の登場人物です。本編では触れていない部分も多少あります。


◆アグリキャップ関係者


阿栗あぐり孝市こういち

 58歳。アグリキャップの馬主。岐阜市でガス器具製造会社の他、薬局も営んでいる実業家。過去、アグリキャップ調教師久須美の師である笠松競馬の調教師から「笠松を盛り上げるため」と口説かれ笠松競馬の馬主になった。

 過去に所有していた牝馬「スマイルワラビー」を、一度訪れただけの稲穂牧場の跡取り、稲穂裕司に懇願されて小分けの繁殖牝馬として稲穂牧場に預ける。「スマイルワラビー」の6番目の仔がアグリキャップ。

 昨年10月に笠松競馬で連戦連勝していたアグリキャップを中央競馬で走らせたいという売却話を佐梁さはりという馬主に持ち掛けられ、一度はアグリキャップの力を試すためにと売却に心が動いたが、やはり自分が責任を持ってアグリキャップを走らせたいと思い直し売却話を断る。

 久須美との念願だった「東海ダービー」をアグリキャップが制した後、やはりアグリキャップは笠松で終わらせる馬ではないと思い、中央競馬の馬主資格を取るべく申請している。


久須美くすみ征勇まさお

 51歳。アグリキャップを預託されている久須美厩舎の調教師。元は騎手だったが、若いうちに調教師に転向し、師匠だった調教師の引退と入れ替わるように開業する。開業したての頃はアラブ馬の預託が中心だったが、徐々にサラ系の馬の預託も増やし、いつか創設された「東海ダービー」を取ることを目標としてきた。

 昨年10月のアグリキャップ売却話には猛反対した。その後、念願の「東海ダービー」をアグリキャップが制したことと、東海ダービーでのレースの様子から阿栗がアグリキャップを中央で試したいと言い出した時には後押しした。

 スマイルワラビーの現役時代の調教師でもあり、スマイルワラビー産駒は全て久須美厩舎が預かっている。

 レースに勝利した後は、馬主の金でキャバレー等でパーッと騒ぐのが好き。本人曰く勝てそうな馬を見つけたり管理馬が勝てそうな時はネオンサインの明かりが頭の中で見えるとのこと。


安東あんどう克己かつみ

 27歳。笠松競馬所属で、アグリキャップの主戦騎手。「カラスが鳴かない日があってもアンカツの勝たない日はない」と言われる笠松競馬№1騎手。17歳で騎手デビューし、3年目から笠松競馬のリーディングジョッキーを9年連続で取っている。

 中央競馬の騎手交流戦にも積極的に参加しており勝利も挙げているが、アグリキャップのオールカマーで遂に中央競馬での重賞初勝利を挙げた。

 中央競馬の騎手にはコンプレックスと憧れを抱いているが、自身の騎乗技術で勝っている部分もあると分析している。

 中央のレースにもっと乗ってみたいと思う反面、それが夢物語のようなものだと諦めもしている。

 安東克己のアグリキャップ評は「こちらの指示に素直に従い続ける忍耐力と、一度加速しだすといつまでも最高速度で長く良い脚を使えるどえらい馬」である。


川洲かわす

 26歳。アグリキャップの担当厩務員。アグリキャップの2代目担当で、前に担当していた厩務員が突然久須美厩舎を辞めたため、急遽担当することになった。アグリキャップの世話を献身的に行っており、前担当者が辞めた後、アグリキャップの蹄が蹄葉炎を起こしているのを発見し、治療に当たった。

 素直な性格で久須美厩舎の他のスタッフからも信用されている。


毛受めんじゅ

 42歳。久須美厩舎の調教助手。大学まで馬術部に所属していた。久須美厩舎では久須見の片腕として信頼されており、オールカマーの際は久須美の指示に従い新潟競馬場での調教を担当した。


稲穂いなほ裕司ゆうじ

 34歳。北海道三石郡三石町にある小さな競走馬生産牧場「稲穂牧場」の跡取り。 

 寡黙で今一つ自信と積極性が持てない性格。

 大学卒業後、実家の牧場を手伝い始めたが、父母には堅実な職業に就くようにと当初反対されていた。自分が牧場を継ぐという熱意と、大学時代からの彼女との結婚を両親に認めて貰おうと、一度だけ稲穂牧場に立ち寄ったことのあった阿栗と久須美に「スマイルワラビー」の預託を岐阜まで来て直談判するという一世一代の思い切った行動を取る。

