転生者ソフィアの初体験

葛城2号

ドッペルゲンガー編: 前編




 ──秋永・ソフィア・スタッカード。




 イングランド人の父と、日本人の母の間から生まれた彼女は、16歳になる高校1年生の美少女である。


 しかも、ただの美少女ではない。美少女を掻き集めた中でも抜きん出ていると大半の者たちが思うぐらいの美少女である。


 遺伝子と遺伝子の掛け合いが奇跡的なレベルで噛み合ったおかげなのか、その見た目は互いの人種の良いところだけを抜き出したみたいで。


 彼女が通っている学校でも、その名は知らない者がいないぐらいの美少女である。


 ……しかし、そんな彼女には、両親にすら隠し通している秘密が二つあった。



 まず一つ目の秘密は、彼女が──『転生者』であるということ。



 彼女は、己が何度転生したかと思い出せないぐらいに転生を重ねた存在である。ちなみに、人間以外にも転生した事はある。


 なので、数えきれないぐらいに様々な生涯を終えて、様々な力を有している存在でもある。



 その力は、正しく人知を超えている。



 手順を踏む必要はあるが天候だって動かせるし、条件はあるが死人だって蘇生出来る。空だって飛べるし、なんならワープだって出来る。


 けれども、彼女はその力を使って何か大それたことをしようとは思って……いや、まったく使わないわけではないが、それで悪事を働こうとは思っていない。



 今生は、秋永・ソフィア・スタッカードという少女に生まれた……ただ、それだけ。



 彼女は、今生を愛している。両親を愛しているし、周囲の者たちを愛しているし、愛している者たちを悲しませる事も苦しませる事も、良しとはしなかった。


 だから、彼女は隠した。


 前世がどうとか関係なく、秋永・ソフィア・スタッカードとして生まれた以上は、表向きは普通の人間として生きるし、そのように振る舞おう……そう、決めている。



 そして、二つ目の秘密は……超が上に3つ付くぐらいの変態であるということだ。



 そう、彼女は変態である。それも、快楽を求める類の変態である。


 何時の頃からそうなったのかは知らないが、おそらく転生が二桁半ばに達した時からだろうと彼女は思っている。


 まあ、想像してみれば、そうなるのも致し方ない面はある。


 幾度の転生を繰り返すということは、それだけの人生を繰り返すということ。しかも、全ての記憶を持ったまま。


 そんなの、人間の精神が耐えられることではない。


 楽しい事や気持ちいい事に逃避して依存するのは、精神を守るうえでの防衛反応だったのかもしれない。



 ……とはいえ、だ。



 だからといって、彼女自身はその有り余る性欲から他者を巻き込むつもりはなかった。


 思春期真っ只中の男子よりも性欲過多ではあるが、非常に理性的だ。


 破滅的な薬物に手を染める気はないし、不特定多数の誰かとSEXなどする気もないし、ましてや、破壊衝動に身を浸すわけでもない。


 何だかんだ言いつつも、身持ちは固いのだ。


 ナニカをする気になっても痕跡は一切残さないし、その姿が漏れることもない。ましてや、両親たちを悲しませるような事を露見させることは絶対にない。


 己が己として自覚したその時から変態であった。


 だが、同時に、とても理性的であり常識的な考えを持ち合わせており、その内面は間違いなく善性の人間であった。



 ……。



 ……。



 …………だからこそ、なのかは分からない。



 常人とは一線を凌駕するどころか隔絶した『力』を持ち、ある種の衝動を抱えた彼女……ソフィアは、幼い頃から大なり小なり不思議な事に遭遇していた。


 それは、常識的な感性を持ったままが原因なのか、あるいは、頭がイカれていれば気にも留めない怪異に気付いてしまうからなのか。


 あるいは、そういう『力』を持っているから遭遇するのか、それともこの世界は知られていないだけで、そういう存在が数多くいるのか……それは、ソフィアにも分からない。


 とにかく、覚えていないぐらいに転生を果たした彼女ですら初めてとなる不思議な体験の数々は……彼女自身説明する事が出来ないぐらいに、不思議なのであった。


 そう、例えば。


