中編の前




 ──結局、日が暮れるまで辺りを散策し、気配も探っていたのだが……あの芽衣モドキがなんだったのかは分からず仕舞いであった。



(え~……なにアレ? マジで、どういう存在だったの、アレ?)



 それから、自宅に戻ったソフィアはシャワーを浴びて、しばし休憩し、食事を済ませた後。


 自室のベッドに寝転びながら、己が遭遇した『ドッペルゲンガー』の事を考えていた。


 ……そうして、ひとまず出した結論は、だ。



「……色んなやつを見て来たけど、あんなのは初めて見るね」



 ポツリと、天井を見やりながら呟いた……それが、結論であった。


 そう、アレは明らかに人間ではなかった。


 というより、アレが生き物なのかすら分からなかった。



 霊的な存在ではない。



 それは、間違いない。


 幾度の転生を経て得たチート的な能力によって、ハッキリと断言出来る。あれは、そういう類の存在ではない。



 では、いったいなんなのか? 



 そこまで思考を巡らせた途端、分からなくなる。


 間違いなく、人間ではない。霊的な存在でもない。



 では、いったいなんなのか? 


 そういう生き物なのか? 


 生き物だとしたら、どうして消えたのだろうか? 



 いや、そもそも、消えるというのがおかしい。


 仮に、アレが霊的な存在だとしても、あのように一切の痕跡すら残さず一瞬で消えるなんてことはない。


 どんな霊的な存在であろうと、消滅する前は、確かに存在している。


 素質が無ければ見えないとしても、触れる事が出来ないとしても、消滅したとしても、そこには存在していたのだ。


 そう、存在しているということは、必ず痕跡が残る。


 人がそこに居れば、臭いやら足跡やらが残るように、霊的存在もまた、どれだけ隠れようが痕跡をその場に残すのだ。



 なのに……アレには、それが……いや、あるには、あったのかもしれない。



 形容しがたい悪臭という、痕跡が……だが、それが本当にアレが残したモノなのかが分からない以上は、現時点では断定出来なかった。



 ……ソフィアは、はっきりと己の強さを自覚している。



 その自覚は、自信にもつながっている。だからこそ、ソフィアはアレがなんなのか見当すら付けられないのが不気味でしかなかった。


 それに、あの体液の色もそうだ。


 前世において、動物の体液が緑色(例外はある)の世界はあった。その時のソフィアも、血の色が緑色であった。


 だが、この世界は違う。例外はあっても、基本的には赤色だ。


 とくに、人間と同サイズの生き物なら、体液の色は赤色でないとまともに動く事すら出来なくなるだろう。


 なのに、アイツは黒色だった。


 血液が空気に触れて赤黒くなったとか、そんなレベルじゃない。


 周囲の光を呑み込んで黒く輝いているとすら思えるぐらいに真っ黒で……いや、そもそも、そうだ、そもそも、だ。



(アレは、どうして芽衣の姿をしていたのだろうか……ドッペルゲンガーって、そういう存在だったかな?)



 ふと、気になったソフィアはベッドから降りると、テーブルに置いてあるノートパソコンを開く。


 これは、調べ物をする時はスマホよりパソコンの方がずっとやりやすいというソフィアの主張を受けて、両親が用意してくれたものである。


 これとは別にソフィア自身が所持しているモノもあるが、それは用途を限定している完全オフライン用なので……で、起動処理が完了したのを確認したソフィアは、ポチポチと検索を始める。



 調べるのは……『ドッペルゲンガー』についてだ。



 既に、花奈子の説明でだいたいは分かってはいたが、あれは要点だけ。もしかしたら、省いた部分にヒントがないかと思って……が、しかし。



(う~ん……色々と書いてはいるけど、どれも花奈子の言っていた事と変わらんね)



 調べれば調べるほど、アレは本当にドッペルゲンガーだったのかと疑問が生じるぐらいには、同じことばかりが書いてあった。


 いや、まあ、そりゃあそうだろうなとは思っていた。


 あのような生き物がいるならば、とっくの昔に人類が発見しているはずだ。というか、ソフィアがとっくに見つけている。


 だが、ソフィアは今まで全く気付いていなかった。


 まるで、あの時、あの瞬間、あの場所に、いきなり出現したかのように、ソフィアの探知網を容易く潜り抜けて……ん、そうだ。



 ──花奈子と言えば、アイツなら詳しいのではないか? 