 その後、結婚した妻と別れて以降、惰性のように牧場の仕事を行っていたが父の富士夫に牧場を畳むことを持ち掛けられたことをきっかけに奮起するようになる。

 稲穂牧場でこれまで生産したアグリキャップを含む馬は、全て父の富士夫が生産したものと思っていたが、「東海ダービー」を父富士夫の代理のつもりで観戦した際に阿栗から父の富士夫が裕司を認めていたことを知らされ、以降は少し自信がついた様子である。

 牧場の手伝いの布津野とセラフィーナとも良い関係を保ち、布津野からは「専務」と呼ばれる。


稲穂いなほ富士夫ふじお

 65歳。稲穂牧場牧場長。稲穂裕司の父親。妻のシズ子と共に元は田だった土地を競走馬の生産牧場にした。

 寡黙な性格で思っていることをなかなか口にしない。それもあって裕司の妻に素直に接することができず、変に気を遣ってしまった結果、裕司の妻を思い詰めさせる結果となった。

 裕司の離婚と、妻シズ子の脳出血とその後遺症の介護等が重なり、60歳になる直前に稲穂牧場を畳むことを裕司に相談する。裕司の賭けのような提案によって稲穂牧場を存続させることにした。

 従業員の布津野からは「社長」と呼ばれている。


●稲穂シズ子

 64歳。稲穂富士夫の妻で裕司の母親。富士夫と共に2人で田を牧場にして競走馬の生産を始めた。稲穂牧場は裕司が戻って来るまでは富士夫とシズ子の2人だけでやっていた。富士夫程ではないが、あまりお喋りは得意ではない。

 それもあって裕司の妻に変に気を遣ってしまった結果、仲がギクシャクするようになってしまった。

 裕司の離婚後程なくして脳出血で倒れ、右半身に重篤な麻痺の後遺症が残り、それまで行っていた牧場の仕事や家事が行えなくなった。普段の生活も富士夫の手を借りなければならなくなり、息子の裕司に失禁の後始末をしてもらった際には情けなさで死にたいと漏らす程だった。

 従業員の布津野とセラフィーナが牧場の手伝いをするようになると、二人には心を開くようになり、セラフィーナのマッサージ等で奇跡的に麻痺が回復。現在では牧場の力仕事は行わないものの家事は食事の用意や洗濯など一人で出来るようになっている。

 従業員の布津野には「副社長」と呼ばれる。


布津野ふつの顕元けんげん

 29歳。大学卒業後にドイツの競走馬の生産、育成牧場で3年間働いていたらしい。

 稲穂牧場には4年前、アグリキャップ出産の前にセラフィーナと共に現れ、日本の生産牧場の現場で働きたいと言ってやってきた。無給でも無休でもいい、と言って渋っていた稲穂富士夫に半ば強引に雇ってもらうことになる。

 馬の扱いは上手く、臆病な馬や気性の荒い馬でも警戒心を解きコミュニケーションを取れる。毎年稲穂牧場では生産が忙しくなる10月~6月まで働き、7~9月は長期で休んでいる。今年は夏の間、岐阜の美山育成牧場で育成の手伝いをしていた。7月~8月に美山育成牧場に放牧に来たアグリキャップの世話をし、乗り運動も行う。


●セラフィーナ=ヒュッティネン

 29歳。スウェーデン出身で布津野とは留学に来た日本の大学時代に知り合ったとのこと。布津野曰く、布津野に着いてくるそうである。

 金髪碧眼で色が白く美しい容姿なのだが、何故か周囲の男性には恋愛や欲望の対象としては見られていない。

 性格は朗らかで、大らか。片言の日本語だが、様々な単語や言い回しを使いこなす。

 彼女のマッサージは時間はかかるが稲穂シズ子の脳出血後遺症を癒す程である。

 布津野と同じく毎年稲穂牧場で10月~6月に働き、夏は長期で休んでいる。

 今年の夏は布津野と共に美山育成牧場で育成に携わり、9月18日のオールカマーを稲穂牧場の代表として観戦した後、おそらく阿栗に取ってもらった飛行機で北海道の稲穂牧場に戻った。

 