 『ドッペルゲンガー』と呼ばれる都市伝説の名がソフィアの耳に入ったのは、高校1年の梅雨の時期であった。






 ──キンコンカンコン、チャイムの音が鳴る。



 途端、教室内にいるクラスメイト達の緊張が一気に解けた。というのも、このチャイムは、今日の最後の授業終了のチャイムであったからだ。


 つまりは、次は放課後である。放課後ということは、自由時間というわけだ。


 エアコンの風が、ふわりと室内を撫でていく。


 経費削減とかで、一気に汗が引いていくほどに冷たくはないが、それでも、ジッと静かに座っている分には十分な冷風。


 それを、教室の中心にて程よく浴びていたソフィアは、フウッ、と肩の力を抜く。ふわりと、なんてことはない照明の明かりを受けて黄金のようにきらめく金髪が揺れた。


 瞬間──クラスの男子の3割が、思わずといった様子でソフィアを凝視した。


 まあ、そうなるのも無理はない。


 何故なら、ソフィアは美少女だからだ。


 それも、そんじゃそこらの美少女ではない。


 アジア系の良いところと、白人系の良いところだけを掛け合わせたかのような美少女であり、そのうえ、スタイルも良い。


 そう、スタイルも良いのだ。


 はっきり言って、思春期真っ只中の男子学生たちにとっては、目に毒もいいところである。



(う~ん、綺麗過ぎるのも罪ってやつですなあ)



 そして、その事実にソフィアは気付いていたが……あえて気付かないフリをして、席を立つ。


 部活やら部活にも何かしらの活動にも参加していないソフィアは、言うなれば帰宅部というやつで、それは中学の頃から一貫して同じである。


 どうして部活に入らないのかって、それは単純にそういう方面で目立つのを嫌っているのと、自分がそういう方面に行ってはいけないという思いがあるからで。



 単純に、ソフィアの能力が高すぎるせいで……と、いうのも、だ。



 幾度の転生を果たしているソフィアにとって、これまでの前世にて培った様々な能力は全て、息を吐くように簡単に使用出来てしまう。


 具体的に何ができるかって、それはまあ、色々だ。


 たとえば、陸上100メートル走の世界記録を鼻歌混じりに叩き出すことも、人体の能力の限界を明らかに上回るような超絶技巧な技を披露したり。


 たとえば、身体を機械化させない限り絶対に打ち破れないような重量を欠伸混じりに持ち上げることも、なんならそれですら不可能な記録だって、出そうと思えば出せる。


 当然ながら、そんな記録を出したら間違いなく大騒ぎ確定である。


 インチキと疑われる可能性は極めて高いし、本物だと認められたら認められたで、確実に各所がドッタンバッタンな感じになるのは想像するまでもない。


 加えて、仮にもそんな記録を出したら最後、スポーツ関係で上を目指している者たちの心を砕くのは確定なのも、理由としては大きい。


 コンマ1秒速いとかではなく、ちょっと手加減を誤っただけで、1秒以上、1分以上、1m以上、上の記録になってしまうのだ。


 仮に、10秒の壁を越えて9.○○秒の世界にてしのぎを削り合っている最中に、だ。



 サラッと7秒台の記録を出したら、どうなるだろうか? 


 実際にそれを見せたことはないが、ほとんどの者はやる気を失うだろう……なにせ、1位を目指すのではなく、2位を目指す争いになるのだから。



 ……ならば、文科系の部活に入れば? 


 もちろん、中学の時は一時期だけそっち系の部活に入ったのだが……それはそれで、一部の男子や一部の女子との間に問題が発生したので、結局はそちらにも入れず。



 だから、ソフィアはどれだけ周りから誘われようとも、促されようとも、絶対に部活には入らず……帰宅部を続けているのであった。


 まあ、内申点の問題もあるので、名前だけ貸している部はある。


 ただそれは、あくまでも人数合わせの為に名前を貸しただけのモノであり、基本的には参加しないということで話を通している。


 なので、放課後は完全な自由時間であり……何かしらの用がない限りは、クラスメイトかつ友人である、とある二人に声を掛けるのがルーチンとなっていた。



(……う~ん、声を掛けてみる……方向でいくか)