 そう思ったソフィアは、花奈子へとアプリ通話を行う。メールでも良かったのだが、こういうモヤモヤはさっさと解消するに限るというのがソフィアなりの鉄則であった。



『……もしもし、なにか用?』

『ごめん、ちょっと聞きたい事があってさ。あんまり時間は書けないから、聞いてくれないかな?』

『へえ、ソフィアの方からわざわざそんな事を言ってくるってことは……なんかあったの?』



 幸いにも、即通話を切られるような感じではなさそうな反応に、ソフィアは内心ホッと胸を撫で下ろす。


 花奈子は悪い子ではないのだが、何かしらに熱中している時は非常に素っ気ない態度を取る。



 たとえば今の会話だと、今○○しているから後での一言で通話を切られる……まあ、それはそれとして。



 ソフィアは、簡潔に夕方頃の出来事……芽衣のドッペルゲンガーを見たというのを話した。


 あくまでも、客観的に。


 あと、黒い血が噴き出したとかいう部分は伏せたうえで。


 そこを知らせたところで、そういう『力』をもたない花奈子に対しては、無暗に怖がらせるだけだと思ったからだ。


 それでいて、芽衣には知らせないようにと前置きを入れる事も、忘れずに。一見、芽衣は気が強いような感じではあるが、内心は花奈子よりも臆病であるから。



『あ~……うん、わかった。幻覚とかじゃなくて、本当にそういうのがいたのね』

「アレが、ドッペルゲンガーかどうかは分からないけどね」

『そりゃあ、そうでしょうよ……う~ん、そうかあ……他の人が認識出来る、ドッペルゲンガーか……』

「なにか、心当たりある?」

『心当たりって言われてもなあ……正直、私の知識もちょっとネットと本を読めば分かる程度の知識だし……』

「なんでもいいよ、真偽不明のオカルト話でもいいからさ」

『う~ん、そう言われても……そもそも、オカルトの世界だと、ドッペルゲンガーってマイナーに分類されるからなあ……』



 大して長くはないが、短くもない話……を、最後まで話し終えた後。


 テーブルに置いたスマホのスピーカーより響くその声は、機械越しでも分かるぐらいに困惑の色が深い。


 それでいて、少しばかりの不安……いや、恐怖が滲んでいるのを、ソフィアは目ざとく感じ取っていた。



 まあ、そりゃあそうだろう。



 そういうのが好きだとはいえ、実際に関わり合いたいかと言えば、そういうわけではない。


 全てが全てそういう存在ではないのだが、一般的なイメージとしては、そういう超常的な存在は生きている者を害する……という感じだろう。



(実際、そういう感覚で居た方が安全なんだけどね~)



 内心、そう苦笑しつつも、花奈子からの返答を……すると。



『……真偽不明で良いなら、ネットのオカルト系の掲示板か、SNSとかで検索を掛けてみたら……出て来るかも』



 そんな提案を出された。ただ、『でも、期待しない方がいいよ』とも忠告された。



『昔ならいざ知らず、今のオカルト系の掲示板って業者の書き込みばかりだろうし、そもそも人が居ないから』



 ただ……少しばかり間を置いてから、花奈子は言葉を続けた。



『書き込みは期待出来なくても、その手の掲示板にはだいたい『まとめサイト』があるから、そこなら……でも、そこもあんまり期待しない方がいいかも』

「え、なんで?」

『言ったでしょ、人が居ないって。『まとめサイト』だって、要はそれだけ人気があった頃だから誰かが作ってくれただけで、今は……サイト自体が無くなっている可能性高いかも』

