第43話 秘書室

 信太郎は受付で来訪者カードに記入した。訪問先は秘書室向山室長だ。

「では、12階へお上がりください」

受付嬢が和やかに言った。

 12階に到着するとエレベーター前に1人の女性が立っていた。

「須合様ですね? どうぞこちらへ」

 小柄な女性は先頭に立って信太郎を秘書室へ案内した。

 信太郎は大部屋の端、秘書室長席の前にある応接セットのソファに座る。

 ほどなく向山室長が現れた。立ち上がって頭を下げる信太郎。

「お忙しいところ申し訳ありません」

「いえ。わざわざお越しいただいて」

 信太郎は手提げの紙袋から香典返しの品を取り出した。

 一般の香典返しは通夜の折に渡していた。よくあるお茶のセットである。

 後日金額によって何人かに別途香典返しを送るつもりでいる。祥子が特に最近贔屓にしていた焼き菓子の店の品だ。

 向山からは香典として5万円を貰っていた。どうやら向山のポケットマネーだったらしい。

「5万円の香典なんて、接待費じゃ落ちませんよ、普通」

 王彦に尋ねた信太郎はそう指摘された。

「まして、自分の部下への香典でしょ? 経費じゃ落ちないと思いますよ」

 王彦に言われたのである。それで信太郎は特別に大きな焼き菓子のセットを買ってきたというわけだ。

「室長には祥子が本当にお世話になりました。これは最近祥子が好きだった店の焼き菓子です。どうぞ部屋の皆さんでお召し上がりください」

 すると向山晃子は、

「三木さん、これをいただいたので、みんなに配ってあげて」

信太郎を案内して来た女子社員に包みを渡した。包みは特に香典返し用の包装ではない。

 信太郎がこれだけ直接店で買ったからである。香典返しと言うより手土産なのだ。

 実際信太郎の目的は香典返しを渡すことではなかった。向山室長から何か新しい情報を得たいと思ったのである。信太郎はスマホの暗号解読に苦労していた。

「ありがとうございます。奥様のことは本当にお悔やみ申し上げます。お子様のことも本当になんと申し上げたらいいか・・・」

 包みを受け取った三木はそう言って信太郎に頭を下げた。

「ど、どうも」

 信太郎も慌てて頭を下げる。顔を上げた三木を見て信太郎は驚いた。三木の目に涙が溜まっていた。

 そこまで思ってくれて・・・いや、所詮赤の他人だぞ、信太郎はどう理解したものか混乱した。

 すると向山室長が席を立って、信太郎を導く。

「どうぞ、よろしければこちらへ」

 言われるままに秘書室を出る信太郎。向山は同じフロアにある応接室に信太郎を通した。

「あの子、ああいうとこがよくあって。感受性が強いって言うか、タイミング良く涙を見せたり。気にしないでください」

「ああ、あの三木って子ですか?」

「あの子の母親がなかなかの人で・・・」

向山はそう言うと言葉を濁して、それ以上は話さなかった。

「本当に祥子さんには助かってたんですよ」

 向山が話題を変えた。

「は、はい」

「東京総研の雑賀さんともお知り合いとか」

「え、ええ」

「昨日の臨時役員会、あれは爽快でした」

 信太郎も役員会でのことは聞いてはいた。だが、所詮企業の中の問題で信太郎には他人事に過ぎない。

「大島家の会社である我が社では、何かと息苦しいところもあって」

 向山は昨日の臨時役員会に呼ばれて証言をしたことを誇りに思っていた。そして社外取締役の暫定社長への一喝には快哉を心の中で叫んでいた。

「お、お察しします」

「だからこそ、須合祥子さんには本当に助けて貰ってたんです」

 向山は改めて祥子のことを持ち上げて見せた。

「なにか、あったんですか? いや、お恥ずかしい次第なんですが、妻の仕事内容についてはほとんど知らなくて」

「いえ、当たり前ですよ。奥さんの仕事内容を把握しているご主人などいらっしゃいません」

「こんなことになる前は妻が父親の会社で、しかも義兄弟のいる中で働くのがどういうことなのか、考えてみもしませんでした」

 信太郎が素直な気持ちを向山に吐露した。

「ええ、分かります。祥子さんが途中入社してきた時も履歴を見て不安に思いました」

「ですよね。私は全然そんなことを考えもしなくて。でも今になって色々聞かされると、大変そうだなあと・・・」

「祥子さんは本当にうまくやってくれてました。役員秘書なんて他の子にはなかなか任せられませんよ」

 向山の口が軽くなってきていた。

「でしょうね。祥子は卒がなかったから」

「いえ、そういう小手先の事じゃないんです」

「え?」

「この会社には智社長のお子さん3人の他にも浩一専務のご長男が営業部にいます。これがあまり出来がよくなくて」

 向山がにやっと笑って見せた。

「それと貞夫本部長の娘さんが関連会社に。あとは親戚の方々が3人ほどグループにいます。いえ、親族じゃなくても、社長の肝いりとか、専務の紹介とか、この会社には情実入社がたくさん・・・」

 向山はもううんざりという表情をした。

「特に先代社長の兄妹たちは仲も微妙で」

「そうだったんですか?」

 信太郎はここで失敗しないように発言に注意を払う。もっと聞きたい、もっと聞きたいとはやる気をぐっと押さえて合いの手を入れた。

 ここまでは既に承知していることなのだ。もっと新たな情報が欲しい。

「そこに腹違いの年の離れた妹ということになる祥子さんが入ってきた。私はどうなることかとヒヤヒヤしました」

「でも、妻はそういうご家族の間に入って頑張ってたようなんです。スマホのメモに色々ありました」

 信太郎が更に水を向けるようなことを言った。

「そうなんです!」

 いきなり向山が大きな声を上げた。

「そうなんですよ、祥子さんご家族のこと本当に心配されていて。半年も経てば親兄弟の関係性とか見えてくるじゃないですか。その間に入って祥子さん・・・」

 向山は言葉を選んでいるのか、ここで話を切ってしまった。

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