第22話 自堕落の延長線上
9月末日、夜の8時頃に森茂雄の家に電話がかかってきた。
森茂雄は滅多に鳴ることのない電話が鳴った事に驚いたが、単に連絡してくる知人が少ないだけのことのため、
電話番号の表示は無く「コウシュウデンワ」の表示。
「もしもし、シゲちゃん?」
電話はワクさんからだった。
先日、名古屋競馬場の後食事をした際にワクさんに番号を伝えている。
ワクさんは住んでるところに電話を引いていないのかも知れない。
「ワクさん、どうしたの。明日競馬行こうってお誘い?」
「いや、それもあるっちゃあるけど、明日開催あるんは笠松やろ? 笠松は今ちょっと遠慮しときたいんや。予想して馬券買うだけやから場外でええかなって思とる。それやとシゲちゃん、つまらんのやろ?」
茂雄は、競馬場で馬を見ながらでないと何となく馬券を買うのが嫌だった。
結局ギャンブルをしているのだが、実際に馬が走らない、映像のみの場外馬券売り場は、まさにギャンブル目的の社会の底辺が集まる場末の鉄火場という感じがしてしまうのだ。
傍から見れば自分だって同じく馬券で一喜一憂しており、やっていることは変わらないというのは自覚している。
本当に安いプライドだ。
「その、こないだの話や。11日の夜って伝えとったと思うんやけど、変更。来週の火曜、4日の夜に頼むわ」
この間、ワクさんにステーキを奢ってもらった時、11日の夜に車を出して欲しいと頼まれた。
茂雄は承諾したのだが、結局理由などはのらりくらりで教えてもらえなかった。
乗っけてもらうのはワシ一人だけやし、距離もそんな遠いところやない。何やったら謝礼に上乗せしてガソリン代かて払うし、という要領を得ないものだったが、茂雄はワクさんだったらまあいいかと思った。
そんなに信頼しあう間柄ではないが、少なくとも茂雄を騙すようなことはしないという部分だけは、これまでの付き合いの中で信用していた。
「わかった。じゃあ迎えに行く場所は、こないだ言ってたとこでいい?」
「ええよ。ほんで時間なんやけど、夜10時半で頼むわ」
「了解。じゃまた」
「はいよ、よろしく」
10月4日の夕方。
森茂雄は愛車のアルトワークスで、ワクさんとの待ち合わせ場所である中川区の国道1号線三日月橋付近の大型パチンコ店に来た。
時間はバイトが終わって一旦アパートに戻りバイトの制服を着替えた後すぐに来たため、まだ19時前だ。
森茂雄はワクさんとの待ち合わせの時間までパチンコを打とうと思っていたので、早めに来たのだ。
小雨がパラつく天気で、車から店舗への移動時に濡れたくないのでなるべく店舗の近くに停めようと思い、空いたスペースを探したが見つからなかった。
天皇の体調が連日放送され、マスコミが自粛ムードを作っているが、多くの人々は生活をそれほど変えてはおらず、パチンコ屋も何だかんだ賑わっている。
仕方なく、待ち合わせ場所として聞いていたパチンコ屋駐車場の端に車を停めて、茂雄は雨に濡れないように走って店舗に入った。
人気の権利モノ台スーパーコンビのシマは、仕事帰りの客でほとんど埋まっていた。空き台はいくつかあったが、それらの釘は一目でわかる程閉められている。
森茂雄は仕方なく羽モノ台のスパンキーで遊ぶことにした。
4枚目の500円玉をサンドに入れた時に当たりが来て、以降は出玉が呑まれる前に当たりが来るモミモミの繰り返し。
9時前に店員を呼び、森茂雄は一度食事休憩の札を掛けてもらってパチンコ店舗の近くにあるラーメン屋へラーメンを食べに行った。
ラーメン屋でチャーシューメンを注文し、何気なくTVに目を向けると、番組と番組の間のニュースコーナーで、天皇陛下の体温、脈拍などの体調を男性局アナが読み上げている。