「あ~、なるほど」



 言われて、ソフィアは納得する。


 なんでもそうだが、人が寂れたところは全てが忘れ去られてゆく。場所しかり、物しかり、そこに違いはない。


 それがネットの世界でも、変わらない。


 管理する人が管理しなくなることから始まり、管理する人がいなくなれば訪れる人が減り、最後は誰にも知られることなく静かにサービス終了……となるわけだ。



「でもまあ、私なりに調べてみるよ。とりあえず、この手の相手は無知なままに挑むのが一番危険だからね」



 それは、幾度の転生を果たしたソフィアの、長い経験則からくる教訓でもあった。



『……あのさ、ソフィア』


「なに?」


 尋ねられた声は、どこか迷いが入り混じる……これもまた、少しばかり間を置いてからだった。



『あんまり、危ない事はしないでね』

「おや、どうしてそう思うのかな?」

『茶化さないで……私、ソフィアが傷つくのも嫌だからね。ソフィアが芽衣の為に動いてくれているのは嬉しいけど……』



 複雑な花奈子の胸中を察したソフィアは、あえて朗らかに返事をした。



「大丈夫、私はこう見えて幽霊相手には滅茶苦茶強いから」

『え、ソフィアって霊感とかあるの?』

「あれ、言ってなかったっけ? この前、私に憑りつこうとしたショタ幽霊を返り討ちにしてからの、おねショタをキメてやるぐらいには強いよ」

『──ふっ、ふふ、あんた、唐突に下ネタぶっこむの、本当に見た目とのギャップ有りすぎ』



 ──下ネタじゃなくてガチなんだけど……まあ、知らぬが仏ってやつだね、これは! 



 そう言い掛けたが、言わない。とりあえず、話題も逸れたし気分もいくらか晴れたようだ。


 最後に挨拶をしてから通話を切り……改めて、パソコンへと向かう。


 カチカチとクリック音と切り替わる画面の色合いを浴びながら……ソフィアは、遅れて苦笑を零した。



 ……本音を言えば、花奈子にも黙っておいた方が良かったのではとは思っている。



 声だけでも、ちょっと怖がっているのが分かったし、そうなるだろうとソフィアも想定していた……しかし、だ。


 アレの詳細が分からない以上、少しでも情報を仕入れておきたいので……まあ、花奈子には悪いなとソフィアは……あ。



「お、ここは生きているんだ……あ~、でも、最終更新日が3年前か……」



 花奈子の言う通り、その手の話題を取り扱っている掲示板は軒並み寂れていた。


 コメントも一日に2,3個あれば良い(それも、会話になってないけど)といったものばかりであり、大半は怪しい業者のURLとコメントばかり。


 比較的『まとめサイト』は無事に見えたが、それも見掛けだけ。


 トップページは生きていても、他のページが死んでいる(つまり、リンク切れ)場合が多く、情報取集は進まない。


 例外は、怖い話ばかりを集めたまとめサイトだが……これは創作された怖い話を集めるのが主といった感じで、ソフィアが求めている類のソレではない。


 ……まあ、創作系の中には、いちおう『実話です!』みたいなのを謳っているのもあるから、確認はするけど。



(とりあえず、ドッペルゲンガー系の話ぐらいは……これ、隅から隅まで見ろって言われたら、何日掛かるんだろ?)



 考え出すとちょっと面倒に思えてくるが、芽衣の事が心配なので気合を入れて……入れて……うん。



 ──似たり寄ったりな話だな。



 率直に、ソフィアはそう思った。


 いや、内容はみんな違うのだ。しかし、『ドッペルゲンガー』というモノに対する認識というか、捉え方の根本がみな同じなのだ。



 すなわち──分身であるということ。



 まあ、ドッペルゲンガー自体、昔からそういう扱いをされてきたっぽいので、必然的にそうなるのも致し方ない事ではあるのだが……でも、だ。



 ──あの時……あの時のアイツは、間違っても分身の類じゃなかった。



 だから、こうしてわざわざネットサーフィン(死語)してまで探しているわけだ。


 とはいえ、さすがに海外サイトにまで視野を広げるとなると、それこそ夏休み全部使っても時間が足りなく……ん? 