 そして、傲慢と言えば傲慢な考え方をしているソフィアだが。



「花奈子、芽衣、帰ろうぜぇ~」



 今日のソフィアには、一つだけ気になる事があった。



「……うん、帰ろうか」



 それは、小さな声で返事をした、友人の佐藤芽衣さとう・めい……そう、普段とは明らかに様子が異なっている、その姿であった。



 ……佐藤芽衣は、ソフィアとは異なる方向性の美少女である。



 特徴は何と言っても、高校生なのに小学生にも見えてしまう小柄な体格と童顔に……そんな見た目とは裏腹の、気の強い言い回しである。


 まあ、見た目のコンプレックスの反動なのだろう。話し方や落ち着き具合は年相応だが、ともすれば誤解されやすい……で、だ。



「今日は朝から、本当にどしたん? 普段は、騒ぐ花奈子を黙らせるのにギャーギャー煩いぐらいなのに、ず~っと静かじゃん」



 朝はあんまりにも気落ちした様子に加え、何も話したくないと言わんばかりに俯いたままだったのでちょっと放置しておいた。


 だが、さすがに放課後になっても気落ちした様子が続いているともなれば、見て見ぬふりはできない。



「そうだよ、芽衣。何があったのか知らないけど、相談ぐらいはのるよ」



 それは、もう一人の友人である置田花奈子おきた・かなこも同じ気持ちなのだろう。


 ポンポン、と。


 芽衣のトレードマークみたいになっているツインテールを、お手玉のように遊びながらも、その目は心配そうに芽衣を見つめていた。



 ……置田花奈子は、ソフィアや芽衣とは違い、三つ編みがトレードマークの地味な風貌である。



 しかし、背は3人の中では一番高く、背筋もスッと伸びており……高校生離れ(どころか、グラドルすらも)したスタイルの少女である。


 趣味は、古今東西の不思議な話(特に、オカルトが好み)や物の収集。


 幼い頃からそういう事が大好きであり、普段はネットやら書物やら何やらを使って集めた真偽不明な話を芽衣に(半ば無理やり)言い聞かせ、芽衣から鬱陶しいと怒られていた……が、だ。



