コラム的な話 現在と1988年当時の競馬の違いについて




 余談かも知れませんが、1988年当時の競馬の状況について、書いておいた方が物語の理解に役立つかと思い、この項を書くことにいたしました。

 内容は私のエッセイである「思いつくままの小説じゃない駄文集」に書いたオグリキャップのエッセイと被るところもありますが、あちらよりは簡単にご紹介したいと思います。


 まず、第11話で書きましたアグリキャップのローテーションについて。

 1988年当時、オールカマーだけが地方競馬所属の競走馬が中央競馬の所属馬と芝で走れるレースでした。当時はGⅢで、GⅡに格上げされたのは1995年の交流元年です。

 オールカマーが地方馬招待競走になる以前は1973年から1985年まで、地方競馬招待競走が中央競馬の競馬場で、中央競馬招待競走が南関東の大井競馬場で、毎年交互に開催されていましたが、1986年から両競走を廃止し、オールカマーが唯一の地方競馬招待競走となりました。

 そしてオールカマーの勝者には、現在では天皇賞秋への優先出走権が付与されますが、これは2014年からで、それ以前はジャパンカップの優先出走権でした。

 ……と記憶していたのですが、ジャパンカップの優先出走権については、明確に記されているものがWEB上では見つかりませんでした。もしかしたらダビスタⅢだけだったかも知れません。

 ただ、ジャパンカップに地方馬招待枠はあり、オールカマーで最先着した馬は出走できましたので、この話のアグリキャップはこれを狙っていくということになります。


 その他、この当時の競馬について今とは違うところを上げていきます。


 まず一つ、中央競馬と地方競馬の間の中央競馬側交流戦がオールカマーしかないように、地方競馬同士の交流重賞も、かなり少ないです。

 1988年時点では、 

・大井競馬場で行われる帝王賞 1986年~

・笠松競馬場で行われる全日本サラブレッドカップ 1988年~1994年

・岩手県水沢競馬場で行われるダービーグランプリ 1986年~

 この3つだけでした。

 次の年の1989年からホッカイドウ競馬主催のブリーダーズゴールドカップが始まりますが、それでも各地方競馬の強豪馬が他地区まで遠征に行くというのは稀なことで、ほとんどの地方競馬所属馬は、所属する競馬場か近隣エリア競馬場のレースを走るだけだったのです。

 ですから、中央競馬のレースに出したい、あるいは他の地方競馬のレースに出したいとなったら移籍させるしかありませんでした。


 さらにもう一つ、1988年は中央競馬でグレード制が施行されて5年目です。

 まだ現在ほど重賞の数は多くなく、特にGⅠは次の15レースしかありません。

・桜花賞

・皐月賞

・天皇賞・春

・安田記念

・優駿牝馬(オークス)

・東京優駿(日本ダービー)

・宝塚記念

・天皇賞・秋

・菊花賞

・エリザベス女王杯

・マイルチャンピオンシップ

・ジャパンカップ

・朝日杯3歳ステークス(現・朝日杯フューチャリーステークス)

・阪神3歳ステークス(現・阪神ジュブナイルフィリーズ)

・有馬記念

 クラシック等の世代限定GⅠを除くと、古馬GⅠは7レースです。

 また、レースの性格自体も違っているものが幾つかありまして、エリザベス女王杯は4歳牝馬のクラシック路線最終レースの位置づけで、後年秋華賞が誕生するまでは古馬牝馬は参加できませんでした。

 朝日杯3歳ステークス、阪神3歳ステークスも、それぞれ東西の3歳チャンピオン決定戦の位置づけで、どちらも牡馬牝馬混合戦でした。1991年に牡馬と牝馬の3歳チャンピオンを決める形にしようということで阪神3歳ステークスが阪神3歳牝馬ステークスとなり牝馬の3歳女王決定戦に変更、朝日杯3歳ステークスが牡馬の3歳王者決定戦になりました。

 1988年以降で新設されたGⅠレースは1990年にスプリンターズステークス、1996年に高松宮記念、NHKマイルカップ、秋華賞となります。


 現在の24に比べるとGⅠタイトルは狭き門です。


 また、地方競馬の重賞は各競馬組合ごとに重賞という扱いで、賞金額や長年開催されたその地方ごとのレースの格の違いというものはありましたが、まだJapanⅠやSPⅠなどの体系付けはなされていません。



 それと、馬券についてですが、地方競馬はその競馬場の馬券売り場か、提携している同地区の地方競馬場の馬券売り場と、場外馬券売り場を設けているところはそこまで足を運んで購入する必要がありました。

 中央競馬についても全国の中央競馬の競馬場窓口と場外馬券売り場で購入できるレースはGⅢ以上のグレードレースに限られており、未勝利戦や条件戦、平場のオープン戦などは関東、関西の地区ごとの競馬場か場外馬券売り場で購入しないといけませんでした。

 そして未勝利戦や条件戦、平場のオープン戦に遠征してくる馬というのも少なく、関東の競馬場では美浦トレセンの馬が、関西の競馬場では栗東トレセンの馬が走っていることが殆どでした。GⅠのステップレースも同じ地区のレースを使う馬が多かったのです。

 また当時は、ハイセイコーという例外が一時期あったものの、競馬に関心のある人は例外なく馬券を買ってギャンブルを目的とする人が殆どでした。

 このためスポーツ新聞や競馬新聞は関東なら関東、関西なら関西の馬だけを取り上げることになります。編集部が馬券を買えない地区の馬の情報を載せても売れないと判断していたからです。

 そして情報伝達手段も今のように発達していたわけではないので、新聞などの媒体を除くと他地区の情報が入って来ることも少ない状況でした。

 東西の競馬ファンにとっては、GⅠGⅡでないと他の地区の馬を見ることが殆ど無いと言ってよく、今以上に東西の競馬ファンや関係者の意識は分かれていて対抗意識が強かったのです。

 東京や中山で開催されるGⅠに出走する関西の有力馬は「関西の秘密兵器」、阪神、京都で開催されるGⅠに出走する関東馬は「関東の刺客」などと呼ばれたりしていました。

 

 こうした状況の隙間を縫って馬券購入代行(ノミ屋)がヤクザのシノギとして成立してもいました。


 また、1988年当時に販売されていた馬券の種類は、単勝、複勝、枠連のみです。

 馬連が中央競馬で販売されるようになったのは1991年から。

 当然地方競馬も単勝、複勝、枠連のみでした。

 レースで出走馬は8枠のどれかに割り振られ、複数の馬が1つの枠に入ります。枠連はその枠内の馬のどれが来ても良いので、有力馬が複数の枠にバラけると当たりやすくなります。

 そんな中で有力馬は単枠指定というものを受けました。

 その馬が来ないとその枠は当たらない訳です。

 それだけ勝利が有力な馬である、と主催者から認められたのが単枠指定です。


 この当時の単枠指定馬というのは、相当に強いと認められた栄誉と言っても良かったのだということを知っていただけると幸いです。



 最後に、本当に余談ですが1975年に中央競馬の中京競馬場で開催された地方競馬招待競走で、中央競馬出走馬を差し置いて、笠松所属のリュウアラナスとダイタクチカラがワンツーフィニッシュを飾りましたが、ダイタクチカラがオグリキャップの生まれた稲葉牧場産で、この作品のザイタクパワーのモデルです。






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