第37話 臨時役員会始まる
「なあ、サビーヌ。僕もそろそろ会社に復帰しないとまずそうなんだ」
信太郎がサビーヌに切り出した。
『仕事というやつか?』
「ああ」
『人は面倒なものだな。母上もそうだったが、仕事というやつをやらないといけないものなのか?』
サビーヌが問い質す。
「まあな。仕事をしないと金が貰えない。金がないとおまえの餌だって買えないんだぞ」
信太郎が小さな子に諭すように言った。
『言い訳のような気もするがな・・・』
サビーヌが返事を返した。
「ああ。仕事はお金のためばかりじゃない。何て言うかな。達成感とかやり甲斐とか、そういうのを求めてやっている面もある」
『狙った獲物が捕れた時の気持ちかな? 庭に潜むトカゲとか、不用心なスズメとか、捕れたら気持ちがいい』
「ううん。仕事はトカゲやスズメとは違うけど、似たところはあるかも知れない。てか、おまえトカゲとかスズメとか捕ったことあるのか?」
『ああ。母上とその母親と住んでいた頃は良く家を抜け出して外で遊んだものだ。大物のトカゲを捕まえて家に持ち帰ったら、母上の母親が大声を上げてあたしを叩き出した』
信太郎はその時の情景を思い浮かべて笑ってしまう。
「そりゃ、相当驚いたことだろうな」
『別にあたしはあの女に持って行ったわけじゃない。母上に見せたかったのだ』
信太郎はふふふっと笑いながら、サビーヌに聞いてみた。
「祥子と2人きりになってからは外にも行ってないだろうし、おまえの仕事って何だったんだ?」
するとサビーヌはゆっくりと起き上がると信太郎に向き直った。
『母上を守ることだ』
信太郎はサビーヌのひまわり色の瞳を覗き込んだ。曇りのない目だった。
普通猫は目と目を合わせることを嫌う。相手の目を見るのは敵愾心を煽る行為だ。でも今は信太郎がサビーヌの目を見ても大丈夫だった。
信太郎はサビーヌの目の色が時々で違うと思っている。もともとサビーヌの目はやや赤みがかった黄色である。ひまわり色なのだ。
それがある時は淡い朝の陽の光のような色で輝き、またある時は赤く燃えるような色に変化する。瞳孔の大きさの変化だけではないと思っている。
それは多分にサビーヌの気持ちと連動しているように信太郎は感じていた。
「守ること・・・か・・・」
今サビーヌの瞳はひまわり色をしている。
「僕は祥子を守れていたんだろうか・・・」
信太郎はサビーヌから顔を背けると呟いた。
『さあな。自分で考えるんだな。あたしは誇りを持って母上の側にいた』
サビーヌはそう言い切った。
大島精機本社役員会議室では臨時役員会が始まっていた。社外取締役2名を加えて12人の役員が席に着いている。議題は新社長就任の件と特許侵害訴訟の件である。
すんなりいくはずだった企業承継の確認の場だったはずが、だいぶ状況は違っていた。
控え室になっている隣の会議室には広報部長の大島佳那もいた。他にも技術本部ベアリング部部長や特許部からも責任者が来ている。
東京総研の雑賀王彦も何かあればすぐに対応できるようにここに来ていた。
「規定に則り、私がこの会議を進めさせていただきます。ご異存はありませんか?」
総務担当役員の藍澤が開会を宣言した。
「では、私から。社長就任の件・・・」
浩一暫定社長が口火を切った。
ところがここで刑部常務が手を挙げた。
「社長解任の動議を提案します」
議場におおっという声が上がる。だが大島浩一にとっては想定内のことだ。
「理由をお聞きしたいが」
と浩一暫定社長。
「2件のもう1件、ステラ精工からの特許侵害への責任を取るべきだと思います」
刑部としてはここが勝負所と心得ている。
畳みかけるように解任理由を述べて言った。
「技術本部で開発・製品化したU—マイクロベアリングは当社売上の7%を占める主力商品です。それが特許侵害で訴えられるという事態。この責任は技術本部長及びその担当役員である大島浩一専務にあります。特に製品化の最高責任者は大島智社長以外では暫定社長しかいない。賠償金だけでなく今後も商品として存続させるには特許使用料を支払うことになる。これは当社にとって莫大な損失である」
「社長解任に賛成します」
タイミングよく声を張り上げたのは営業本部担当役員だった。営業本部は以前より社長一族の独裁に反対の立場だ。
「賛成、反対はまだいいでしょう。最後は決を採るんだから。今は考えを申し述べるべきだ」
御手洗社外取締役が営業本部を牽制する。
「いや、大きな損害を与えたんだ。責めを負うのは当然でしょう」
今度は財務担当役員の簑島が言い放った。刑部常務の多数派工作はかなり進んでいるようだ。過去簑島は社長派だったはず。
「実際損害額というのはどれくらいになるのでしょうか?」
手を挙げたのは今1人の常務取締役斉藤だった。刑部とは何かにつけ対立している人物である。この男、どちらに着くつもりか。
ここで実損額を明確にするため特許部長が呼ばれた。
「仮に過去4年に遡っての損害賠償と今後5年のライセンス料を予測してみますと・・・」
今まさに金額を言おうとしたところで、御手洗が遮った。
「そんな計算は無駄だ。もういい、出て行きなさい!」
特許部長はおたおたしていたが、御手洗の言い方があまりに激しかったので何も言わず会議室を出て行った。
特許部長も刑部派ということなのだろう。そうでなければこの構図の絵は描けない。全ては反社長派の仕組んだことなのだ。御手洗はそう確信した。
ただ御手洗としては社長の浩一を推すべきか否か迷っていた。誰が社長になるのが大島精機の企業存続に有利なのだろう。今後とも業界や日本の製造業、広く日本国民に利益をもたらすのは、大島社長なのか、刑部社長なのか。
「まずは真実だな・・・」
御手洗は迷った末に控え室から雑賀王彦と大島佳那を呼び出した。
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