「なんか、芽衣のそういう姿って調子が狂うからさ……話したくないならいいけど、私たちに気を使っているなら、そういうのは余計な気遣いってやつだよ」



 それは、ソフィアも同意見である。


 当人が本当に話したくないのならばともかく、気を使って話してくれないのは、友人としてはちょっと寂しい。


 まあ、友人だからこそ話したくないという気持ちも分からなくはないが……っと、思っていると。



「……ちょっと、付き合ってもらえる?」



 しばしの沈黙の後。


 ポツリと、俯いていた芽衣が、そう口にしたのを聞いたソフィアと花奈子は……はっきりと、頷いたのであった。






 ──場所を移して、ソフィアの自室。



 残念なことに、喫茶店などにそう何度も通えるような懐具合ではない(ただし、ソフィアを除く)3人が人目を忍んで集まれる場所は、そう多くはない。


 とはいえ、誰が聞いているか分からないような場所で相談事をするのも……が、だ。


 そう考えた際に、ふと、ソフィアが「あ、今日は両親とも帰りが遅かった」と思い出したのがキッカケとなり、3人はソフィアの家へと向かうことになった。


 そうして、用意したジュースを、3人ともがチューっとストローにて補給した後。



「……『ドッペルゲンガー』を見た!?」



 芽衣の口より語られた相談内容を、思わず2人は復唱していた。


 まあ、2人がそうしてしまうのも、致し方ない。


 何故なら、そういった話が飛び出すのは決まって花奈子の口からで、芽衣は逆に『何回も同じ話をするな、静かにしろ』と怒る側だったのだ。


 その芽衣の口から、よりにもよって、オカルトの話が出て来るとは……神奈子はもちろんのこと、さすがのソフィアも予想していなかった。



「……なによ、あたしがそんな事を言うのがそんなにおかしい?」



 けれども、そんな二人の態度が癇に障ったのだろう。


 傍目にも分かるぐらいに不機嫌そうに顔をしかめる芽衣に、2人は慌てて宥め……話の続きを促し……っと、その前に、だ。


 簡潔にだが、『ドッペルゲンガー』とは、いったいなにか。


 色々と諸説あるのだが、人々の間に根付いている中で最もポピュラーなのは、霊的現象の一つである、『自分自身と全く同じ姿をした者』のことである。




 ……で、それを踏まえたうえで、内容を簡潔にまとめると、だ。




 芽衣が自身のドッペルゲンガーを見たのは、昨日の夜。


 就寝前に自室の戸締りを確認しようとカーテンを開けた……その時だ。


 自宅前の道路を、女の子が1人で歩いているのを目撃した。


 芽衣の家は一軒家であり、自室は2階にある。窓は道路側へ向いており、何気なく視線を下げると、自宅前の道路が見えるようになっている。


 その時の芽衣が、道路へ視線を向けたのは、ただの偶然であった。


 万が一開けっ放しだと危ないからと思って鍵を確認し、その時にたまたま眼球が道路へと向けられた……ただ、それだけのこと。


 しかし、たったそれだけだが……芽衣は、見てしまったのだという。


 学生服を着た己が、遠目にも分かるぐらいにハッキリと自分の顔だと分かる女の子が、自宅の前を歩いて通り過ぎて行くのを。


 もちろん、見た瞬間は、ただの勘違いかと思った。


 だが、違った。


 思わず凝視した瞬間、気付いた。


 自宅の斜め前にある電柱に取り付けられた小さな街灯に照らされた、その顔、その姿、その服装。


 そして、明かりの下で、パッと足を止めたその女の子は、唐突に芽衣へと身体を向けて……だから、間違いなく自分自身だった、と。



「もうね、本当にびっくりしたの。物凄く怖くなっちゃって、ベッドに飛び込んで……そのまま、気付いたら朝になってて」



 そう、元気がなかった理由を全て話し終えた芽衣は、チューっと……いや、ジュゴゴゴっと氷だけになったグラスを置いた。


 それが、切っ掛けになったのだろう。


 芽衣と同じく、ジュゴゴゴっと最後の一滴までジュースを吸い終えた花奈子は、グラスを置くと……う~む、と唸り声をあげた。



「ふ~む、ドッペルゲンガー……プロのオカルトマニアの私からすれば、なんとも判断に迷うところね」

「え、なにが?」

「いや、まあ、芽衣がどうして落ち込んでいたのかって、それはたぶん、『自分のドッペルゲンガーを見たら死ぬ』っていう話を思い出したからでしょ?」



 その問い掛けに、芽衣は思い出したくなかったのか、憂鬱そうに視線を……だが、神奈子の表情を見て、目を瞬かせた。



「その言い方だと、何か含みがあるように聞こえるんだけど?」

「あ、いや、その、含みがあるっていうわけじゃなくて……」

「わけ? じゃあ、他に何の意味があるの?」



 発言の意味が分からずに首を傾げる芽衣に、神奈子は困ったように頭を掻いた。



「……まあ、これはあくまでも客観的な情報なんだけどね」



 神奈子は視線を逸らし……ジッと己を見つめるソフィアの視線に気付いて、一つため息を零すと……ドッペルゲンガーの捕捉説明を始めた。




 ──曰く、霊的現象の一つと言われているドッペルゲンガーだが、これは昔からある現象らしい。


 ドッペルゲンガーは、そもそもが『二重に歩む者』を意味するDoppelgangerに由来し、医学の世界では『Autoscopy(自己像幻視)』と呼称されている。


 そして、このドッペルゲンガーだが、実は様々な形で記録が残されている有名な現象である。


 その由来は様々だが、アメリカ合衆国大統領、日本の小説家、ロシア皇帝など、過去の著名人たちが『ドッペルゲンガーを見た』という記録が残されている。


 それは日本とて例外ではなく、江戸時代の奇談集『億州波奈志』に、『影の病』という不思議な話として記録が残されている。



 ……で、だ。



 芽衣が気にしている、『ドッペルゲンガーを見たら死ぬ』という部分だが、これにはちゃんと医学的な説明がなされている。


 それは、自身がもう1人いると錯覚するという現象は、脳の物理的疾患を示しているとされている……という点だ。


 実際、脳腫瘍患者が、腫瘍の発生部位によってドッペルゲンガー(あるいは、それに近しいモノ)を見てしまうケースは報告されている。


 また、腫瘍が原因ではなくとも、統合失調症などの病でも、暗示(自分がこの後、目の前の通路から出てくる、など)という形で発生するケースも報告されている。


 ……つまりは、だ。


 『ドッペルゲンガーを見ると死ぬ』というのも、要は発病しつつある脳の病気を治療せず放置した結果死ぬという話であり、見ると死ぬというのは、ある一面の真実……ということであった。



