第8話 人間が一番怖い

コロナ禍より前のこと。

時刻は夕方。幼稚園児の娘とスーパーで買い物をして、私はマイバッグに入った食品を冷蔵庫に入れるため、リビングに続くキッチンだけ電気を点けていた。

食品を全て冷蔵庫にしまい終えて、マイバッグをしまおうとして、リビングに出た私は固まった。

リビングの窓に、2~3歳くらいの男の子が外からべったりと張りついて、レースのカーテン越しにキッチンの明かりで照らされた、我が家の中を覗きこんでいた。


我が家はリビングの向こうには小さな庭があり、その先に広めの駐車場があって、そこは全て、我が家の敷地内。用のない人間は入って来ないはずだ。

慌てて窓に駆け寄った私は、ゾワッとなった。

駐車場の向こう、我が家の敷地の外ギリギリに、子どもの母親とおぼしき、長髪を垂らして、さながら、かの有名な貞子さんが母親になったら、こんな感じじゃないかという陰気を漂わせて、うつむいた女性が、じっと、こちらを覗いている男の子を見つめていたのだ。

とっさにドレープカーテンをひいて、家の中が見えないようにした。

とたんに窓越しに聞こえる男の子の泣き声。泣き声はしばらく続いていたが、やがておさまって、去って行った。


本来ならば、すぐに玄関から出て、「なに覗いてるんですか!? 不法侵入で警察呼びますよ!」くらい言うべきだったのかもしれない。

でも、怖かった。自分は離れた敷地外に立って、他人の家を興味津々に覗いている息子を、じっと見守っている母親と、他人の家を興味津々に覗いている男の子の二人は、明らかに『どこかおかしい』雰囲気を醸し出していた。

私もやんちゃ盛りの息子を育ててきた経験がある。おそらく言うことを聞かない子が、勝手に行動するのを、疲れて、ただ見ていることしかできなかったんだろうと想像はついた。

「よかったら、おあがりなさい」くらい言って、お茶でも淹れてあげたら良かったのかもしれない。

でも、それすらできないなにかが、その母子からはにじみ出ていた。とにかく怖かった。

その後、我が家はキッチンかリビングの電気を点ける時は、まずドレープカーテンをひいてからになった。


それから数年後のある日の昼下がり。突然、玄関のチャイムが鳴った。

時間としては少し早いが、小学校低学年の娘が帰宅したのかと思い、「はい」とインターフォンに出た。

とたんに「いたー!」という叫びと共に、ダッシュで玄関から逃げ去る男の子がインターフォンの画面に映った。

慌ててリビングの窓の外を見ると、敷地外の覚えのある場所でたたずむ、見覚えのある長髪の母親の姿があり、母親のもとに男の子が戻ると、一緒に去って行った。

あの男の子、今度はピンポンダッシュをするようになったんだ……。

「なにすんのー!?」くらい、玄関から飛び出して、言えば良かったのかもしれない。

でも、勇気を出して、玄関を開けた時には、もう誰もいなかった。

インターフォンには逃げ去った小さな背中しか写っていなかった。


あれから、ピンポンダッシュをされたことはない。

あの母子はどうしているか、正直なところ、考えたくない。

とりあえず、もう二度と、うちには来ないで欲しい。

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