芳田よしだ

 48歳。岐阜県山県郡美山町にある、美山育成牧場のただ一人の従業員。

 美山育成牧場は、笠松馬主会の後援を受けて笠松の五島調教師の妻が開設した育成牧場で、笠松競馬の厩舎に入厩する馬はここで競走馬としての馴致を受ける。五島調教師の妻は事務仕事は行うが、育成実務に従事するのは芳田のみ。そのためあまり1頭1頭に時間をかけていられないのが実情。

 今年は布津野とセラフィーナが夏の間だけ働きに来たため、2歳馬の馴致の他に笠松の休養馬の受け入れも何頭か行った。アグリキャップはそのうちの1頭。

 芳田は2歳時のアグリキャップの馴致も行った。



◆笠松、中央の騎手


河原かわら章一しょういち

 28歳。笠松競馬所属の騎手。安東克己と同期だが、安東よりも一つ年上。

 安東との仲は悪くはないが、互いに意識する部分はある。

 前年1987年の東海ダービーを勝利している。

 東海ダービーでは過去アグリキャップに2回土をつけた馬、マーチトウホウに騎乗。全力でアグリキャップを負かしに来るが、馬の地力の差で破れる。

 その後アグリキャップ放牧中に開催された岐阜王冠賞でマーチトウホウを勝ちに導く。


安東あんどう満彰みつあき

 28歳。笠松競馬所属の騎手。安東克己の兄。元々満彰が先に馬に興味を持つようになり、笠松競馬の厩舎に出入りするようになったところ、弟の克己も一緒に着いてくるようになった。

 騎乗技術は安定しており、現在の笠松TOP3に入る(他は克己と河原)。

 時に闘志が表に出る克己とは違い、闘志を内に秘めて静かに勝利を狙うタイプ。

 東海ダービーではトミトシシェンロンに騎乗し、冷静な騎乗で3着に入る。


今藤こんどう次郎じろう

 24歳。笠松競馬所属の騎手。7年目。笠松の中堅騎手で昨年ようやく100勝目を挙げた。今年はキャリアハイのペースで勝利を重ねており、自信もついてきて思い切った騎乗もするようになっている。

 東海ダービーではフミノノーザンに騎乗。アグリキャップにハナ差で破れた。


刑部おさべ行雄ゆきお

 41歳。中央競馬美浦トレセン所属のフリー騎手。

 4年前に「日本競馬の皇帝」に騎乗し、史上3頭目となるクラシック3冠を達成する。現在、日本で最も上手さと強さを兼ね備えた騎手。日本で初めてのフリー騎手となり、騎乗依頼はエージェントを通して受けているが、まだ中央競馬の東西の隔たりは大きく、関東中心の騎乗が多い。

 オールカマーでは2冠牝馬マキシムビューティーに騎乗。


海老沢えびさわ 清二 せいじ

 37歳。中央競馬美浦トレセン鳴海矢厩舎所属の騎手。

 オールカマーでアグリキャップと戦ったスズエレパードの主戦騎手。

 苦労人で昨年スズエレパードで勝ち取った宝塚記念がGⅠ初勝利。「いぶし銀」と呼ばれており、派手さはないが馬の力を順当に引き出す騎乗が多い。




◆他の馬主等関係者


鷹端たかはし義和よしかず

 東海ダービーに出走したトウコウシャークの馬主。笠松競馬だけでなく中央競馬(JRA)でもマルヨウという冠名で馬を走らせている。

 阿栗が中央競馬の馬主資格を取ることを考え始めた時、相談に乗ってもらっていた。

 また、現在東海公営最強馬と目されている馬の馬主でもある。


小田中こだなか靖子やすこ

 東海ダービーでアグリキャップが居なければ勝っていた牝馬、フミノノーザンの馬主。東海ダービー終了後、フミノノーザンを美山育成牧場に放牧に出したが、その後中央競馬の馬主である伊佐野にフミノノーザンを売却する。