茂雄にとっては実感の湧かない報道であり、そんな事細かに体調を全国民に流されるなんて、本当に天皇は国民じゃないから人権が無いんだな、とぼんやり思った。
食べ終わってパチンコ店に戻ると、パチンコ店の入口の脇に、ワクさんが男と連れだっているのが見えた。
茂雄は、何故か
ワクさんはナップザックを背負い、黒のジャージ上下の上にコンビニで買ったような半透明の安い雨合羽を着ていたが、男の方は派手な紫の開襟シャツにラメの入ったスーツを着て傘を差しており、どう見ても勤め人には見えない。
何か会話しているようだが、遠すぎて茂雄の位置からは内容はわからない。
男はワクさんに大き目の茶色い紙袋を渡すと、駐車場の他の車の前に横付けで停めていた黒のクラウンに乗り込むと、自分で運転し駐車場を出て行き、国道1号線を名古屋方面に走り去った。
ワクさんはというと、パチンコ店の中に入って行く。
茂雄が後をつけると、ワクさんはトイレの中に入って行った。
トイレの中まで着いて行くか茂雄が迷っていると、ワクさんはジャージ姿でトイレから出て来た。
どうやら、着ていた雨合羽を脱ぐためにトイレに入ったらしかった。手にしていた紙袋も見当たらなかったが、手に持ち替えたナップザックが膨らんでいるので、おそらく紙袋と雨合羽をナップザックに入れたのだろう。
ワクさんはそのままスーパーコンビのシマへ行き、閉店まで1時間あるかないかでボチボチ空き始めた台に座り、打ち始めた。
台を打つ時も、腹にナップザックを大事そうに抱えている。
おそらく、待ち合わせ時間の10時半まで打つつもりだろう。
茂雄は、自分が打っていた台に戻り、店員に食事休憩の札を片付けてもらうと、上下の皿の玉を流し、3分の2程貯まった箱を持ってカウンターで精算し、全てタバコと交換した後で車に戻った。
エンジンを掛けるとカーステのラジオから「♪スジャータ、スジャータ、白い広がりスジャータ♪ 褐色の恋人、スジャータのめいらくが、10時をお知らせします♪ ポーン」と時報CMが流れて来た。
待ち合わせ予定時間まであと30分ある。
パチンコの戦利品のタバコを開け、口に咥えて火をつける。
煙を吸い込むと、CABINの、薬臭い香りが漂う。
タバコの煙を吐き出し、カーステの音量を下げる。
そして考えた。
ワクさんと一緒にいた男は、どう見ても怪しい。
ワクさんに渡していた茶色の紙袋だって、怪しすぎる。
深入りしない方が良くないか。いや、深入りしない方がいいに決まっている。
今の時刻は、10時を少し回ったところ。
面倒事に関わらないのなら、今からワクさんとの約束をブッチして帰宅してしまえばいい。
ワクさんに住所は教えていない。
競馬場に二度と行きさえしなければ、もうワクさんに会うことも無くなる。
電話が掛かってくるくらいだろうから、公衆電話からの着信は無視すれば……
いや待て。
もし、今日の約束をブッチしたとして、用事を果たせなかったワクさんが、紙袋を渡した男に俺のせいで用事を果たす事ができなかった、と言ったとしたら……?
ワクさんはおそらく使い走りにされてる。
ボコられるだろうが、責任転嫁で俺に責任を
いや、筋者もそんな暇じゃないだろうから、わざわざ電話番号から俺を探し出してケツを取るなんてことはしないだろう。
だが、よく考えればワクさんは俺のバイト先を知っている。筋者が調べようと思えばバイト先に嘘の電話をして俺の住所を聞き出すなんて、簡単なことだ。
茂雄は頭を抱えた。
迂闊にもタバコを咥えたまま頭を抱える動作をしたため、上着の右腕部分にタバコの火が当たってしまい、少し焦げた。
くそっ! 何やってんだ!
上着を焦がしたこともそうだが、何よりワクさんの頼みを安請け合いした自分の迂闊さに腹が立つ。
半分ほど火が残ったタバコを、乱暴に灰皿に押し付けグリグリと押し消す。
そんなことで気は晴れない。
どうする?