「…………」


「…………」


「…………」



 説明を終えた後、訪れた深い沈黙の中で……真顔になっている芽衣と、非常に困った様子の花奈子を見やったソフィアは、どうしたものかと内心にて溜息を零した。



(う~ん、そういう超常的な相手なら私がなんとかしてやろうと思ったけど……医学的な話になってくると、どうにもならんねえ、これってば……)



 いや、まあ、どうにかなる、ならない以前に、大問題なのだ。


 なにせ、神奈子の言う通りの事が芽衣に身に起こっているのであれば、芽衣はすぐさま病院に行って脳のCTスキャンを撮る必要がある状態だ。


 けれども、事はそう単純ではない。


 どうしてかって、それは脳の障害は他者に説明するのが難しいのと、芽衣の両親に問題があるからだ。


 目に見える外傷であるならば、あるいは、他者にも分かるぐらいにハッキリと異変が出ているならば、子供を大事に想っている親はすぐに病院へ行かせるなり、救急車を呼ぶだろう。


 けれども、芽衣の場合は違う。あくまでも自分の姿を見たというだけで、それ以外の異変は出ていないのだ。


 そして、不幸にも……芽衣の両親は幼い頃から病気知らずが自慢の、病院どころか市販薬すらも無縁な人生を送ってきた人物なのだ。


 具体的には、風邪一つ、生理一つとっても、両親はそれの辛さを何一つ想像出来ない人物なのだ。


 芽衣が真顔になったのも、想像したからだ。


 色々な理由を付けて病院に行こうとしても、『私たちの娘なんだから、寝ていれば治る!!』と言って、病院代を出そうとしない姿を。



 ……脳の検査ともなると、ただ、近所の個人病院を受診するのとはワケが違う。



 間違いなく、芽衣の両親に連絡が行く。それに、お金も掛かる。今時はいきなり大病院への受診なんて出来ないから、まずは紹介状をとなるから、余計に。


 そうなれば、芽衣の両親は怒るだろう。


 無駄に心配してお金を使って、と。



 ……けして、悪い親ではない。むしろ、大事に想っているのは芽衣も分かっている。



 だが、この手の方面にだけは本当に融通が利かないうえに、自分たちの経験で全てを判断してしまうという悪癖があるのもまた、事実で。


 実際、何度か芽衣はそこらへんで両親と大喧嘩をした事がある。それでも、何一つ現状が変わっていないのだから……まあ、うん。


 断片的にではあるが、芽衣の口から、芽衣の両親について知っている花奈子が困った顔になる理由も、そこにあった。



(え~っと、融通できるお金って、今はいくらあったっけ?)



 だから、この場では転生的なアレによって、唯一独自に動かせる金を持っているソフィアは……冷静に、頭の中でへそくりの中身を確認していた。


 ……幾度の転生を果たしたチート少女であるソフィアには、親にも知られていないお金を所持している。


 もちろん、誰かを脅して奪い取ったとか騙し取ったとか、そういう類のお金ではない……まあ、それはそれとして、だ。



(骨折とか出血ぐらいなら治せるんだけどなあ……さすがに、脳の病気までは治せませんぜ……)