伊佐野いさの

 小田中靖子からフミノノーザンを購入し、秋シーズンから中央で走らせようとしている馬主。

 ちなみに本編に出すかわからない(おそらく出ない)が、彼は今年生まれたとある抽選馬の牝馬を購入する。その牝馬はクラシックGⅠを取る。


佐梁さはりいさお

 昨年10月に、阿栗孝市にアグリキャップを中央移籍させるため売却を持ちかけた馬主。

 競馬はビジネスであると公言しており、地方の競馬場で目立った成績を残している馬を買い取り、勝てる競馬場で走らせて利益を上げるスタイル。

 3年前の東海菊花賞、東海キング、名古屋大賞典の重賞3つを制したカウントステップと言う佐梁の馬は、元々岩手の水沢競馬場で敵なしだったのを元の馬主から買い取った馬であり、賞金額の高い大井、川崎の南関東で一度走らせたが勝ちきれないと見るや名古屋に転厩させ4戦3勝させると次年度には再度南関東に戻した。

 このため、東海公営の他の馬主からは非常に胡散臭く思われている。


和多わだ共紘ともひろ

 「日本競馬の皇帝」を出した「ヨソリノ」の冠名のオーナーブリーダー。冠名の「ヨソリノ」は初代が牧場を作った地、千葉県の旧牧、四十里野牧にちなんでいる。

 見込んだ所有馬は自分の牧場へ放牧に出させ、牧場で調教を行い馬を鍛えることが多く、かつての「皇帝」もそれで強くなったため預託している調教師は意見を言いづらい。だが、その方法が合う馬と合わない馬がおり、アグリキャップとオールカマーで戦ったファブリックなどは合わずに低迷した。

 オールカマーに来場していたかは不明。


喜田よしだ善哉よしや

 競走馬の生産、育成で最大手のシラオイグループの総帥。オールカマーに本人が馬主のブランニューデイが出走。来場していたかは不明。


高田たかだ美佐江みさえ

 年齢は30代後半くらい。アグリキャップのオールカマー勝利後、阿栗たちを祝福した後に名刺を手渡し「力になれることがあればご連絡下さい」と言って立ち去った女性。

 名刺にはグレイトフルレッドファーム代表と記されていたが、本人によれば夫が殆んど全てを行っており、彼女は名ばかりの代表とのこと。




◆その他の人物


もり茂雄しげお

 27歳。名古屋市に住むアルバイター。警備会社でアルバイトをしているが、建設現場等の雑踏警備が主。警備のバイトは日当の9千円を当日支払ってもらえることが魅力。

 中部地方の県出身で大学は名古屋の三流私大に進学したところ、警備のバイトを始め、涌井と知り合ってギャンブルにハマった。大学卒業後に地元で就職したが、仕事が嫌になり、また名古屋に戻って警備のバイトに復帰し自堕落な生活を送っている。

 東海ダービーを涌井と観戦。アグリキャップが嫌いでマーチトウホウ好き。


涌井わくい

 年齢不詳。7年前に50歳は過ぎていた。通称ワクさん。 

 森茂雄とは7年前に警備のバイトで知り合う。当時20歳過ぎの森茂雄と現場が一緒になることが多く、共通の話題としてギャンブルで盛り上がる。やがて一緒に競馬場に行くようになった。

 森茂雄が地元に就職した後、再び名古屋に戻り警備のバイトを再開した時には警備のバイトを辞めていたが、競馬場で再会する。

 いつも競馬場や競艇場に入り浸っているので、森茂雄が人恋しくなった時には競馬場に来て、涌井を探し共にダラダラ過ごしている。

 生計は、時々バイトをしたり知人に頼まれたことをこなして報酬を得ているらしい。競馬の予想は真剣で、予想を楽しんでいる。本命には逆らわない。


追川おいかわアナウンサー

 東海公営の名古屋、笠松の場内映像のアナウンサー。場内映像は後にケーブルTVや深夜の地方競馬のミニ番組で使われているため、東海公営のディープなファンの知名度は高い。


大束おおつかひろしアナウンサー

 新潟放送のアナウンサー。中山競馬場の改修のため新潟競馬場で開催されたGⅢオールカマーの中継を担当した。

 新潟開催時の競馬実況を担当しているが、何と言うか落ち着きが凄く、レース中に全頭の紹介に至らない。


山川やまかわ幸次郎こうじろう

 競馬解説者。「スパーク!競馬」内の中継で、新潟競馬場から大束アナと共にオールカマーの解説をする。

 競馬紙に勤めていた頃の1961年9月3日に、中山開催全レースの単複を的中させるパーフェクト予想を達成している。以降合計4回のパーフェクト予想を成し遂げ「競馬の神様」の異名を取っている。







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