ワクさんと一緒に居たのが筋者っていうのも、見た印象に過ぎない。実際は違うかもわからない。
ブッチしたらワクさんが俺に責任転嫁するっていうのも想像に過ぎない。
やはり、関わらずに帰ろう。
茂雄がそう決めて車を発車させようとしてサイドブレーキに手をかけたところで、茂雄のアルトワークスが停まっている前のスペースを通過しようとするバンのヘッドライトが横合いから前を照らした。
仕方なくそのバンが通過するのを待つ。
タイミング悪いな。
バンが通り過ぎた。
そこには、茂雄の車のヘッドライトに照らされてワクさんが居た。
ワクさんは、小走りで茂雄のアルトワークスに駆け寄ってくる。
茂雄は駆け寄るワクさんを見てアクセルを踏むことはできなかった。
下手したらワクさんを巻き込んでしまう。
ワクさんはアルトワークスの助手席のドアを開けると、助手席に乗り込んだ。
「シゲちゃん、着くの早かったやん、驚いたけど助かったわ」
茂雄のアルトワークスの助手席に乗り込んだワクさんは、シートベルトを律儀に着けながら、茂雄にそう話しかける。
「ワクさんこそ。まだ10時過ぎたばかりなのに」
「ああ、実はそこでコンビ打っとってな。10時前にアタリ来て、交換しとったら景品買取所からシゲちゃんの車、もう来とるの見えたから。腹減っとらん? 奢ったるで」
呑気な調子でワクさんは言う。
茂雄がワクさんともう一人の男が話していたのを目撃したのは気づいていない様子だった。
「ここ来る前に晩飯食べたばかりだから、いいよ」
「そうなんや。ならまあ、帰りに腹減っとるようやったら何か奢るわ。じゃあシゲちゃん、車出して。1号線、弥冨まで行ったら155号、津島方面曲がって。あとはおいおい教えるわ」
茂雄はワクさんの言葉通り、アルトワークスを発進させた。
ちらっと助手席のワクさんを見ると、ごそごそと腹に抱えたナップザックをかき回している。
ワクさんはナップザックから茶封筒を取り出すと、茂雄の前のダッシュボードに置く。
「シゲちゃん、とりあえず謝礼置いとくわ。5万入っとるから」
茂雄が思った以上の金額だった。
「ワクさん、最近妙に金回りいいじゃない。何かいい仕事でもみつけたの」
「いや、そんなことないで。入った先から金飛んでくわ」
またしてもワクさんは
「こないだ、名古屋競馬でワクさんの財布の中、見えたんだ。凄い札束入ってたよね。言っちゃ悪いけど、ワクさんに似つかわしくないくらい」
「何やシゲちゃん、人が悪いな。あんまり人の財布ん中身、見るもんやないで」
尚もワクさんは
茂雄は、そんなワクさんに対して少しイラッとした。
「こないだの競馬だって、何か結果わかってるような口ぶりだった。ワクさんらしくもない。いつもだったら締め切り直前まであーだこーだ悩んでるのに」
「まあ、何となく勘が冴える時ってあるやない? こないだはめっちゃ調子良かっただけやって」
茂雄はそんなワクさんの返答に、怪しさよりも苛立ちの方が勝った。
急ハンドルを切って、車をコンビニの駐車場に入れる。
「なんや急にシゲちゃん。何か買うんやったら、奢ったるけど」
ワクさんは、茂雄の急ハンドルで体を激しく揺さぶられたのに、あいも変わらず呑気な調子でそんなことを口にする。
茂雄は、苛立ちに任せて声を荒げて言った。
「ワクさん、何だよこないだから! のらりくらりで何も意味わかんないよ! 金さえ払えばいいって思ってんの! バカにすんなよ! 目的とか本当のこと言わないつもりなら、俺はもう付き合ってらんない! 勝手にやってくれ!」
茂雄の剣幕に、ワクさんは驚いた様子だった。
「シゲちゃん、怒っとる?」
「当たり前だろ! 本当のこと言わないんだったら、もうここで降りてよ! 俺は帰る! こんなもん、いるか!」
茂雄はダッシュボードの茶封筒を掴み、ワクさんに投げつけた。
ワクさんは、投げつけられた茶封筒が床に落ちそうになったのを慌てて掴む。
その拍子にワクさんの腕が当たり、絞っていたカーステの音量が少し上がる。
ワクさんは情けない声で「シゲちゃん、そんなこと言わんといてや。……シゲちゃんに連れてって貰わんと、ワシ、困るんや」と言った。
そのワクさんの態度がまた茂雄の怒りに火を注ぐ。
「いい加減にしろよ! 何だよヤクザに何か頼まれたのか? だったら勝手にやってくれ! 俺を巻き込むな! 早く出ろ! 出ろよ!」
そう言って茂雄は助手席のワクさんの肩を突き飛ばした。
ワクさんは助手席のドアに上半身をぶつけたが、車を降りようともせずに、ただ怯えつつ縋るような目で茂雄を見るだけだった。
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