 内心にて、ソフィアはため息を零した。


 ソフィアはチートと表現するしかない力を持っているが、だからといって、全知全能というわけではないし、万能というわけでもない。


 軽い骨折や傷ぐらいなら治すことは出来るが、複雑極まりない脳の治療は完全に己の能力の範疇を越えてしまっている。



 ……できない事は、ないのだ。



 ただ、それはリスクがあまりに高い。


 自分の身体ならばまだしも、同じに見えて作りが違う他人の身体を治すというのは、それだけ難易度の高い事なのであった。



「ん~、じゃあ、私の方からお金貸してあげるから、とりあえず一回受診だけしてきなよ」

「え、でも……」

「大丈夫、私ってばヘソクリあるし、この前株でちょろっと儲けたから」

「株って未成年でやれたっけ?」

「大丈夫、私ぐらいにもなれば、いくらでも抜け道通れるから」

「ありがたいけど……でも、いいの?」

「いいよ、お金には替えられない事だから」



 なので、チート的な能力があるからこそ、お金でなんとか出来る話ならば、そうした方が良いというのは、偽りの無い本音であった。






 ……。


 ……。


 …………そうして一週間後。



「──本当に、ありがとう! おかげで、ちょっと不安が取れたよ!」

「いいよ、気にしなくて」

「いやあ、でも、何も無くて本当に良かったね」



 期末テスト前ということで、授業が午前中に終わったその日……の、夕方。


 ソフィアたち3人は、ひとまずの不安が一つ解消されたことに浮かれながら……病院からの帰路に着いていた。



 ……あれから、中々に不安な毎日を送っていた。



 なにせ、最悪は脳腫瘍だ。


 まだ16歳の高校生に、いきなり死を覚悟しなければならないという状況になって、平静を保てる者は少ない。


 おかげで、芽衣もそうだが花奈子も不安そうに落ち込んでいる日が続いて、ソフィアの方も色々と慰めるのに大変であった。


 まあ、替わりと言ってはなんだが、神様というやつは見てくれていたのだろう。


 幸いにも、近所の病院の先生は色々と察したらしく、淡々と必要な書類を用意してくれただけで、それ以上は何も言ってはこなかった。


 そして、紹介された病院も、同様な対応であった。


 そう混まない時期だったらしく、トントン拍子に予約日が決まり、一通りの検査を行い……そして、今日、無事に健康体であるという結果を言い渡されたのであった。



「ごめんね、病院代はすぐには返せそうにないから……バイト見付けられたら、そっから返すから、待ってもらっていい?」

「あんまり気にしなくていいよ、どうせ泡な銭だし」

「駄目、こういうのはちゃんとしないと!」



 暗に返さなくてもいいよと言ったら、率直に駄目だと言い返されたソフィアは、なんと真面目な子かと内心頬を掻いた。


 ソフィアとしては、どうせ表には出せない(両親に露見してしまうのはマズイので)金なので、むしろ友人の為に使えただけでも大満足なのだが……っと。



「でもさ、そうなると、結局芽衣の見たドッペルゲンガーってなんだったんだろうね?」



 ふと、思い出したと言わんばかりに、花奈子がその話を切り出した。



 ……。



 ……。



 …………そういえば、そうだった。



 すっかり忘れていたぜと、思わずソフィアは手を叩いた。



「結局、幽霊だったんじゃね?」

「それはそれで超怖いんだけど!?」



 ブルルン、と総身とツインテールを震わせた芽衣の姿に、ソフィアはグッと親指を立てた。



「大丈夫だって、幽霊ならぶん殴ればいいだけだから」

「なにその自信!? 自信あるのはその見た目だけで十分でしょ!?」

「私ぐらいになれば、凸ピンで倒せるから、安心しなよ」

「何をどう安心するの!? たまにあんた、凄い事言うよね!?」



 ガオーッと吠える芽衣に、花奈子はハハッと笑った。



「でもまあ、仮に霊的なドッペルゲンガーだったら、いちおうは対処法があるって話だよ」

「え、あるの?」



 縋る様な芽衣の眼差しに、「どーどー、落ち着け」苦笑を隠さず、きっぱりと言った。



「私が知っているのは、とにかく罵倒するのが良いんだってさ」

「罵倒? 悪口を言うの? なんで?」

「知らん。色々と調べたけど、そもそもドッペルゲンガーってオカルト界隈だとマイナーな部類だからさ」

「マイナー!? あんた、この蒸し暑い最中に鳥肌を立てているあたしにそんなこと言えんの!?」

「そう言われてもねえ、小学生が鳥肌立てているようにしか見えませんね」

「キィィ──!! 身長も胸もデカいやつには分からん苦しみですよ、こっちはね!!」

「あははは、ごめんってば、アイス奢るから許してよ」

「じゃあ、私はハーゲンダッツで」

「ちょ、サラッと便乗やめてね、しかもダッツってあんた……!」



 とまあ、そんな感じで、久しぶりにソフィアたちは笑顔を見せあっていたのであった。







 ──そして、帰り道。



 テスト前なので集まって勉強しようかという話に少しばかりなったのだが、芽衣の方から辞退の声があがったのでお流れとなった。



 理由は、気が抜けてしまって今日は何も集中出来そうにない、とのこと。



 と、なれば、花奈子だが、花奈子は花奈子で今日は駄目とのこと。


 どうやら、今日は先日注文した本が届いたので、じっくり読もうと思っていたから無理とのこと。



 ……おまえらテスト前なのに良いんか? 