(──これ、荒らしの書き込みかと思ったけど、なんか違うぞ)



 その時であった。


 なにげなくページをスクロールさせていたソフィアの目が、コメント欄……その中の一つに目が留まったのは。




 “ ドッペルゲンガーには触れるな、連れ去られるぞ ”




 書かれていた内容は、それだけだった。



 だが、不自然だ。



 この手の荒らしによる書き込みは、もっと相手の気を引く(悪い意味で)目的で長文が多い。


 そうでなくとも、もっと攻撃的で汚い言葉が使われる場合が多い。何かを忠告するような形のレスをするなんて、あるのだろうか? 



(……気になって確認したら、なんだコイツ。ドッペルゲンガーを取り扱った話の全てに否定のコメントを残しているのか?)



 それに、そのコメントは一つだけじゃなかった。


 時期も、内容も、関係ない。


 『ドッペルゲンガー』を取り扱った作品の全てに、一つ残さずコメントを残している。


 中には、10年以上も前の作品や、明らかに別目的と思われる卑猥な作品(ドッペルゲンガーなんて、ほとんど名前だけ)にまで、コメントが残されていた。



 ……いったい、どういう事だ? 



 思わず、ソフィアは首を傾げる。


 ただの悪戯にしては、執念が深すぎる。


 これが特定の人物の作品に限定しているなら、まだ分かる。理由など関係なく、特定の作者に対するアンチ行為で説明が付くからだ。


 だが、これは違う。


 特定の作者や低評価と思われる作品ではなく、『ドッペルゲンガー』の名を使うモノ、それに近しい題材のモノには片っ端からだ。


 いくらコメントをコピーして貼り付けているにせよ、わざわざ一つ一つ確認して……いや、もしかして。



「……まさか、ね」



 ふと、気になったソフィアは作品のまとめではなく、その作品が投稿されていたネット掲示板の方を確認する。


 幸いにも、その掲示板はかなり大規模なモノで、ログも確認する事が可能であった。


 まあ、それでも相当な昔なので、コメントが成された中で最近の作品……それが投稿された時期のログを順々に見やっていく。



「……作品だけじゃない。この人、わざわざ掲示板の方にまで行って……何をそこまで?」



 すると、有った。


 嫌気が差した人たちが『ドッペルゲンガー』を題材にした作品を出さなくなった時期よりも前に、そのコメントはあった。


 一目で、分かる。気配が、滲み出ている。


 作品や作者や読者、掲示板の利用者たちへの執念ではない。


 オカルトのカテゴリーの中にある、『ドッペルゲンガー』に対してだけ、異常なまでに執着し、敵視している。


 人は時に、特定の人物や物や場所に対して、異常なまでに敵視し攻撃する事はあるが……架空の存在に対しても、起こりえる事なのだろうか? 



「……ん?」



 ふと、だ。


 まとめサイトではなく、掲示板の過去ログを確認していたソフィアの手が、止まった。


 理由は、その時のログに、『ドッペルゲンガー』の……いわゆる、体験談風の書き込みが……固定のネームを使っている人物の投稿を見付けたから。


 その書き込みは、わざわざ新しくスレッドを立ててまで……それを見て、それがどうにもソフィアの勘に引っ掛かった。



 ──これ、まとめサイトのアイツじゃないのか? 



 根拠は無い。だが、文章から滲み出る気配が似ている気がしてならない。


 直感的に、そうに違いないと思ったソフィアは、カチカチとログを遡りながら、その体験談の最初の投稿を探し……見付けた。



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