 そう思ったソフィアだが、あえて何も言わなかった。


 花奈子も芽衣も、成績は悪い方じゃない。それに、下手に集中できない状態でダラダラ勉強するよりも、ちゃんと集中した方が頭には入るだろう。


 ……まあ、ソフィアはソフィアで、それならばと用事を思い出したから、似た者同士なのだけれども。


 そんな、実に学生らしい二人と別れ、ちょっと電車に乗って……用事を済ませたソフィアは、夕陽が実に眩しい帰り道にて、1人帰路に着いていた。



「あっついなあ……」



 じんわりと滲む汗をハンカチで拭いつつ、ソフィアはジリジリと体力を削ってくる夕陽を睨みつける。


 まだ夏本番前とはいえ、夕方でも気温は30℃を越えている。この分だと、今日の夜も蒸し暑くなりそうだ。



(あ~……セミの声がうっとうしい)



 住宅街とはいえ、周囲に人の気配は全く無い。車の音だって、聞こえてこない。


 タイミングの問題か、それとも偶然なのかはさておき、まるで世界に1人でいるかのような、そんな気分に……ん? 



「……あれ? 芽衣? なにしてんの、あいつ?」



 十字路にて、何気なく視線を横に向けた先……そこに、見覚えのある背中を見付けてソフィアは足を止めた。


 と、同時に、ソフィアは首を傾げた。


 何故かといえば、芽衣の恰好が学生服だったからだ。


 放課後から病院、そこから着替えずに用事を済ませていたソフィアが制服のままなのは仕方ないにしても、どうして芽衣は制服のままなのだろうか。


 なにせ、御世辞にも学生服は涼しい恰好ではない。学校に忘れ物をしたから制服……と、考えても、芽衣の家とソフィアの家とでは、方向が違い過ぎる。



(……なんでこっちにいるんだ? 私の家がある方面に、なんかあったっけ?)



 予想すらしていなかった人物の登場に、ソフィアは向かう先を自宅から芽衣の背中へ……遠いので大声を出すが……反応はない。


 セミの声が、うるさいせいだろうか。


 あるいは、疲れているせいで、自分が思っているより声が出ていないからなのか……まあ、どちらにせよ、だ。



「おーい、こんな場所でなにやってんの? やっぱり、一緒にテスト勉強でもしたくなった?」



 声が届かないならば、近づいてしまえばいい。


 そう思ったソフィアは、小走りに芽衣の背中へと駆け寄り。



「気持ちは嬉しいけど、もうこんな時間だし、花奈子が知ったら拗ねるだろうから、また明日に──」



 駆け寄って──それで。



「──え?」



 静かに、絶句した。


 いったい、どうしてか……それは、芽衣がこちらへと視線を向けたからだ。


 だが、単純に振り返ったとかではない。芽衣は、確かにソフィアへと視線を向けたのだ。


 首から上だけが──180度、ぐるりと反対を向いて。


 身体は前面を向いているのに、首から上だけが、ベキベキと軋む音を立てて後ろを向いている。


 背中の上に、顔があって……その顔は、確かに芽衣のモノだった──が。



「──うぉりゃい!!!!」



 当然ながら、眼前のソイツが芽衣でないことを瞬時に理解したソフィアは、己の『気』を具現化させて作り出した光の短槍たんそうを振り被ると──躊躇なく、ソイツへ放った。



 ──どすん、と。



 見事なコントロールで放たれた槍は、芽衣の胸に突き刺さった。


 途端、そこから噴き出したのは鮮血……ではなく、黒い液体だ──あ? 



 唐突に──眼前のソイツが消えた。いや、正確には、蒸発したのだ。



 あまりに一瞬に跡形もなく蒸発したので、消えたのだと錯覚するぐらいに……後に残されたのは、呆然とするしかないソフィアと。





 ……うっすらと漂っている、形容しがたい生臭い悪臭だけであった。




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